第266話 悲劇の中にある小さな命

『……セレネを焼き討ちはやめとけ。魔王って呼ばれたいなら別だが』

「いや、それはないですから……』


 焼き討ちなどするつもりは毛頭ない。

 できる力があろうとも、絶対に試そうなど思わないし、試したくもない。


『緒戦で大差を付ければ、こっちの停戦要求も多少呑まれやすくなるかもしれんが……』

『ならそれで行きましょう。緒戦で大差を付ける。これが上手くいけば、ボクは問題なくセレネに入れます』


 むしろどうしてもセレネに行かなければいけない。

 南を大きく迂回したのでは、ハンナの救出に間に合う未来はないのだ。


『方法は?』

『ボクが直接乗り込みます』

『……上手く行く確率は?』

『さあ? もし上手く行かなければ、その時はこっそりセレネに忍び込みます』

『なるほど。それも策だな』


 忍び込もうと思えば、きっと忍び込める。

 正式な手順で入国した場合に比べてかなり危険度が高くなるだろう。

 なるべく、穏便な方法で入国したい。


『わかった。だったらテメェはいまから帝国の一兵卒だ。ダグラんとこから帝国の紋章をもらって適当に前線に潜り込め』

『そんな適当な運用でいいんですか?』

『善魔やドラゴンを倒す奴を、どう使えってんだよ? そんなおっかねぇ奴、出来れば使いたくもねぇわ』


 そういう力があると判り、その力を求めたのはテミスであるはずなのだが。

 酷い言われようだ。


『もちろん冗談だぜ?』

『はぁ』


 本気の本音にしか聞こえなかったが。


『俺ぁテメェの力を使った模擬戦をやってねぇ。俺が使うより、テメェが勝手に動いた方が、上手く行くだろ?』

『なるほど。そうかもしれませんね』

『なら決まりだな。テメェは勝手に動け。指揮官には秘密部隊を送るとだけ伝えておく。帝国の紋章さえ持ってりゃ、間違えて攻撃されはしねぇだろう。たぶん』


 たぶん、じゃなくて確実に攻撃しないでもらいたい。


『勝手にいちゃもんつけてきて、大切な民が殺されるなんざまっぴらだ。俺もな、頭に来てんだよ。馬鹿なトップにも、その馬鹿を操った奴等にも、その馬鹿どもを諫められず戦争に力を貸す官僚どもも。だから、全力でぶちかませ。俺が許す』

『はい!』


 アルトは念話を切り、瞼を閉じて思考を巡らせる。


 移動時間。戦闘方法。勝利するための鍵。

 アルトの勝利は、緒戦での圧勝。そこに至る道は、あまりの細く険しい。


 しかし、それでも立ち向かわなければいけない。

 そこに進む以外の道が、すでに閉ざされてしまっているのだから。

 覚悟を決めて、アルトは目を開く。


「さて、おふたりに良い話と悪い話があります。どちらを聞きますか?」

「良い話」

「ちょマギカ! こういうのはテンプレ的に、悪い話から聞くべきだぞ!」

「てんぷれ……」


 リオンが余計なことを言うから、マギカが難しい顔をしたまま固まってしまった。


「で? 悪い話ってのはなんだよ?」

「ボクはこれから戦争に参加することになりました」

「えっマジ? 師匠、さっきは参加しないって言ってたのに」

「ええ。どうやら、その道しかないようでしたので……。おふたりはどうしますか?」

「オレは勇者だしぃ? ここで参加しなかったら、役者が揃わないからな!」

「私も行く」

「そうですか」


 国同士の戦争と言われても、きっとふたりにはあまりピンと来ないのだろう。

 それはアルトも同様だ。

 ここへ来ても、戦争に参加することへの恐れはない。ただ最強の迷宮に足を踏み入れる程度の緊張感だけはあるが。


「で、良い話ってのはなんだ?」

「はい。これから戦争に参加しますが――」


 アルトは2人を眺め、口を開く。


「ここからは俺TUEEの出番です」




  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □




 10日間、寝る間も惜しんで全力で移動を続けたアルトたちは、戦闘に巻き込まれた街――シュルトが見える場所までたどり着いた。


 銀世界の中にぽっかり黒い穴が開いている。

 そこは既に、廃墟だった。

 街の外壁は至る所が崩れ落ち、中からうっすら煙が上がっている。

 崩れた外壁の向こうにあるシュルトは、遠目から見ても判るほどに破壊の限りを尽くされていた。


 石造りの建物は半分が崩れ落ち、木造の建物は焼けて骨だけになっている。


 破壊されているのは壁の中だけではない。

 外側にある農民の集落や、畑、倉庫や商店など諸々がすべて焼かれてしまっている。


 ガミジンのような人物が、街中で広範囲殲滅魔術をぶっ放せば……いや、それだけでは足りないだろう。

 イシュトマの人口は20万人で、面積は東京の半分ほど。いくら広範囲殲滅魔術を放ったところで、ガミジン1人では数日でここまで出来るとは思えない。


 その光景にしばし言葉を失ったアルトは、それでもゆっくりと、気配を殺しながら街に向かって歩き出す。


 道ばたにゴミを棄てるように遺棄され、燃やされた体の山。

 建物という建物は破壊されており、所々墓標のように石壁が辛うじて残っている。


 誰のものか判らない手、足、首、胴。それらは小石の如く、当然のように道ばたに落ちている。


 シュルトの光景は衝撃的すぎて、アルトは言葉を口に出来なかった。


「うわぁ……。これは酷……うぇぇ」


 口にしてしまったリオンは酷い臭いを思い切り吸い込み、その殻が破られてエレエレ胃液を吐き出した。


【気配察知】にはいまのところ、人間の気配が引っかからない。

 おそらくミストル兵はシュルトを占領して拠点にしようなどという考えはなく、ただ破壊の限りを尽くしただけのようだ。


 焼け落ちた民家の中に倒れた人を見つけた。だが、全身が炭化してすでに事切れている。その手がなにかを求めるように、空に掲げられていた。


 最低だ。

 その言葉しかアルトの頭には浮かばない。


 これが、人間のやることなのだろうか?

 実際は魔物の蛮行なのではないか。


 このような虐殺の出来る奴は、もう人間とは呼べない。

 ただの魔物だ。


「アルト」


 横からマギカがアルトの二の腕をそっと掴んだ。


「はい?」

「顔、怖い」


 言われて気がつく。

 眉間に寄った深い皺の存在。

 人差し指でアイロンをかけるみたいに強く押して、皺を伸ばしていく。


 不意に【気配察知】が何者かの気配を捉えた。

 アルトだけでなくマギカもそれに気がついたのだろう。

 リオンは、気付いていない。まだ建物の影でエレエレやっている。


 捉えたその気配からは、敵意が感じられない。

 あまりに微弱。弱々しくて、吹けば消えてしまいそうな灯火のような気配だ。


 ――ッ!


 気付くとすぐにアルトは行動を開始。その気配の場所に向かう。


 たどり付いたのは崩れた民家。その中から微かに気配が感じられる。

 アルトは手が汚れることも体に擦過傷が生まれることも厭わず、強大なステータスにものを言わせて次々と瓦礫を除去していく。

 そのアルトに、マギカも続く。


 瓦礫はあっという間に半分になり、3分の1となる。

 すると、中から一体の炭が現れた。


 炭――おそらくそれは人間。

 焼け死んだのだろう。炭化した状態で俯せに倒れていた。


 ……死んでる、か。


 折角生き残りを見つけたと思ったのに。

 激しい落胆がアルトの膝を折る。


 その時、


「……ぁ゛ぁ゛あ゛! ぁ゛ぁ゛あ゛!」


 その炭から、音が聞こえた。

 咄嗟にアルトは炭に手を掛け、軽く瞑目してから仰向けに転がした。


 すると――、


「…………ああ」


 炭化した遺体の下から、炭にまみれた赤子が姿を現した。

 赤子は所々熱傷を負っていて、顔が真っ黒になっているが、泣き叫んでいる。


「まだ、生きている!」


 急いで【水魔術】で水球を生み出し、顔の汚れを落としていく。

 汚れが落ちると真っ赤に腫れ上がった皮膚が現れた。


 酷い火傷だ……。

「あ゛あ゛! ア゛ア゛!!」


 火傷に染みて痛いのだろう。アルトが顔を拭こうとすると、手を前に出してイヤイヤする。

 だが傷口から雑菌が入れば感染症にも繋がってしまう。

 心を鬼にして顔を拭き、指先を口に入れて水を吸わせる。


 よほど喉が渇いていたのか、アルトが指先から水を滴らせると、舌をまとわりつかせながら指に吸い付いた。


 ちょっとだけ、指先も心もこそばゆい。


「あれ師匠こんなところで何――お、赤ん坊だ!」


 吐き気から立ち直ったリオンがアルトに近づき、赤子に手を伸ばす。

 突然赤子はアルトの手を嫌がりリオンに向かって重心を移動させる。

 危うく落としそうになったところを、リオンがキャッチ。


「んふー……」


 赤子は何故か、リオンを求めて抱きついた。


「よしよし。良い子でちゅねー」


 リオンの赤ちゃん言葉が耳にくすぐったい。

 彼に在るすべての愛情が、赤子に注がれていることを感じる。何故かわからないが、それだけでアルトの鼻がツンとしてしまう。


「君は男の子かな?女の子かな?」

「……んふぅ」

「そう、女の子なんでちゅね? よく無事でちたねぇエライエライ」

「あーあー」

「オレはパパじゃありまちぇんよー?」


 おや?

 会話が通じてる?


「モブ男さん。赤ん坊の言葉が分かるんですか?」

「オレ、これでもエルメティア様の使徒だから」

「なるほど?」


 エルメティアは、愛情や出産を司ると神だ。

 その加護を受けているから、赤ん坊はリオンに全幅の信頼を置いているのだろう。

 何故赤ん坊の言葉がわかるのかは、やっぱりよくわからないが。


「ところでこの子は……」


 周りを見回したリオンは自然と足下に目を落とす。


 あ、不味い。

 そう思ったが、視線は止められない。


「…………」


 足下にある炭の塊を見たきり、彼は言葉を失った。


 リオンは喜怒哀楽が激しく、よく笑ったり泣いたりしているが、彼の今の表情を見るのは、長い間旅を共にしたアルトでさえ2度目だった。


 いまにも泣き出しそうな、それを堪えるような。

 この状況への悲しみではなく、己の心の内から現れるなにかを、彼は唇を噛みしめて堪えているようだった。


 リオンは幼い頃に、両親と別れている。

 離別したことを知ったのは最近。

 彼は自分の手で、親の魂を天に送った。


 だから……だからこそこの状況は彼の胸を激しく突き刺すのだろう。


「……戻りましょう」


 言葉を口にすることが躊躇われる雰囲気の中、アルトは勇気を振り絞り口を開く。

 ここに居ても赤子が元気に育つわけでもなければ、死んだ親が生き返るわけでもない。

 ここに居たって、仕方が無い。


 であれば、おそらくこの近くにアヌトリアの陣地があるはずだ。

 そこに赤子を連れて行って、治療してもらうことが先決だろう。


「そうだな」


 街中ではアルトより前を歩かないリオンが、真っ先に踵を返し建物から離れていく。

 その背中を見失わないよう、アルトはマギカに視線を合わせ、彼の後を追うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る