第239話 苦悩する少女
港に訪れているのがシトリーだったのは完璧に予想外だったが、おかげで助かった。
魔石を渡し、さらにお願いを使って身を引いてもらったが、これは所謂袖の下という奴になるのだろうか?
いや、その辺りは正義の番人シトリー・ジャスティスがうまく取りなすだろう。
しかし……。
港に上がったアルトが真剣な表情で眉根を寄せた。
シトリーの部屋に入ったとき、なにか良くない気配をアルトは感じた気がした。
アルトと同じく間者でも紛れ込んでいるのか。そう思い〈気配察知〉を拡大した途端にその気配が音もなく消えた。
それはアルトの察知能力から外れたのではなく、紛れもなく消失だった。
人ではあり得ない気配。
まさかあれは…………幽霊?
船ってよく人が死ぬイメージがあるし、なによりアルトが乗ってきた船が沈没した航路を横断したばかり。まさかその船員達の残滓が船に乗り移ったのではないか……。
静かな船内に一人。
どこか気配を感じて顔を上げるも、部屋には誰も無い。
安心して視線を下ろしたとき、足を掴む朽ちた遺体が――。
ぶるっとアルトの体が震える。
いや、ないない。
アルトは頭を振ってホラーなイメージをかき消した。
□ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □
山の中で訓練していたマギカは、辺りの薄暗さに気がつきようやく動きを止めた。
額にはびっしり汗が浮かび、アルトからもらった防具の中も酷く濡れている。
迷宮に籠もっているときも大量に汗が出たが、ここでも同じくらい汗を流した気がする。
それくらい、マギカは熱中していた。
まだ足りない。
まだシズカに近づけない。
たった1ヶ月だったとはいえ、1歩も彼女に近づいた気配を感じなかった。
後から己の戦闘を反省しても、まるで子どもが大人にうまくあしらわれるようなものにしか思えず、良い点、悪い点が見えてこない。
そも、戦闘にすらなっていないのだから反省しようがない。
ギリッとマギカの奥歯が鳴った。
マギカはシズカの鍛練が苦手だ。
組み手をしても強くなった気がしない。反省すらできない。
ただ一方的にたたきのめされて、自分の弱さを目の当たりにするだけ。
それであれば、アルトの方がよっぽどましだ。
キノトグリスで出逢ったときから、マギカはアルトにかなりの影響を与えられた。一度も組み手をしてないのに、彼がいるだけで改善点が次々と見えてきた。
負けられない。
負けたくない。
素直にそう思えた。
シズカの場合は、違う。
負けても仕方がない。
そう、思ってしまう。
思った瞬間に、強くなる道は閉ざされる。
本当ならアルトと競い合いながらレベルを上げてハンナを救いに行きたかった。
でも、おそらくそれでは足りない。
足りないと、シズカに言われてしまった。
アマノメヒトに最も近い女性がそう言うのだから、きっとその通りなのだろう。
考えが甘かったのだ。
自分のなにがいけなかったのか?
山に籠もって1人で己を見つめ直したけれど、結局判らなかった。
レベル99になっても、シズカを倒せはしないだろう。その光景が想像できない。
正直、心が折れそうだった。
たった1ヶ月でこんなに心が弱ってしまうとは……。
おそらくそれは、自分の力の限界が見えてしまったから。
レベル99になれば、どれくらいの力が得られるだろうことが予測出来てしまう。
おまけにマギカの〈体術〉練度は止まったまま。
一向に上がる気配がない。
もう、強くなれないのではないか?
これ以上はないのではないか?
考えると、目頭が熱くなっていく。
「…………悔しい」
ボロボロと、どうしようもなく涙が溢れる。
まるで背後に立った悪魔に抱擁されたかのように、マギカの体から力が抜けていく。
もう、休んでいいんだよ。
そう言われた気がして、マギカの耳がだらんと横たわる。
休む? 休めば、ハンナはどうなる?
大丈夫、アルトが助けてくれる。
そこに私はいる?
いないよ。
だって休むんでしょ?
休んでいいんだよ。
だって疲れたでしょ? 疲れたよね?
これまでずっと走ってきたんだ。
走り続けてきたんだ。
負け続けてきたんだ。
だから少しだけ横になってもいいんだよ。
悪魔の弁を聞き終えると、
突如マギカの尻尾が逆立った。
力任せに拳を振り抜き、目の前の大木の根元を吹き飛ばす。
空中に残った大木が落下するより早く、左拳を連続で打ち抜き空高くへと打ち上げた。
休んでなんて、いられない。
これは、自分が選んだ道だ。
この道しかなかったわけじゃない。
けれど不器用だから、この道しかないと思い込んでしまった。
思い込んだまま、まっすぐ突っ走ったから、開けた道なんだ。
だから、負けられない。
自分にも、アルトにも……。
この壁を、乗り越えてやる。
アルトよりも早く。
シズカを殴り飛ばしてやるんだ。
もっと高く。
もっと強く。
そして、もっと早く。
どこか遠くで大木が落下する音が響き渡るころ、マギカの目にはもう、涙は残っていなかった。
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