第238話 ありがとう
大量の魔石を吐き出すのを、シトリーが見るのは初めてではない。イノハの迷宮で狩りをしたときも、彼女はルゥが魔石を取得し、吐き出すところを見ていた。
だがこれほど大きな魔石を無数に見るのは初めてである。
どんどん目が丸くなり、口がぱっくり大きく開かれる。
「日那州国の迷宮で狩りをして手に入れたんです。これで大体、1ヶ月分です」
「これが……1ヶ月分……」
うわぁ……。
アルトの言葉を聞いて、シトリーの目から光が消えた。
「少ないですか?」
「……いえ」
シトリーは大きなため息を吐き出した。
これはゴブリン1匹倒そうとして、オーク1000匹やってきたようなものだ。
少ない?
馬鹿を言え。
多すぎるわ!
「決闘の際に願い事を1つ聞く権利を保留にしていましたね。それを、ここで使わせてもらってもいいですか?」
「え? ええ。けれどどのような願いですの?」
「この魔石で、どうか矛を収めていただけませんか?」
「…………」
「足りないでしょうけど、これくらいあれば、埋め合わせができるんじゃないかと思うんですが……」
「常々思っていましたが、アルトの感覚はおかしいですわ」
「……へ?」
ざっと見て、1000個はあるだろうか。
そのすべてが“大”以上など、価値を考えるだけで頭がくらくらする。
それをまるで、子どもに与える菓子代のようにぽんと渡してしまうのだ。それも、下心など一切見せずに。大切な願い事まで無駄使いして。
頭がおかしいとしか思えない。
「私が失ったのはせいぜい金貨100枚程度。これを売れば、おそらく金貨500枚は下らないですわよ?」
ギルドの買い取り価格であれば、この6割ほどの価格に落ち着くだろう。
それはギルドが買い取りで利益を出すためと、販売者の税金をさし引いているからである。
商人価格だとシトリーが口にしたもの。日那州国への卸値は、経費が嵩むためさらに1割ほど高くなる。
「一体どこでどういう狩り方をしたら、このような魔石が手に入るんですの?」
「それは……聞きます?」
「いえ…………結構ですわ」
きっと訊ねればアルトは狩り方を口にするだろう。
だが、シトリーは恐ろしくて絶対に聞きたくない。
彼の狩りを想像するだけで、眠れなくなりそうだ。
「けれど、本当に良いんですの? これがあれば一生お金に困らずに暮らせるのでは?」
「ボクはお金を稼ぐために生きてるわけじゃありませんから。お金は、最小限あれば良いです。それに、この魔石をギルドに持っていっても、買い取ってくれませんでしたし……」
そういう経緯があったとは。
皇帝テミスが口にした魔法の効果は、シトリーも体感している。
たしかに彼がこれだけの魔石をギルドに持っていっても、ギルドは買い取りを拒否するだろう。
身元が不確かな輩が持ってきた、出所の判らない高級品ほど怖いものはないのだ。
「ボクが手にしていても、腐らせるだけですから。有効活用すると思ってもらってください」
「はぁ……」
シトリーは再びため息を吐き出す。
今度は、先ほどとはまったく違う意味合いでだ。
アルトがここに来て、ものの5分だろうか。
その5分で、ここ1ヶ月のシトリーの悩みが解決してしまった。
まさに電光石火。あっという間である。
誰がいると判らない船内に侵入しようとか、警備をかいくぐろうとか、知人だからといって一生遊んで暮らせるだけのお金をぽんと渡してしまうだとか。
何故彼はここまであっさりと、いとも簡単そうに正しい決断をしてみせるのだろう?
その決断が出来るのだろう?
シトリーには、決して真似出来るものではない。
だからこそシトリーは、アルトに立ち向かおうなどとは思えなくなった。
立ち向かおうと思うことすら、いまでは馬鹿らく感じる。
しかしおかげ様で事態の着地点が見えてきた。
だがそれと同時に、大砲をぶっ放してしまったことや、魔石を取り戻すために集結してくれた人達に対して、なんと詫びれば良いか。
そして、この魔石の量。
入荷量と出荷量の帳尻が、大幅にずれてしまう。
このままでは賄賂や窃盗、裏金など疑われかねない。
いったいどう処理すれば良いのやら。
一仕事終えたと言わんばかりにニコニコ顔で手を振るアルトを見送って、シトリーは寝台に倒れ込んだ。
アルトが来る前に比べて、船酔いは治まっている。
だが、まったく別の意味でどんどん具合が悪くなってきた。
まったくあの少年は、どうして1手でこちらをむちゃくちゃに出来るのだろう?
本当に、嵐のような少年である。
「ああ……」
仰向けになって腕を額に押しつける。
ありがとう。
そう告げるのを、忘れてしまった……。
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