第229話 おそるべき刺客
ガミジンと戦うときは、ただ強くなることしか頭になかった。
強さはレベルであり、熟練である。
前世の知識も用いてひたすら鍛錬した結果、アルトはガミジンを討伐した。
しかしここへきて、アルトは頭を悩ませている。
ただレベルや熟練を上げるだけでは、シズカに通用しないからだ。
通用しないだろうことが、今日の戦いで理解出来た。
であればどうするか?
アルトの〈ハック〉を用いた魔術は、確実にシズカの不意を突いていた。
当たる。そう確信したにもかかわらず、彼女は加速するでもなく避けるでもなく、ただ風を起こすかのように鉄扇を振るって魔術を破壊した。
その後、やはり不意を突いて攻撃したにもかかわらず、マナを面で放出して吹き飛ばされてしまった。
不意を突いても焦らずして退けられる力。
あれはただレベルや熟練をカンストさせただけでは、到底できない動きだった。
レベルをカンストさせ、熟練をカンストさせた上に、彼女はいる。
アルトの目標は変わらない。
ハンナを救うために、ただひたすら上へ――。
しかし、この先どうすればシズカのような高みにたどり着けるのかが判らない。
ぱしゃっと温泉で顔を洗う。
まだ時間はたっぷりある。
彼女とまた戦えるのは1ヶ月後。
1度ではダメでも2度。それでもダメなら3度。
そうして経験を積み重ねていくうちに、彼女の力が見えて来るだろう。
焦らなくても大丈夫。
1つ1つ丁寧に、迅速に、全力で打ち込んでいけば、いずれ絶対たどり付く。
いや、追い抜いてやる。
ぽちゃん、と音が聞こえて音が聞こえてアルトは顔を上げる。
お客さんかな?
そう思ったアルトは、目の前にいる小さな影に思考を停止した。
「ひさしぶりだねーおにーちゃん」
「――――ッ!?」
危うく飛び出そうになった悲鳴が、アルトの喉の奥でヒョウっと奇怪な音を鳴らした。
目の前には小さな背丈で耳がツンととがった、ハーフエルフの少女がいた。
「なんで……」
何故ここにヴェルがいるんだ?
もしかして、アルトに仕返しをしに来たのだろうか?
……であれば、何故彼女は裸で温泉に浸かってるんだ?
ヴェルの行動が理解出来ない。
アルトの混乱は益々深まっていく。
「お風呂、きもちーね?」
「う、うん。あ、いや、ここ男湯だけど」
「きにしなーい」
いやいや。アルトは気にする。
というか、こんな所を他の客に見られたらアウト。
(社会的に)抹殺される。
(な……なんて恐ろしい攻撃なんだ!)
「おにーちゃん、どうしたのー? すごいあせー」
「……いや、うん。もう上がろうかなって思って!」
「だめー。ぼくといっしょに100数えるのー」
「さ、先に上がりますね!!」
もう限界だ。
ヴェルを置いて屋内へダッシュ!!
おそらくいまのアルトは、過去のどんな戦いで見せた動きよりも素早かったに違いない。
そのまま秒で浴衣を着て自室へと戻っていったのだった。
まったく、自分を倒した人間が何故、何もしてないのに怯えて逃げ出すのやら……。。
逃げ出したアルトを見送りながら、ヴェルはむっつり口を曲げた。
アルトに破れてから、ヴェルはひとときも彼のことが頭から離れなかった。
あのとき見せた瞳。
怒りのない、ただまっすぐヴェルを見つめる視線。
あれを思うと、恐ろしくて夜も眠れなくなる。
体がどうしようもなく震えて、異常なほど汗をかいた。
過去、ヴェルが汗をかいたことはほとんどない。
痛みがないせいか、汗があまり出ない体質なのだ。
それゆえ衣類が汗で濡れたことが、ヴェルには驚愕の出来事だった。
そこまで自分は、アルトの視線に追い詰められているのか。
あるいは……単に忘れられないのか。
何故自分はアルトを恐れたのか?
力ではなく、目に怯えたのか?
その理由が知りたい。
ヴェルはどうしても、アルトについて知りたかった。
居ても立ってもいられず、ヴェルはイノハの牢から脱獄した。
手間はかなりかかったが、暗殺者である彼女にとって鍵は些細な障壁でしかなかった。
勢いよく脱獄したは良いが、イノハにはすでにアルトは滞在していなかった。
仕方なくヴェルは気配を殺しながら街の噂話を転々とする。
『迷宮の魔物を駆逐されたときは――』
『仕事を改革なされて――』
『ドラゴン殺しが――』
『ワイバーンの討伐では――』
『ユーフォニア12将のヴェルをお止めになられた際は――』
町民が口にする話題すべてが、気持ち悪いくらいシトリー・ジャスティスのものばかりだった。
彼女が1人で魔物を駆逐したりドラゴンを倒したりワイバーンを倒せるはずがない。
おそらくそれは〈情報操作〉。何者かが手柄をすべてシトリーに与えた、あるいは奪われたのだろう。
いずれにせよヴェルにとってはどちらでも良い。
彼女はアルトの情報だけあれば良いのだから。
数日、ヴェルはイノハに滞在し、〈隠密〉で気配を殺し店先の林檎を奪い、糊口を凌ぎながらアルトの情報を探し続けた。
そして、
『シトリー・ジャスティス様は日那州国にも部下を派遣されたとか』
その話を聞いて、ヴェルはすぐにピンときた。
間違いない。その部下がアルトだ。
そこからヴェルの行動は早かった。
定期連絡船にこっそり忍び込み、日那州国に密入国する。
東島の各街を探し回り、そしてようやくアルトの気配を見つけたのだった。
はじめはびっくりさせるつもりで、こっそり温泉に忍び込んだ。
だがまさか、あそこまで驚くとは思いもよらなかった。
戦っているあいだはまったく見せなかった表情に、ヴェルは心底安堵する。
やはり彼はただの人間じゃないか。
同時に、別の感情もわき上がる。
ならあのとき感じた、〝人間を超えた気配〟は一体……。
服を着て風呂場を出る。
〈隠密〉を常に行っていたが、女風呂から出てきた栗鼠族には存在が気づかれたかもしれない。目が僅かにヴェルの存在に反応していた。
だが、すぐに栗鼠族の少女はヴェルから意識を外した。
おそらくこちらに害意がないことに気づいたのだろう。
見た目はぼぅっとしているのに、なかなか鋭い奴である。
遊戯室にて他の客と〝ぴんぽん〟で遊んでいた男は、こちらにちっとも気づかなかった。
それが普通。
……いや、彼の場合はオリアスの攻撃を受けても死なないくらい強い。普通とは決していえない奴なのだが、頭がアレなので気づかないのだろう。
さて。
ヴェルは弾力性のある椅子に座る。背中の部分になにか堅い物があり、座りにくい椅子だ。
当初の目標は達成された。
あとはどうするべきか。
凸部が肩に食い込むほど深く体を預け、ヴェルは目を閉じて思索にふける。
先ほどの一件で、ヴェルの興味は真逆に向いてしまっていた。
困らせたときの彼の表情が、なんとも心地よかった。
だから今後の方針は、どうアルトを克服出来るかではなく、どう困らせるかにしよう。
であれば次に打つべき作戦は……。
そうして10分ほど同じ姿勢を続けたヴェルが、不意に瞼を開いた。
……なるほど。
これは、肩こりを解消するための椅子なのか!
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