第215話 絶体絶命

 中に入った途端に、外気とはまったく違う高い温度がアルトの頬をチリチリと嬲る。

 まるで豪快に焚いたストーブの前にいるような暑さに、アルトの体から汗が湧き出てくる。


 この迷宮は至る所から蒸気が吹き上がっている。それ故これほどの暑さになってしまうのだ。

 決してマグマが流れているわけではない。さすがに岩をも溶かすマグマなど流れていたら、生物としての迷宮は耐えられない。


 アルトは気配を遮断したまま、迷宮の奥へと歩みを進める。

 この迷宮は上層と下層の2つで分けられるが、部屋は百を超える。まるで巨大化したアリの巣のようにいくつもの部屋が三次元的に絡み合っている。下に進んだと思えば上に出て、上に進んだと思えば元の場所に戻る。

 マップがなければ容易く道に迷うだろう。


 しばらく進むと、広い部屋に到達。そこには二足歩行の緑色がテラテラした魔物が3匹徘徊していた。

 その魔物は尻尾が長く、体には無数の鱗。顔はは虫類のようだ。


 それはこの迷宮で最も弱いとされる魔物。リザードマンだった。


 前回アルトがこの迷宮に足を踏み入れ、たった1匹を相手にして死にそうになった魔物でもある。

 それはレベル99になっても変わらなかった。


 リザードマンのレベルは7~80台。

 この迷宮最弱の相手であるにもかかわらず、だ。


 決して立ち向かえない、人間では立ち向かってはいけない、高レベル龍鱗系モンスターが跋扈する。

 それがここ、龍鱗の迷宮だ。


 だがそれは前回まで。

 今回のアルトは前回よりもステータスが向上している。

 前回に比べて知識もある。戦闘経験もある。スキルだって増えた。

 決して勝てない相手ではない。


(……いや、軽々勝てるようにならなくちゃいけないんだ)


 これを容易く乗り越えられなければ、ハンナは救えない。


 アルトは気合いを入れて罠を設置。

 それぞれ捕縛系の〈グレイブ〉にする。

 だがまだそれは発動しない。

 罠で倒しても、それはスキルの力である。スキルがいくら強くとも、肉体が弱ければ意味がないのだ。


 アルトは〈隠形〉を解除。

 途端にリザードマンがアルトに目を向けた。


 背筋がぞっとする程の殺気を感じ、アルトの体が強ばった。

 乗り越えなければいけない壁が、あまりに高い。

 けれど挫けてはいけない。

 逃げてはいけない。

 目をそらしてはいけない。


 アルトはまだ、下にいる。

 ここから、遙か先まで上り詰めなければいけない。

 だから上を見る。

 上るべき山がどこにあるのか、しっかり意識する。


 一呼吸置いて、

 アルトは全力で飛び出した。


 リザードマンはアルトの動きに対応。

 すぐさま尻尾を使って迎撃する。

 それを寸前で回避。

 尻尾が通り過ぎた後の無防備なリザードマンに短剣を伸ばす。

 だがリザードマンは足を巧みに使いアルトの攻撃を避けた。


 アルトは口の中で舌打ちをする。

 ここまでハイレベルになると、魔物も普通に高い練度のスキルを用いる。

 だからこそアルトは、それに対応できるようにならなければいけない。


 レベルを上げて物理で殴るのは、強さじゃない。

 向かってくる相手を力任せに倒せたところで、強くなったとは言えない。

 悪意ある運命を乗り越えられる力こそ、本当の強さなのだ。


〈ハック〉を用いて体を滑らせ回避。

 肩に脇に、リザードマンの尻尾が軽く接触。

 ダメージはほとんどない。


 意識するより早く反転。

 アルトは再びリザードマンの懐に飛び込む。

 それに反応したリザードマンがステップ。

 しかしそれは不発に終わる。


 リザードマンの足を、アルトの罠が捕縛していたのだ。

 だがすぐにその捕縛は力任せに破られた。

 コンマ1秒にも見たない間隙。

 そこを、アルトは突き抜けた。


 龍牙の短剣がその威力を発揮。

 リザードマンの腹部、半身がばっくり切り裂かれた。


 まずは1匹目!


 喜ぶのも束の間、残る2体がアルトに猛攻を掛ける。

 それを凌ぎつつ、相手の隙をうかがう。

 だが1匹が殺されたことで気を引き締めたのか、2匹から一切の隙が無くなった。


 そこでアルトに、予想外の事態が襲った。


 リザードマンを伺っていると、突如アルトは目眩を覚えた。

 レベルアップ酔い。


 なんてタイミングで!

 くそっ!!


 相手との実力が拮抗している場合、僅かな目眩も致命的となる。


 目眩を感じたアルトの集中力が、ほんの僅かに鈍った。

 その隙を見逃すリザードマンではない。


 ――まずい!


 必死に回避しようとするも、既にリザードマンの攻撃は最高速度に乗っている。

〈ハック〉でも〈グレイブ〉でも止められない。


 攻撃が当たる――!


 ここは最強の迷宮。

 入り口にいる魔物であっても、その膂力は★の数が少ない人間が耐えられるものではない。


 アルトが己の死を覚悟した、そのとき――。

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