第211話 遭難その4

 しばらく進むと、やっと洞窟の奥にたどり付いた。

 そこには何もない。だだっ広い空間が広がっていた。


 リオンはここで生活していたと言っていたけれど、その片鱗が見当たらない。それもそのはず、彼が生活していたのはもう1000年以上前のことだ。

 食べ物は朽ちるか、あるいは別の生物が口にしてしまっただろうし、流れ着いたのだから生活用品も無い。


 アルトは隅々まで眺め、ある一点に目を留めた。

 リオンもその場所を、身を固くして見つめている。


 壁際にさび付いて原形を留めない衣服があり、その中には朽ちた骨が見える。


「お袋…………」


 リオンの声が擦れた。

 その声を聞くだけで、アルトまで胸が痛くなり、目頭が熱くなった。


 ……1人にしてあげよう。

 アルトがその場を離れようと後ろを振り向いたとき、


「――ッ!?」


 アルトは息をのんだ。


 背後になにかが立っていた。

 それは、防具を身につけた朽ちた遺体。

 あるいはゾンビ。


(魔物ッ、一体どこから!?)


 これほど接近されるまで、まるで気づけなかった。

 アルトは慌てて戦闘態勢に入ろろうとする。

 だが、体が動かない。

 ……いや、体から急速に熱と力が奪われていく。


「……り……お」


 リオンさん、逃げて。

 そう言おうとしたけれど、まったく言葉にならない。


 体に差し込まれたパイプからジャブジャブ生命力が抜け出していくみたいに、まったく力が入らないのだ。


 なのに、そのゾンビの目から視線が外れない。

 金縛りに遭ったみたいに、アルトはピクリとも動けなかった。


 体から熱が消え、力が消え、膝が砕けて落ちそうになったそのとき、


 ――パシィィィン!!


 洞窟内に、乾いた音が響き渡った。

 音と共にアルトの後頭部に軽い衝撃。

 それによってアルトはゾンビの目から視線が外れた。


 するとみるみるうちに体に熱と力が戻ってきた。

 危ういところで踏ん張り、膝が砕け落ちるのを防ぐ。


「師匠。生きてるか?」

「え、ええ。……死ぬかと思いました」


 本当に、危なかった。

 今のは魅了系における最高魔術、《死の宣告》だ。

 瞳から脳、脳から魂を揺さぶり使役することで、生命活動を停止させる。


 目隠しをしてから首筋を軽く切り、体温と同じお湯をかけ続けると人は死ぬ。

 それと同じように、『自分は死んだ』と強烈に洗脳することで、体を死に追いやる仕組みである。

 抵抗するのも難しい、非常に恐ろしい魔術である。


 おそらくリオンがアルトの頭を叩いていなければ、アルトは間違いなく死んでいただ。

 しかし、その〝魅了系の術〟を使ったということは。


「……リオンさん」

「俺がやるから、師匠は手を出すなよ」

「…………わかりました」


 先ほど鎧の中にあった遺骨がリオンの母ならば、おそらく今目の前にいるゾンビはリオンの――。


(それじゃ、あんまりだ!)


 やりきれない気持ちがアルトを支配する。

 だが、だからといってアルトがなにか出来るわけではない。


 こちらがゾンビを殺せば、リオンは心の整理が出来なくなってしまう。

 だからといって、ゾンビに変わってしまった父親を、子のリオンの手で浄化させるなんてあまりに残酷だ。


(じゃあ、どうしたらいい?)


 対案が、ない。


 だからアルトは強く唇を噛みしめた。

 この行方を、しっかり見届ける。

 いや……見届けなければいけない。

 そんな気がした。


「親父、久しぶりだな。元気だった――なわけねえよな」

「……アァ……」


 ゾンビの緩慢な攻撃を躱しながら、リオンは口を開く。


「俺な、勇者として強くなったんだぜ! 少し前までギルド職員として頑張ってた。なんと150年も冒険者ギルドの職員として人間と一緒に仕事をしたんだ! どうだ? 凄ぇだろ?」

「ア……アァ……」


 振り下ろされる腕を躱し、《魅了魔術》を耐え凌ぐ。

 動きは緩慢だとはいえ、そこに籠められた力はさすが元ヴァンパイア。アルトでは1度食らえば軽く昏倒するくらい強力である。

 それを躱しながら、リオンはゾンビに語りかけ続ける。


「まさか、こうして会えるとは思わなかった。てっきり、2人は死んでると思ってたしな。こんな形でも……また会えて嬉しいよ」

「イ……オ…………」

「あの時、俺をぶん投げた親父に、面と向かって文句が言えるからな!」

「イ、オ……ウ……」

「……お袋が先に逝って、どれくらい経ったんだ? ずっと1人で、寂しかっただろ? 俺は、後ろにいる師匠に助けてもらって強くなった。なんと、勇者として独り立ちしたんだぜ! もう、親父にもお袋にも、負けねえくらい強いぞ! だから……だからよお……」


 リオンの目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。


「安心して眠ってくれ、親父。きっと、お袋も向こうで待ってる。俺がそっちに逝くのは何年後かわからねぇけどさ……」


 リオンが長剣を抜き、その刀身に光魔術を送り込んだ。


「もし向こうで巡り会えたら、また、俺は親父たちの子どもとして産んでくれ……」

「イ……オ……ゥ……」

「そんじゃ、2人とも向こうで仲良くな!! また、会おうぜ!!」


 ゾンビの胸に、リオンは深々と剣を差し込んだ。

 刀身に送り込まれた光魔術が、ゾンビの体を蹂躙する。

 目を覆いたくなるほどの光が洞窟全体を照らし出した。


『リオ……ン……ア……イシ……てル』


 最後に、ゾンビ――父親がそう口にして、僅かに微笑んだ。

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