第206話 新しいスタート

 家屋半壊5棟。全壊14棟。

 石畳の破損3区画。

 修繕費、しめて金貨152枚。


 恐るべき巨額の見積書を眺めて、シトリーは頭を抱えた。


 ユーフォニア12将2人と変態が1人。そして勇者が1人。

 合計3人の規格外と1人の馬鹿が街の中で暴れたにしては、被害は最小限に食い止められたと喜ぶべきだろうか……。


「ユーフォニアいちの大馬鹿者ガミジンでしたら、街が全壊していたかもしれませんしね」


 規格外が被害を最小限に留まったとはいえ、常人からすれば目が飛び出るような悲惨な状態である。


 幸いだったのは、その規格外の3人+1人以外に怪我人が出なかったことだ。


 本来であれば襲撃者であるヴェル、そしてオリアスにこの被害額を請求すべきところだが、今回の一件についてはシトリーがその尻拭いを買って出た。


 そもそもヴェルに請求したところで、彼女はお金など持っていないだろうし、罰として強制労働に付かせたところで、絶対に逃げ出すだろう。

 ――というか、もう逃げ出している。


「頭が痛いですわ……」


 ならば12将を抱えるユーフォニアに請求するのが筋だが、それは外交問題となるので、シトリーの肩書き――商人や迷宮開発局局長では切り込めない。


 だからといってオリアスに請求するわけにはいかない。

 ただ操られていただけの人間に、罰則を適用するのはシトリーの正義に反する。

 アルトとリオンは巻き込まれただけなので、弁済請求はお門違い。


 そうなれば結局、尻拭いが出来るのはシトリーただ一人になってしまう。


「失礼する」


 秘書が部屋に入り、湯気の立ったカップを机に置いた。

 そのカップに軽く口を付ける。


「……不味いですわね」

「なにか問題か?」

「問題ではなく、おいしくないと言ってるんですの。一体どうやったらここまで紅茶をまずく淹れられるんですの?」

「セーイ」


 反省しているのか落ち込んでいるのか、秘書の筋肉がしぼんでいく。


 オリアスはあのあと、ヴェルの治療により一命を取り留めた。だが激しい戦闘により砕けた右腕は、二度と戦いに使えなくなってしまった。


『戦えない筋肉はただの見せ筋!』


 そんな意味不明な発言を口にし、彼はシトリーの新たな秘書として働くこととなった。


 一体彼の筋肉脳内でどんな魔術変化が起ったのかは、定かではない。

 そもそも騎士である彼がユーフォニアに戻れば、たとえ戦えなくとも、教官や官僚として生きて行く道はある。

 にもかかわらず、彼はユーフォニアを捨てた。


 12将の地位を返上し、安泰を棄てて、単身イノハに移り住んだのだった。


 何故よりにもよって自分の秘書なのか。

 オリアスを問いただすと、彼は腕に力こぶを蓄えながらシトリーににじり寄ってきた。


「セイセイ! 俺の筋肉が恋しいかと思って残ったのに、何だそのしょぼくれた顔は!? ほら見てくれよ俺の上腕二頭筋を!!」

「見たくありません。……で、実際はどうなんですの?」

「……ヴェルが散々貴族連中を粛正しまくったからなぁ。戻っても仕事は当面宮廷内の治安維持だ。馬鹿馬鹿しい」


 その気持ちはシトリーにも痛いほどよく理解できた。

 きっと彼と同じ立場なら、シトリーもユーフォニアから脱出しただろう。


 ヴェルが有力貴族やお抱えの兵士たちを殺害。

 それにより宮廷が混乱。

 この期を見て権力欲に取り付かれた弱小貴族が、一斉に暗躍をはじめた。


 どうせ戻ったところで、派閥争いに敗れた貴族の首を落とす、下らない仕事が待っているのは目に見えている。

 シトリーもオリアスも、そんなもののために騎士になったわけではない。


「だからってわたくしの秘書にならなくても良かったのではありませんの?」

「セイセイセーイ。俺がお前んとこにいれば、食いっぱぐれないだろ?」

「……で、本心は?」

「…………」


 彼はお盆を脇に抱えて窓の外を眺めた。


「見てみたいんだよ。お前がこの街をどうしていくか。それと、危険因子達がどうすんのかもな。自分の目で確かめるには、騎士の位はちと重い」

「だからといって、わたくしの秘書もそんなに軽い仕事ではありませんわよ?」

「セーイ……」

「まずは、まともに紅茶を入れられるようになってくださいまし」

「セイ」


 まったくセイセイと、鬱陶しいことこの上ない。

 だが確かに、彼の言葉には共感できる。


 シトリーも見てみたい。

 自分が叶える正義の姿を。

 そして、彼らがつかみ取ろうとしている未来の世界を……。




  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □




 オリアスを救ってすぐに、アルトに念話が届いた。


『おいテメェ! いつまで俺のこと放置してんだよ!?』


 いきなりガナリ声が聞こえ、アルトは口を押さえて飛び上がる。

 危うく悲鳴を上げるところだった。

 ここが自分の部屋じゃなければ、きっと不審者として見られていただろう。


『お久しぶりです皇帝』

『久しぶりってもんじゃねえだろ! 何ヶ月待たせんだよ!? 2・3ヶ月に1度は報告しろって言っただろ!?』

『――あ』


 すっかり忘れてた。

 ……いや、忘れていたのは報告ではなく、報告する時期である。

 もうそんなに時間が経っていたとは。


『で、どうよ? ケツァム中立国は』

『どうって……』

『うまいもんはあったか!?』


 ……皇帝が一番気にする話題はそれらしい。

 もっと大切なことがあるだろうに。


『食は、特にありませんね』

『じゃあ珍しいもんはあったか? 珍しい文様が浮かんだ茶碗とか』

『そういうものも、特には……』

『なんだよ、ちゃんと街を見てんのか?』

『実は、厄介ごとがあって、街を見る余裕がなかったんです』

『厄介ごと?』


 報告というのでどこまで話せばよいか判らないが、ひとまずユーフォニア12将と戦ったことだけは伝えておく。


『あの殺人鬼ヴェルを退治したか。さすがはNo7。俺の弟分だな』

『その言い方だと、皇帝の姉貴分を倒したことになりますけど――』

『そうそう、俺からも報告があるぞ!』


 全く話を聞いちゃいない。

 この人は、本当に自由奔放というか、傍若無人である。

 前世はきっと、魔王だったに違いない。


『大体1週間前に、来たぜ。お前の待ち人が』

『――ッ!!』


 その言葉で、緩んだアルトの顔が一気に引き締まった。


『ちゃんとケツァムに行ったって伝えてやった。そろそろ着く頃じゃねぇのか?』


 その声を聞き、無意識に〈気配察知〉を拡大した。


 するとすぐに、屋根の上を高速移動する気配を捕らえた。

 それはこちらが探りを入れる気配に気づいたかのように、突然方向を変えてこちらに近づいて来る。


 そして、開け放たれた窓から、一人の少女が音もなく部屋に入り込んだ。


「……久しぶり、アルト」


 少女が、アルトの顔を見て不器用に微笑んだ。

 アルトはベッドから立ち上がり、笑顔を浮かべた。


「久しぶり、マギカ」

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