第204話 彼女の正義を試す時

 10分。20分。

 当たれば致命的な攻撃を、ひたすら躱し続けた。


 そうして30分経ったとき、均衡を保っていたと思われた状況が一変した。


 拳を振り抜いたオリアスが、足を躓かせて地面に倒れ込んだ。


「えっ、なんだ、どうしたんだ?」


 アルトとリオンが見守るなか、オリアスは立ち上がらない。


 まるで酸素をかき集めるように、口を大きく開いたまま、地面から立ち上がろうと手足を働かせる。

 けれど彼の体は一向に持ち上がらない。


 そうしているうちに、突如オリアスは口から大量の胃液を吐き出した。

 体がビクビクと痙攣し、だんだんと目の焦点が合わなくなっていく。


「……一体、なんだってんだ?」


 予想外の状況に、リオンはただ呆然と立ち尽くした。




 致死性の攻撃を30分間なんとか耐えきったアルトは、ようやく熱くなった息を安堵と共にゆっくり吐き出した。


 オリアスの身体能力の高さは、アルトでさえ太刀打ち出来ないものだった。もしかすると筋力や体力は1万を優に超えていたかもしれない。


 だが、それでも彼は人間だ。

 悪魔や善魔、ましてや神ではない。

 ヴァンパイアでさえない。

 ただの人間。


 だからこそ、アルトは動き続ける人間を最も効果的に無力化する方法を選んだ。


《水魔術》で一帯を濡らし、《熱魔術》で熱した空気を《風魔術》で当て続けた。


 真夏のような熱気と湿度の中、動き続ければ、どんな人間でも体が熱くなる。

 それでも構わず動き続けるとどうなるか?


 異変は頭痛から始まり、嘔吐、さらに悪化すると筋肉が痙攣して身動きが取れなくなる。

 ――熱中症だ。


 アルトが狙っていたのは、熱中症によるオリアスの無力化だった。


 いくらステータスが高かろうと、オリアスが人間である以上、熱中症を無効化する手段はない。


 ただし、これは死と隣り合わせの方法だ。

 熱中症は相手を無力化出来るが、悪化すると命に関わる。


 オリアスが痙攣したところで、アルトは即座に冷水を浴びせ、冷風を当てた。


 これで多少は熱中症の進行を食い止められるが、彼の体の中がどうなっているのかが判らない。


《治癒魔術》が使えれば良いのだが、残念ながらアルトにはその才がない。


 他に《治癒魔術》が使える人材は、一応この場に一人だけ存在している。

 ――ヴェル・ファーレンだ。


 最悪、なにかあれば彼女を頼れば良い。


 問題は、宝具の効果だ。

 現状オリアスを無力化したが、毒がまだ残っている。


 こればかりは、アルトにはどうしようもない。


 ひとまず、オリアスを屋内に運び込んだ方が良いか。

 考えていると、強い気配がアルトに接近してきた。


「……一体これは、なんの騒ぎですの!?」

「シトリーさん!」


 騒ぎを察知して駆けつけたのだろう。

 僅かに肩を上下させたシトリーが、アルトとオリアスを見て眦を決した。


「あ、あのこれは、その、戦いたくて戦ったわけじゃなくて――」

「……はあ、判っていますわ」


 しどろもどろになったアルトの言い訳をシトリーが遮った。


「今回、現われたのはオリアスだけですの?」

「いえ、ヴェル・ファーレンと一緒でした」

「ッ!? ヴェルはどこに!?」

「無力化しましたよ」

「えっ、と……。詳しく説明してくださいまし」


 柳眉を歪ませたシトリーに、証拠(簀巻きにしたヴェル)をきちんと見せた上で、アルトはこれまでの経緯を説明する。

 宝具で操られたというところを聞いたときのみ、シトリーは唯一平静な顔が苦悶に歪んだ。


「やはり、こうなってしまいましたのね……」

「シトリーさんは、知っていたんですか?」

「ええ。アヌトリア帝国で、彼が次の任務に向かうと直接教えてくれましたの」

「……そういえば」


 オリアスがアルトの《グレイブ》から脱出した際、『大丈夫だ』と口にしたのは、彼女がこのことを知っていたからだったのだ。


「それで、シトリーさん。オリアスさんをどうしますか?」

「出来れば、助けてあげたいのですが」

「その意見は賛成です。けれど僕にはヴェルの宝具を解除することができません」

「……でしたら、ひとつだけ試してみたいことがありますの」


 そう言うと、シトリーはオリアスに向かって歩き出した。



 オリアスは意識があるのかないのか、白目を剥いて俯せに倒れている。

 至る所に切り傷が出来ているし、右腕は原型が判らないほど紫色に腫れ上がっている。


 最後に見たオリアスの姿と重ねると、シトリーの胸はどうしようもなく痛んだ。

 このままでは、彼は確実に死んでしまうだろう。

 教会に治療を依頼しても、ヴェルが用いた宝具の効果が残っている以上、また暴れ出しかねない。


 そうなれば、シトリーはこの街を守る為に戦わざるを得ない。

 オリアスと戦い、殺さねばならない。


 オリアスはユーフォニア12将の中で唯一、シトリーにも気軽に接してくれた人物だった。

 もちろんいつも筋肉筋肉言ってて、すぐに脱ぎたがる性格上、シトリーは彼をぞんざいに扱い、気持ち悪いとさえ思った。


 だが、他の12将や宮廷で仲が良かった人達が次々と離反していくなか、それでもオリアスはシトリーに、変わらぬ態度で接してくれた。

 それが、どれほど救いになったことか……。


(今度はわたくしが、オリアスを助ける番ですわ!)

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