第182話 恐怖は不明から発生する

 そこには、人影があった。


 まるで、アルバイト作業員のような見栄えの人影が、膝を抱えてうずくまっている。

 耳を澄ませば、すすり泣くような声が聞こえる。

 声は女性のもののように高い。


 ぱっと見た瞬間、シトリーの背筋が粟立った。危うく反射的に逃げ出しそうになった。

 しかしすぐに理性を総動員して冷静さを取り戻す。


「もしかして、迷子の作業員か?」

「そ、そうかもしれませんわね」

「声をかけてみるか」

「そうですわね」

「「…………」」

「シトリーが行けよ」「リオンさんが声をかけてくださいまし」

「「ぐぬぬ……」」


 にらみ合うことしばし。

 シトリーは仕方なくその作業員風の女性に声をかける。


「あの……もし?」


 声をかけると、まるで怯えているかのように女性は肩を振るわせた。

 その人間味溢れる態度に、シトリーは態度を軟化させる。


(よかった。やはり取り残された作業員でしたのね)


「もしかして迷われたんですの?」

「……はい」

「もしよろしければ、入り口まで一緒に戻りませんこと?」

「私の仲間は?」

「…………大変言いにくいんですが、お仲間の姿は見えませんわ」


 魔物に殺されたか、あるいはそのまま逃げ帰ったか。辺りを見回してもそれらしい痕跡は見つからなかった。


「そう。よかったぁ」

「えっ、よかった?」

「うん。だって、私だけで、あなたたちと遊べるんですもん」


 顔を上げた女性には、しかし顔が無かった。

 目も鼻も口もない。ただ黒い色が顔を覆い尽くしている。

 シトリーの血液が急降下し、立ちくらみしたかのように三歩後ろに下がる。

 それを見て女性――魔物はすぅっと音もなく立ち上がった。


 体だけを、元の位置に残したまま――。


「アンギャァァァァァ!!」

「キィヤァァァァァァ!!」


 シトリーとリオンが悲鳴を上げ、体を反転させて一目散に駆けだした。

 しかし、


「逃げちゃやぁ。ねえねえ遊ぼうよ」


 生首に回り込まれたリオンが、白目を剥いた。

 勢いのまま地面に顔面から倒れ込み、


「フギャ!!」


 幸か不幸か、気絶寸前でリオンは意識を取り戻した。

 倒れたリオンを無視してシトリーは一目散に走り出す。


 もうリオンのことなど考える余裕もなかった。


(無理無理無理!!)


 恐怖に浸食されたシトリーはただただ体を突き動かす。

 その前に、


「遊ぼう?」


 頭のない体に回り込まれ、シトリーは急転換。

 来た道を引き返す。


 ねえねえ。遊ぼうよ? 逃げないで。ほら、こっちを見てよ。


 声がすぐ傍から聞こえてくる。

 相手は背後にいるのか、それともこれは幻術なのか。

 混乱したシトリーは対抗策も考えられず、ただただ逃げ惑う。


「ほら右(こつち)を見てよ」

「いやですわ!」

「今度は左(こつち)だよ」

「絶対に見ません!」

「前(あつち)を見ないと危ないよ?」

「見ませんわ! 絶対に見ませんわ!!」

「あ――上(そつち)は見ちゃダメだよ」


 ダメ? 何故?

 思った瞬間、シトリーは反射的に上を見上げていた。


 天井には、巨大な人の顔に、蜘蛛の足のついた黒いナニカ。


「……ミチャ駄目ダッテ言ッタノニ」


 その顔が、歪な笑みを浮かべながら、大きな口を開いてシトリーに落下してきた。


「――――ッ!!」


 その衝撃的な魔物の出現に、シトリーは己の意識をあっさり手放した。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 悲鳴が聞こえた場所にアルトは全力で駆けつける。

 リオンは既に意識を失い、その上をファントムの首がぐるぐると旋回している。


 少し離れた場所に倒れているシトリーの上には、人面蜘蛛が覆い被さっていた。

 幸い、蜘蛛の牙はドラゴンの鎧に阻まれており、怪我はしていない。


「無事、だったのかな?」


 一応生きてはいるが、きっと2人は一生トラウマになるような経験を積んだに違いない。

 とても他人には見せられない顔をしている。


「……惨い」


 アルトは手早く2体の魔物を消し飛ばし、2人を引き寄せた。

 せめてもの情け。アルトは2人の瞼と口だけは閉じてあげた。


 2人がこれほど驚くのは、単にお化けが苦手だからというわけではないはずだ。

 夜になると怯えたり、灯りのない洞窟で身動きが取れなくなったりしないので、間違いない。


 ほとんどの恐怖には理屈がある。


 親しい人の怒りが怖いのは嫌われたくないからだし、魔物が怖いのは命が危険にさらされるからだ。


 幽霊が怖いのは、不明だから。

 わからないものに、人間はどうしようもなく恐怖するのだ。


 2人が気絶している間に、アルトは2人に対処する手段を生み出すことにした。


 リオンとシトリーの武具にそれぞれ、アルトは【術式製作】を行う。


 リオンの盾は回路で強度を高め、エルフの【刻印】にて反撃機能を与える。

 シトリーのレイピアには光属性の加護を与えた。

 光はレア属性であり、エルフの文献にも載っていない【刻印】である。


 しかしアルトは【光魔術】を目撃している。その原理は、きっちり解明した上で、記憶に刻んでいた。

 非常にレアな【刻印】ではあるが、過去の経験のおかげでアルトは光の【刻印】が可能となっている。


「ぐぇ!? ……ああ、ビックリした師匠か」

「師匠か、じゃないですよ。ほら、顔を洗ってください」


 涙とよだれと鼻水で酷いことになってるから……。

 アルトに言われるがままリオンは水筒から水を出して顔をぬぐう。その間にシトリーも目を覚ました。


「ここまで取り乱して申し訳ありませんでした」

「いえいえ。まさかシトリーさんが死霊系の魔物が苦手だとは思ってもみませんでしたので」

「……っく」


 まさか弱みを握られたと思ったのか、シトリーは悔しげに唇を噛みしめた。


(そんなもの、全然弱みにすらならないのに)


 さておき、このままもたもたしているのは時間の無駄である。

 2人が合流したのでアルトは即座に移動を開始する。

 移動しているあいだに、アルトは2人の武具に行った刻印の説明を行う。


「これで死霊系の魔物を攻撃できるようになりましたので、怖がる必要はありませんよ。ただ相手は魔物ですので、それ相応に気を引き締めてくださいね」

「……一つ疑問があるんだけどさ」


 珍しく難しい顔をしたリオンが自分の盾を見つめながら口を開く。


「なんでオレの武器には属性を付与してくれねぇんだよ」

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