第180話 ここの迷宮の魔物は……

 翌日、アルトたちはすぐにイノハ迷宮探索にかり出された。

 やけに手続きが早い。

 その早さが恐怖である。


 アルトたちの他にも、この労働に従事している者達がいた。

 総勢三十名ほどか。

 全員、頬がこけていて顔色が悪い。

 目が死んでおり、覇気がまるで感じられない。


 全員がダンジョンの入り口前に綺麗に整列した頃、直属の上司である管理官が現われた。


「貴様等は屑だ!」


 テラテラした筋肉を露出させた管理官が、いきなり吠えた。


「貴様等は屑でクソだ! その屑でクソな貴様等は、国家の慈悲により国の仕事に従事することが出来た。ここから逃げ出すことは敵わん。貴様等はその肉体を酷使し、死ぬまで国に奉仕するのだ! 判ったか!!」


 気楽な職場という謳い文句が逃亡した。


(あれれ? 聞いてた話と全然違うよ?)


「管理官。質問があります」

「貴様、誰が口でクソたれろと許可した!?」

「ここの探索に手順はありますか?」

「貴様――ッ!!」


 顔をゆでだこのように赤くした管理官が、いきなりアルトに殴りかかってきた。

 アルトはそれを軽快な足裁きで回避する。


「この、ゴミ虫が!!」

「あ、はい。すみません。それで、なんでしたっけ?」

  「おいあの新人、管理官の攻撃を躱しながら喋ってやがるぞ!?」

  「なんか、回避する動きが、途中からキモくなった……」

「お、俺の攻撃を躱すな! 黙って食らえ!!」

  「新人は一度は食らうべきだよな」

  「うんうん。管理官に逆らうなんて害悪だよね」

「嫌です。だって痛いじゃないですか」

「貴様の目を覚まさせてやるというのだ!!」

「そうですか?」


 アルトはピタリと動きを止め、管理官の攻撃をその頬で受け止めた。


 ガッ!! という音が迷宮内に何度も反射する。

 その痛々しい音に、周りでヒソヒソ話をしていた先輩労働者たちの目に恐怖なのか諦観なのか、よくわからない鈍色が浮かんだ。


「…………」

「で、探索のほうですが、範囲はどこまで行っていますか?」

  「あいつ、殴られたんだよ、な?」

  「そのはずだけど……」

「ご……五階までだ」

「なるほど。僕らは自由に動き回って良いんでしょうか?」

  「なんであいつ殴られても平気なんだ?」

  「さあ? 痛みを感じないくらい鈍感なんじゃない?」

「逃げようったって、出入り口はここしかねぇ。適当にぶらついて戻ってきても、魔石がなかったら遊んでたと見なすからな!!」

「はい。わかりました」


 管理官の言葉で、先輩労働者達がざわついた。

 どうやら管理官の発言は異例だったようだ。それはアルトの話を聞いたことか、それともアルトの質問に答えたことか。


 いずれにせよ、話が通じるようになってなによりである。

 管理官が一瞬だけ後ろを振り向き、右手をぶらぶらと激しく振った。


「あ……あと魔石は持ち帰れると思うなよ!?」


 管理官がくるっと振り向きアルトを睨み付ける。


「ここで回収される魔石は国の貴重な財産だ。ウジ虫ごときが手にして良いもんじゃねぇ。戻って来たら手荷物検査から身体検査だ。もし魔石を盗もうとしやがったら……タダじゃおかねぇからな!」

「了解です。じゃ、行きましょうか」


 赤く腫れ上がった手を隠す管理官に一度礼をして、アルトはリオンとシトリーを連れて迷宮の奥に向かって歩き出した。


  「死ぬ気か?」

  「ほっとけ。アイツが死んでもオレらには関係ない」

  「だな。死にたいなら死なせておけばいい」


 背後で先輩労働者達がざわついている。それもかなり小さな声で。あれだと管理官には聞こえないだろう。もし聞こえてしまえば大変な目に遭うかも知れない。


 元冒険者なのかそれともただの平民なのか。この場所で低賃金でこき使われている割には、罵倒するくらいの元気があるようでなによりだ。

 あるいは、新人を罵倒するくらいしかはけ口がないのかもしれないが……。


 管理官はシトリーを見てもなんの反応も見せなかった。


(『ままま、まさかシトリー様ですか!?』と言って慌てふためく展開を期待していたんだけど……)


 まだ彼はシトリーの功績(アルト産)を知らないのかもしれない。




 イノハの迷宮は地下1階~30階まであり、1階が2~3フロア。巨大でだだっ広い空間が広がっている。

 一見すると、奥へ進む階段がある場所まで一直線に進めそうだが、実際には岩石や鍾乳石に行く手を阻まれるため、一筋縄では攻略出来ない。


「なんだか薄気味悪いところですわね」


 初めて迷宮に潜るシトリーが、寒さなのか怖気なのかに身を震わせる。

 その様子を見てリオンが口を曲げた。


「まさか、お化けが怖いのか?」

「ちち、違いますわ! ただ少し肌寒いなと感じただけで……」

「あ、そこでいま何か動いた!」

「ひぃ!?」

「ほらビビってる!! やっぱお化けが怖いんじゃねぇか――ングァ!!」


 まるで危険な薬を摂取したかのように笑い声を上げるリオンの頭上に、アルトは短剣の束を振り下ろした。


「はぁ……。マギカが恋しい」


 今どこにいるのやら。

 ツッコミ役不在の現状に、アルトは肩を落とすのだった。


「師匠、なにも殴らなくてもいいじゃねぇか」

「ダンジョンの中で大声を上げるからです。移動中に無駄に魔物と戦いたいんですか?」

「うわっ、真人間みたいなこと言ってる……!」

「喧嘩ですか?」

「いや、だって師匠、魔物と戦うのが大好きじゃねぇか」

「酷い言われようだ……」


 リオンの言葉は否定出来ない。


 だが、この辺りの魔物はキノトグリスとは少し毛色が違う。

 戦うにしても、ある程度対策を立ててからにしたい。


 そんなアルトの願いは、残念ながら叶わなかった。


「――ああ、モブ男さんが大声を出すから、来ちゃったじゃないですか」

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