第179話 失われたもの
「よくこんなことやってて国を運営できるな」
「たとえ辞る人が多くても、いくらでも人を補充できますからね。最悪、別の国からなにも知らない人を騙して雇っても良いですし」
良いか悪いかではなく、それが出来るからやっている。
商人ギルドがこの国の運営を牛耳っている以上、変化はまず訪れまい。
依頼の中からアルトは目的のものを見つけてピックアップする。
「師匠、それは?」
アルトの行動に期待していたのか、目を輝かせたリオンは手元の依頼書を覗き込み、再び目が水を失った魚のように変化した。
◯実働8時間
◯未経験でも歓迎
◯20代が中心です!
◯能力により昇級
◯その人のやる気を最大限評価
◯気楽な職場です。
職種:イノハ迷宮探索
休日:週休2日(繁忙により変化)
残業:なし(繁忙により変化)
月給:銀貨10枚~
※魔石や素材を拾えば拾うほど給与が上昇!
最後に見えないくらい小さい字で『命の保証はありません』と書かれている。
「この求人広告、殺意高すぎねぇか!?」
「ですよねえ」
この依頼――もとい求人広告は、あまりに黒すぎて文字が読めたのが奇跡というほどブラックである。
特に冒険者として、給与の部分はいただけない。
魔石や素材を拾えば給料が上がると匂わせているが、つまりそれは魔石や素材を拾っても懐に入らないと言っているのである。
中サイズの魔石を10個拾えば、月給を軽く超えるお金が手に入る。しかし、会社を通すので、それがまるまる懐に入るわけではない。
1割手に入ればラッキー。
現実はせいぜい1%程度だろう。
冒険者、あるいは死んでも良い奴隷を格安で雇い、そこで得られた魔石を大金で売りさばく。
人間としてあるまじき行為だが、商人としては正しい方法である。
こんな依頼、普通の冒険者が受けるはずがない。
自分の足で迷宮に入り、自分の手でお金を稼ぐ。
しかしながら、この依頼を受けなければ、イノハの迷宮に立ち入ることが出来ない。
迷宮がある都市なのに、冒険者の姿が見えないのはそのせいだ。
「師匠。もしかしてそれ受けるのか?」
「はい。この迷宮でレベリングをするつもりなので」
「マジで? 本気で受けるの? 冗談じゃなく?」
「はい」
「うわぁ……」
リオンはまるで腐った果実を知らずにかぶりついたときのような顔をした。
「問題はいろいろありますけど、一番の問題は命の保証でしょうか? けれどこれは、キノトグリスでも同じでしたよね。お給料の面も、僕は現在金貨25枚という、簡単には使い切れないほどの大金を持っています。なので、給与もいりません」
ここで一番大切なのは、このイノハの迷宮に入ることだ。
国が管理していて、この依頼を受けないと迷宮に入れない以上、アルトは依頼を受ける他ない。
「どうしてそこまでイノハの迷宮に行きたいんだよ?」
「キノトグリスの迷宮の次に、ここの迷宮は経験が稼げる場所なんですよ」
「まるで見聞きしたような口振りだけど、師匠はイノハに来たことあったのか?」
「あっ、いや、それは……皇帝に聞いたんですよ」
アルトは慌てて嘘を口にした。
イノハの情報は前回経験したもので、今回のアルトには知るよしもない。
(いつもアレなのに、こちらの脇が甘いときだけ鋭くなるのは、何故なんだ……)
気を引き締め直し、アルトは口を開く。
「特にこの迷宮は熟練者が寄りつかず、深部で好きなだけ狩りができる――とのことでした」
「なるほどな。たしかにそれなら師匠が行きたがるのも頷けるな」
「シトリーさんはどうしますか?」
「……えっ、わたくしですか?」
それまで顎に手を当ててなにやら考え込んでいたシトリーが、アルトの言葉ではっと顔を上げた。
「もちろん行きますわ! 迷宮がどのような所か見てみたいですし、それに、アルトを放置しますと、またよからぬことを企むかもしれませんわ」
「えぇえ……」
良からぬことって。そんなに信用してないのだろうか?
……いや、してないのだろう。
彼女はフォルセルス教の教徒である。
教徒にとって、フォルセルス教の指名手配犯は絶対悪。
信用出来ないのも無理はない。
「じゃあ、3人で依頼を引き受けてきますね」
アルトが受け付けに依頼書を提出すると、すぐにブレスレットに依頼が刻まれた。
【イノハ迷宮探索】
冒険者階級A:シトリー・ジャスティス
冒険者階級B:リオン
冒険者階級F:アルト
ブレスレットの依頼欄に表示された階級を見て、アルトははっと息を呑んだ。
(キノトグリスでエリクに上げてもらった階級が、初期化されてる!)
魂に直接刻まれる【性質】とは違い、冒険者階級はブレスレットにのみ刻まれる。
戸籍情報や納税記録などと同じように、ブレスレットが変わると初期化されてしまう項目なのだ。
もちろん、階級の復旧は可能だが、それをしてしまうとアルトは指名手配されているアルトだとばれてしまう。
(あれは、初めて他人からもらった好意の証だったのに……)
崩れ落ちそうになる膝をぐっと堪える。
失われてしまったものは仕方が無い。
物質はいつかは壊れる。
けれどエリクの思いは、きっと消えていない。
そう思い込むことで、大きな喪失感を必至に抑え込む。
だがその感情が呼び水となって、頭の中にハンナの笑顔が浮かんできた。
なるべく考えないようにしているが、ハンナの事をふとした拍子に思い出すと、胸がぐっと苦しくなる。
いまどこにいるのか。
どうしているのか。
怪我はしていないか。
苦しんでいないか。
どれほどハンナのことを考えても、胸を痛めても、アルトにはなにもできない。
祈りで救いが導かれるなどお為ごかし。いくら祈っても誰かが助かるわけではない。ただの平民1人の願いを聞き届けてくれるほど、神様だって暇じゃない。
祈るのは、人事を尽くした先でやればいい。
だから、アルトはそのときが来るまで鍛えるだけ。
なるべく高く。
誰もが届かない頂へ。
それがいま出来る、最善なのだ。
そうアルトは何度も自分に言い聞かせて、胸の疼きを沈めるのだった。
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