第175話 名乗る名前はありません(ある
ドラゴンの姿が消えてからしばらくすると、停滞していた入国審査が再開された。
アルトたちはかなりの人数に囲まれながら、ステータスブレスレットの読み上げに入った。
「リオン……平民か」
「勇者だよ!」
「黙れ。次。シトリー・ジャスティス……ジャスティス? あの、ユステル王国の公爵家の、シトリー様!?」
「ええ。末席を汚しておりますが、ジャスティス家の一員ですわ」
「おおお!! これはこれは、大変失礼をいたしました!」
「え?なに? なんかオレと態度違わね?」
「黙れ侍従」
「誰が侍従だよ! オレは勇者で――アダッ?!」
リオンが絡むと話が進まない。短剣の束でリオンを殴りつけ、首根っこを掴んで引きずって遠ざける。
リオンは不服そうな表情で頭を撫でながら、「なにすんだよよししょー」とぶー垂れた。
「まさか、ジャスティス家の方がこんな僻地に訪れるとは。……はっ!? 先ほどドラゴンを追い払ったのも、シトリー様なのですか!?」
「い、いえわたくしは――」
「さすがは公爵家であらされれる!! 平民の我々とは出来が違いますなぁ」
「いえ。わたくしはドラゴンには――」
「みなまで言わないでください。ここにいる者達は皆、信用できます故」
「えっ? ……はぁ」
「シトリー様はお忍びでこの国境を越えるのでございましょう。ですから、騒ぎ立てたくない気持ちはお察ししておりますとも。ささシトリー様、どうぞお通りください」
「いえ、あの――」
「大丈夫でございますとも! シトリー様はなにもされませんでした。もちろん、ここにシトリー様はいらっしゃらなかった。我々は、誰も見てございません」
さすがはフォルテルニアの魔法。
ここまで認知が歪むと、逆に少し面白くなってくる。
「師匠。このままだとドラゴンを追い払った手柄、シトリーに取られちゃうぜ?」
「良いんですよ。僕は別に、功績が欲しいわけじゃありませんから」
功績とは、あくまで過去のもの。
望んだ未来をつかみ取る力を保証するものではないのだ。
そうこうしているうちに、シトリーの入国審査が終わりアルトの順番が訪れた。
アルトは内心冷や汗を流しながらも、努めて表情を消す。
ステータスブレスレットを読み取り用の魔導具に翳す。
「……平民アルト。ん? アルト? ……ああいや、出身地がユーフォニアじゃなくアヌトリアだから指名手配犯じゃないな。税金もきちんと納めてるし、よし、通っていいぞ」
(……危なかった!)
もし戸籍がユーフォニアであれば、間違いなく捕えられていただろう。
アヌトリア帝国で、ブレスレット購入に高いお金を払っただけはある。
冷や汗をぬぐって国境壁を出ると、先ほどと変わらない風景が広がっていた。
「なんだ、ケツァムに入ったってのに、代わり映えしねぇんだな」
「アヌトリアに近いですからね。もう少し進めば見た目が変化しますよ」
少し進むと村があり、建物がアヌトリア様式からケツァム様式へと徐々に変化する。そこまで行けば、ケツァムに入った実感も湧くはずだ。
「ところで、リオンさんはケツァムについてどこまで知ってますか?」
「商人の国で、首都がイノハ。フォルテルニアで唯一奴隷制が残ってるんだったか?」
「はい、その通りです」
「奴隷って、あの奴隷で合ってるよな?」
「どの奴隷かは知りませんけど……」
「店で売ってるやつ」
「まさか!」
リオンの言葉に、アルトはぎょっとした。
一体どのような世界にそんな非人道的な店があるというのだ。
「そんなわけないじゃないですか」
「ん? じゃあケツァムの奴隷ってどんなやつなんだよ」
「まあ……行けばわかりますよ」
国境壁から出てしばらく街道を行くと、前方から僅かな争い事の気配を感じて足を止める。
「なんだなんだ?」
「……かなり遠いですけど、なにかあったみたいですね」
僅かに感じる殺気は、自分たちに向けられたものではない。
意識して遠くまで気配を探ると、見つけた。前方で混乱と困惑、恐怖と怒りの雰囲気が渦巻いている。
「移動しましょう」
「了解!」
どうやら街道を通行している行商か旅人が襲われているようだ。
相手は盗賊か、あるいは魔物か。
【縮地】と【ベクトル変換】で飛び出した。
まるで一体感のある発動に、感覚が鳥肌を立てた。
(なんだか、コツを掴んだかも)
けれど確かめている余裕はない。
1歩着地する前に【滑る床】を展開。
【ベクトル変換】と【空気砲】を同時発動でさらに加速。
全速力を維持する。
前方に床を次々と生み出しつつ、【風魔術】で体の通り道を作り、【ベクトル変換】で常に背中を押し続ける。
しばらく進むと、街道の向こう側に点が見えた。
その点が、どんどん人の姿に変わっていく。
「やっぱり、盗賊みたいですね」
街道にある馬車が、男達に囲まれている。
馬車を守る男が2人。地面に倒れた男が3人。合わせてその5人は護衛だろう。
その男達に斬りかかっている男が8人。おそらくこちらが盗賊だろう。身なりが護衛としてはあり得ぬほど薄汚い。
最速で移動したアルトはまず、遠巻きに戦況を伺っていた盗賊3名を【風魔術】で吹き飛ばした。
「だ、誰だ!?」
盗賊の男達がアルトの登場に色めき立つ。
その曇った目から放たれる嫌な殺気を受け流し、アルトは悠然と構えた。
「誰だと聞かれて、盗賊に答える名前はありません」
「そうだ! オレは勇者リオン! 悪に名乗る名前はないぜ!!」
一言で矛盾したリオンの言葉に、アルトががくっと肩を落とした。
「馬鹿にしやがって……。おい野郎ども、女は売るから傷つけんなよ」
「「「へいっ!」」」
「残りの男は殺せ!!」
「「「おおお!!」」」
野太い声を上げてた盗賊が、アルトを取り囲んだ。
その盗賊をどう無力化しようか考えていると、隣でリオンがスチャっとドラゴンの長剣を抜いた。
「ダメですモブ男さん!」
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