第161話 嫉妬と無力感

「悪かったな。試すような真似をして」

「え? ああ、本心じゃなかったんですね、よかった」

「当たり前だろ。ダグラには世話になってる。そんなことは絶対にしねぇ。もちろん、テメェを力尽くで帝国に留め置くこともな」

「ありがとうございます」

「ただ、これは帝国や皇帝とは関係ない、いち個人としての願いなんだが、テメェとは繋がりを持っておきたい。犬になれとは言わん。単純に、俺とパイプラインを繋げておかねぇか? いろいろと御利益あるぜ?」

「パイプライン、御利益……。うーん。それって、帝国側に利点はありますか?」


(やはり、想像通りだな)

(こいつは馬鹿じゃない)


 通常なら真っ先に『自分にメリットがあるか?』と聞くところを、帝国側から聞いてきた。

 それは『帝国がアルトの力をどう使うか』によって態度を決める、という意思の表われだ。

 もしテミスが危険な使い方を提案すれば、奴は決して首を縦に振らないだろう。


 素直なのに腹芸もできる。

 まったく侮れない。


 小さく打てば小さく響き、大きく打てば大きく響く。

 実に気持ちの良い奴だ。


「俺は指輪をしなきゃ真実が見えねぇ。だがテメェは違う。だろ?」

「……それは、考えたこともありませんでした」


 アルトが眦を決した。


「魔法に囚われた密偵よりも、魔法に囚われてねぇテメェの報告の方が確度が高い。その目で真実を見て、世界の動向を俺に報告しろ。バイアスのない情報こそが、俺にとって最大のメリットだ」

「なるほど。たしかに、それは大きなメリットですね」

「だろ? ちなみにテメェのメリットは3つある。1つはこれだ」


 そう言って、テミスは懐から1つの指輪を取り出した。それをアルトめがけてテーブルを滑らせる。


「これは?」

「通信用の人工宝具だ。それを填めて念じれば、相手に思念を届けることができる。簡単な通信装置だが、かなり遠くまで届くぜ。

 ちなみにそいつは、誰にでも届くってわけじゃねぇから安心しろ。似たような指輪を填めてる奴で、さらに知り合いで、お互いに意思疎通をしたいと制約することで効果を発揮する。相手が意思疎通したくないと思ってたらできねぇから要注意だな」

「こんな便利な人工宝具があったんですね」

「おうよ。ま、これは軍事機密のひとつだからな。盗まれるんじゃねぇぞ?」

「あ、えっと――」

「んじゃ次だな」


 テミスは矢継ぎ早にメリットを上げていく。彼が一瞬でも断る素振りを見せたら即座に言葉で打ち消す。


 いま、テミスは手を緩めるつもりはない。

 ここで彼を逃すのは、帝国にとって大いなる損失だ。


(だから何がなんでも、絶対に繋がってやる!)





 部屋の扉を出た皇帝は、リオンとシトリーそれぞれに軽く視線を向けた。

 アルトを心配していたのだろうか。扉が開くとリオンは僅かに体を動かし、皇帝だと判った瞬間ため息を吐いた。


 それに文官が眉をつり上げた。


「良い。許してやれ」


(そいつ、本当に馬鹿なんだよ……)


 変わってシトリーはきちんと皇帝に対し、胸に手を当てて最敬礼している。だがその目には戸惑いと、若干の負の感情が見て取れた。


『どうしてアルトが選ばれたのか』

『どうして自分は選ばれないのか』


 そんな強烈な感情を見て、テミスは心から安堵する。


(これだよこれ。これが普通の人間の目だ)


 当然のものを見て癒され、そして当然のものの中に戻っていくつまらなさに、テミスはかるく鼻を鳴らすのだった。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 皇帝が出てきたあと、少ししてアルトも製図室から姿を現わした。

 どこか浮ついたような皇帝の表情に、苦笑したようなアルトの顔。

 両者を見て、シトリーは内心苦いものを感じていた。


「あれ、ダグラさんは?」

「仕事に戻ったぜ。なにかあったか?」

「用意してくれたドラゴンの武具で、短剣だけなかったんですよ」

「そういや師匠、ずっと短剣だったな。そろそろ長剣に変えたらどうだ?」

「短剣の方が動きやすいんですよ」

「でも短剣じゃいずれ火力不足になるぜ?」

「うーん……」


 2人の会話を聞きながら、シトリーは皇帝とアルトの密談の内容が気になっていた。


(一体、なにを話したんですの?)


 表情が険しかった皇帝が、製図室から出てきた時には柔和な笑みを浮かべていた。

 まるで、エルフの酋長と同じような変化だ。


 アルトに対して、初めは罪人を見るような目つきだったルミネの酋長ネフィリルも、最終的に彼に対して信のようなものを示した。


(彼は、なにをしたんですの?)


 シトリーの目から見て、アルトは特別なことは何一つしていない。

 相手に取り入るために手土産を送ったり、機嫌を取るために美辞麗句を述べたり、茶会を開くことも趣味の話に花を咲かせることも、家柄や武力を誇示したり、権力を用いることさえなかった。


 なのに、アルトはエルフ達の信頼を勝ち取った。

 皇帝だって、アルトを信用していたように見える。


 皇帝から名指しされたとき、シトリーはアルトに対しての嫉妬を抑えきれなかった。

 皇帝――時の最高権力者に名前で呼ばれることは、最高の誉れである。


 まったく予想しないときに、予想しない形で名前を呼ばれ、前に進み出て衆目の目に晒される。

『なぜわたくしが?』

『シトリー・ジャスティスの働きに、予は感謝している。素晴らしい実力者であるシトリー・ジャスティスに、一同拍手を!』

 そうしてシトリーは頭を垂れ、感涙を浮かべる。

 ……そんな物語をどれほど夢想したことか。


 目の前にいるアルトは、シトリーの夢想を体現した。

 これほど羨ましいことがあるだろうか?

 これほど妬ましいことがあるだろうか!?


 人から信頼を勝ち取るために、シトリーがかつてどれほど努力し、苦汁を飲み、辛酸を舐め、耐えて耐えて、耐え抜いたか……。


 死にたくなるような努力をした結果、シトリーはユーフォニアを追い出された。


 一方、シトリーのような努力を行っていないアルトは、皇帝・ドワーフ・エルフ3種の長から信頼を勝ち取った。


(一体わたくしとアルトの、なにが違うんですの?)

(努力はわたくしの方が断然上ですのに……)

(何故なにもしていないアルトが、すべてを手に入れられたんですの!?)


 どうしようもない怒りと、どうにもならない無力感。

 それらをシトリーは、必死にこらえることしか出来なかった。

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