第160話 テミスの試験

 突然名指しして部屋に残したっていうのに、アルトはちっとも驚かない。

 テミスは内心、皇帝としてのプライドが傷ついた。


 大抵名前を呼ぶと、下々の者は畏怖を現わしたり、ありがたがったりするものだ。それがまったく無い。

 老人のような落ち着きがあり、頭も回り知識もある彼のことだ。皇帝の権力を知らないわけではないだろうし、かといって敬意がないわけでもない。


 単純に、彼は権力者に対してなにも期待していないのだ。


(いいぜ。テメェのことを見定めてやろうじゃないか)


 テミスは心の中で牙を見せた。


「教皇庁危険因子No7。これからテメェはどうするつもりだ?」

「帝国を出て、しばらく世界を放浪しようと思っています」

「ほう。じゃあ俺がテメェをこの国から出さねぇって言ったらどうする?」

「……ええと、どうしてその必要が?」

「考えてもみろ。テメェはユーフォニアに混乱をもたらした奴だ。12将の魔聖ガミジン・ソルスウェイを倒し、断罪官シトリー・ジャスティスや体聖オリアス・マイツタフらを退け、ワイバーンやドラゴンを倒した。そんなべらぼうに強い奴を、俺が放っておくと思ってんのか?」

「…………」


 テミスがオリアスの名を口にしたとき、アルトの表情が僅かに変化した。

 どうやらこちらの情報網の広さに驚いたようだ。


 これらの情報は、市中に潜伏している〝耳〟によってもたらされた。

〝耳〟は酒場で逢い引きしていたシトリーとオリアスの話を、運良くキャッチできたのだ。


「俺はテメェを手に入れたい。今後、なにかあった場合、テメェのアホみたいな力は絶対に帝国にとって必要になるだろう」

「なるほど。それで、断った場合は?」

「テメェを捕縛する」

「じゃあ、僕は捕まらないようにこっそり逃げますね」


 まるで冗談めかすようにアルトは苦笑した。

 だがきっと、冗談ではない。本気だ。彼が苦笑したのは、そうならなければ良いなと思っていたからだ。そういう目の色をしている。


 皇帝テミスは様々な人間を観察してきた。

 その観察眼で、見た目や腹芸だけの無能な奴らを、何人も失脚させてきた。


 人気を得る力。上に取り入る力。お金を稼ぐ力。和を乱さない力。

 それらは、国家を正しく運営する能力の保証には決してならないのだ。


 それらとは真逆の――人気がなく、上に嫌われ、お金を稼げず、和を乱すような人間でも、瞳に正義が宿り実力が伴えば、テミスはどんどん上に引き上げていった。

 そういう人物こそ、国を盤石のものとするのだ。


 だからこそ、そういう奴らの感情の動きを逃さぬよう、テミスは目を鍛えてきた。

 その彼が、瞳に映った感情の流れを見間違うはずがない。


「逃げられねぇように、ダグラとリベットを捕らえたらどうする?」


 その時のアルトの動揺は、いまだかつてないものだった。

 やっと奴を驚かせることができた。

 テミスは意地の悪い笑みを浮かべる。


「ええと……人質って、あの2人を殺すつもりですか?」

「場合によってはそうなるな」

「うーん。人質って、生きてるから効果があるんですよね?」

「……は?」


 アルトが口にした言葉の意味がわからず、テミスはつい呆けてしまった。

 いや、意味はわかる。

 何故それを口にしたのかがわからない。


 アルトは、ダグラとリベットに世話になっているはずだ。奴が一緒に暮らし始めてから3年。情だってあるはずだ。

 情報によれば、奴とダグラ夫妻の間柄は良好だった。まるで血を分けた家族のようだったと聞いている。


(ならば何故、ダグラ夫妻が死んだとしても自分は逃げる、という意味合いの言葉を口にした?)


 テミスは咄嗟にアルトの瞳を覗き込むが、負の色は浮かんでいない。しかし彼はダグラ夫妻が死んでも良いと思っているわけではないはずだ。でなければ、困惑の色は浮かべない。

 だからこそ、テミスはますます混乱する。


「もしダグラさんとリベットさんが帝国に殺されたら、あるいは殺されなくても捕らえた時点で、ドワーフやエルフとの関係は一気に崩れてしまいますよ。それだと、誰も徳をしません」

「だから、なんだってんだ。ここには俺しかいねぇ。はっきり言え」

「僕にそれだけの価値はありません」


 奴の瞳を覗き込んだテミスは、一片たりとも暴力の影が見えないことに驚愕した。


「…………なんて奴だ」


 アルトほどの実力があれば、帝国を相手にしても己の力だけで切り抜けられる。

 ワイバーン3万匹を葬った奴が、帝国兵数万を相手にして怯むはずがないのだ。


 なのに何故、彼は一切暴力を振るう気配を見せない。


(何故だ?)

(本当は実力がないのか?)

(それとも自分に自信がないのか?)


(……いや、そのどれもが違う)


 そこで初めて、テミスは気がついた。

 恐るべきことに、現在彼は帝国とドワーフ、そしてエルフとのことしか頭にないのだ。


 確かに彼が言う通り、ドワーフとの関係に不和が生じれば、不利益を被るのは帝国であり、そしてドワーフ、さらにはエルフだ。

 それはテミスとしてもまったく歓迎しない。

 アルトを留め置くのに、ダグラ夫妻を用いるのはリスクが高すぎる。


(脅せば本性を現わす思ったんだがな……)


 テミスは頭を掻きむしる。

 見れば見るほど判らなくなる。


 顔は平凡。体格はそこそこ良い。

 見た目はただの村人Aだ。

 しかしその精神力、思考力の底がまるで見えない。


(俺が脅してもびくともしねぇとはな)


 テミスは大声を上げて笑い出したくなる気持ちをぐっと堪える。

 このままだとただの悪役だ。

 魔王になるのも悪くないが、魔王になるにしても、なるべきタイミングがある。

 そしてそのタイミングは、今ではない。


「悪かったな。試すような真似をして」

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