第153話 悩む長老1
ネフィリルがアルトを工房に招いたのは、なにも神に言われて彼を信用したからではない。そもそも神になにを言われても、脳死的に『はいそうですか』と受け入れるわけにはいかない。
フォルテミス教を信じていれば、無理矢理にでも納得させられるのだろうが、ゼマイティス教の最終目的は『離』にある。
教わった技術の型を『守』り、成長して型を『破』る。そうして技術の極地へと向かい型から『離』れる。
守破離の精神があるゼマイティス教だからこそ、確立した個の判断は尊重されるのだ。
とはいえ、ネフィリルは主神の言葉を授かった。
たとえ守破離の概念があろうとも、主神に対しての敬意は不変である。
信用が無理ならば、一端保留にして、見定めれば良い。
そう思い、ネフィリルはアルトを工房に招いたのいだ。
アルトは人間だ。
人間は乱暴者だ。
だからアルトも乱暴者である。
普段は虫も殺さないような顔をしているけれどいつかその内面にある乱暴者の本性を現わすだろう。
そう思い、ネフィリルは彼を監視することにした。
彼には適当に《術式製作》の仕事を与えたが、技術がないものがすぐにエルフの技をマネできるものではない。
しかしどうやら彼には素養があるらしく、エルフから説明を受けるとすぐに《術式製作》を理解し、実践した。
もちろんその出来は完璧には程遠い。文字は揺れているし、回路掘削だって無駄が多い。初心者ではないにせよ、エルフと比べるとまだまだである。
しかしアルトは結果にめげる様子もなく、まるで何かに取り付かれたかのように目の色が変わった。
その真剣な目つきでドワーフ製の武具を眺め、金緑石の粉末も用いずに刻印の練習を行い続けた。
金緑石の粉末を使わなければ、大人のエルフでも1度やればマナが枯渇する。にもかかわらず、彼は次々と刻印を行っていくのだ。
これには2000年以上生きているネフィリルでさえ背筋が振えた。
(そういえば、奴はワイバーンを討伐したと言っていたな)
きっと仲間とともに力を合わせて討伐したのだろう。そう無意識のうちに了承されていた前提がガラガラと音を立てて崩れていく。
(まさか奴が1人で倒したのか!?)
その可能性は十分考慮に値する。
なぜなら金緑石の粉末を用いずに刻印を続けるというのは、上級魔術百発や二百発など余裕で放てるレベルでなければ不可能だからだ。
(ここで暴れられてはどうなるか……)
慌てたネフィリルハンナミネの長老衆に声をかけ、彼への監視体制をより強固にした。
(やはり彼を招き入れたのは間違いだっただろうか?)
ネフィリルのその後悔は、夜になり朝になっても作業を続け、いきなり倒れて眠り始めて安心した少し後、目を覚まして作業に戻る。そんなアルトを監視し続けている間に、意味合が大きく変化した。
(なんなんだこいつは!? 真面目か!)
(乱暴を働くどころか、熱心に働き過ぎだ!!)
彼の働きっぷりはまるでケツァム中立国にいる奴隷のようだった。
食事さえ忘れてひたすら作業に集中し、休憩はマナが枯渇して気絶した時のみ。
「……我々はいつから奴隷を雇ったのだ?」
監視を続けるあいだ、長老衆の誰かがそうぽつりと呟いた。
その気持ちはネフィリルにも分かる。
彼を見ていると、まるで自分たちが彼を使役しているような気分になるのだ。
もちろんそんなつもりは毛頭ない。
ネフィリルはただ彼の本性をあぶり出したかっただけだ。
長老衆の中には、
『我らの同胞が人間に酷い目に遭わされたのだ。我らも人間に同じ事をやり返してなんの罰が当たるというのか。だから奴が馬車馬のように働くのは当然だ!』
そう声を上げるものもいた。
(しかし、それは違う)
断じて違うと、ネフィリルは思った。
使役されている奴隷が、あのように楽しげな表情をするはずがない。
何故腹を空かせて微笑んでいる?
何故マナが枯渇すると悔しそうな表情になる?
何故目が覚めて目の前に武具があると喜ぶ?
何故エルフに未熟さを指摘されて感動できる!?
奴は、変態なのではないか?
それもとびりきの……。
森の賢者と謳われ、様々な知恵をその脳に刻みつけた頂点。エルフの酋長であるネフィリルをもってしても、彼を定義しうる言葉が、『変態』以外に見つからなかった。
監視を続けて2週間経ったころ、1日も休まず働き続けたアルトの手がついに止まった。
それは彼が疲れて手を休めたわけではない。ドワーフが持ち込んだ武具が尽きたのだ。
仕事が一段落したというのに、しかしアルトの表情が冴えない。
というか、半分泣きそうになっている。
まるで道を見失った子供のような顔である。
(……もう、訳が分からない)
これまで監視を続けて来た長老衆たちの姿はもうない。
監視を初めて1週間経ったころに、アルトの評価を『変態』と見定めて立ち去ってしまったのだ。
『あの変態がなにかやらかすわけなかろう』
『どうせ変態のことだ、未刻印の武具が欲しくて暴れるくらいじゃないか?』
『あんな非暴力的で生産的な変態は初めてみたわ』
『変態の監視を続ければ、こちらまで変態になりそうだ』
『断食・断水・不眠・不休・不臥。それを喜んでやがる……』
『怖い。変態怖い』
変態の恐怖に当てられ、また変態作業に毒気を抜かれた長老衆は、監視を続けることがばからしくなってしまったのだ。
しかしそれでもネフィリルは諦めなかった。
いま、自信の眼に曇りはない。
人間憎しの歪みも、もうない。
ネフィリルはただ、純粋に彼の原動力が気になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます