第152話 彼女についた鼻

「――ってなことがあったんだよ師匠! おかしいだろ!?」


 休憩していたアルトの部屋に、凄まじい剣幕をしたリオンが飛び込んできた。


「ワイバーンを倒したのは師匠なのに、そのすべての功績をあのまな板女がかっさらったんだよ!! 酷くねぇ!?」

「まな板ではありませんわ!!」

「ん? シトリーどうしたんだよ後ろなんて向いて……ああわりぃ。背中かと思ったぜ」

「キェェェェェェイ!!」

「待った待った!」


 涙ぐみながらリオンに掴みかかろうとするシトリーをなんとか押さえつける。


「あでッ!!」


 それとほぼ同時に、リオンの頭上に《ハック》で移動させた冑を勢いよく落とす。


「リオンさん、さすがに言い過ぎです。シトリーさんでストレス発散しないでください」

「ちぇっ! 師匠のケチ」

「ケチじゃありません」

「アルト……。わたくしなんかが名声を得てしまって、申し訳ありません」

「別に気にしてませんから、大丈夫ですよ」

「師匠、なんでシトリーを庇うんだよ?」


 頭をさすりながら、リオンがにらんでくる。


「良いじゃないですか。功績がまったく認められないよりも、その一部でも認められるなら」

「いやいや、シトリーはなにもしてないだろ。功績がない奴にかっ掠われたんだぜ? なのに、なんで師匠は怒らないんだよ?」

「じゃあ王様はなにもしてないのに、なんでみんなから慕われるんでしょうか?」

「それは王様だからだな!」


 どや! という顔をしてリオンは勢いよく胸を張った。


「……さすが勇者」

「だろっ!」

「0点です」

「なんでだよ!?」

「少しは頭を使って答えてください……」


 アルトは頭痛をこらえながら口を開く。


「宰相や将軍の命令で兵士が街を整備して、治安を良くして、魔物を退治する。それで住みやすい街になったら、みんなは王様に感謝しますよね?」

「そりゃ、まあ、そうだな」

「それって、王様が宰相や将軍、兵士の功績を奪っているのでは?」

「っく……。いるんだよなあ、部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下のものって奴!! だから世の中良くならないんだよ!」

「しまった、変なスイッチが入った……」


 リオンがフンスフンスと息を荒くする。それとは対象的に、シトリーはピタリと動きを止めて、じっと一点を見つめている。


「話を戻しますけど、王様が民衆のために指示を出して、宰相や将軍、兵士が民衆のために働いて、その結果すごく国が良くなっているのに、誰1人良くなったことに気づかないって、すごく怖いことだと思いませんか?」

「う~~ん?」

「誰も良いことに気づかないよりも、1人でもいいから良くなったことに気づいてもらえるほうが、状態としては何倍も良いんです。わかりましたか? モブ男さん」


 一度目にエアルガルドに誕生したとき、ハンナ以外の誰にもその存在を認められることがなかったアルトだから言える。

 誰にも、その名も足跡も、覚えられなかったアルトだから思う。


 どんな形であれ、その手柄が誰のものであれ、自分が歩いた足跡が認識されたことに違いはないのだ。


「でも……師匠の手柄が……」

「それは全部、シトリーさんに受け持ってもらいましょう。彼女の名声が高まれば、ボクらがそれだけ頑張ったってことになります。それで良いのでは?」

「……時々思うけど、師匠って老人みたいだよな」

「ろ、老人ですか?」


 リオンの言葉にアルトの心臓が震える。

 それを悟られないよう、アルトはすっと表情を消した。


「うん。達観してるっていうか。若気の至り的な衝動がないというか……。ちょっとジジくせぇ」

「そ……そんなことないゼ? おれは若いゼ」

「う、うん。師匠が若いのはわかった……わかったから、無理しないでねおじいちゃん」

「くっ!」


 肉体年齢は若いのだが、アルトは若者がもつ万能感はすでにない。

 それは一度目の人生で、老人まで生きたせいだ。


 しかしここへきて、精神のジジ臭さがリオンによって浮き彫りにされるとは……。


(少し、若作りしてみるかな……)


「さておき、おかげ様で、僕らはその功績をシトリーさんに知らしめてもらいました。ドラゴンを討伐したのに、誰も信じてくれなかった頃と比べれば、かなりの進歩ではありませんか?」

「ああ、たしかにそうだな……」

「でしょう? だから、シトリーさん」

「はひ?」


 油断していたのだろう。

 話を振られたシトリーの声が盛大にうわずった。


「ワイバーン討伐が認められたのは、シトリーさんのおかげです。シトリーさんがいてくれたから、僕らの功績が認められました。ありがとうございました」

「いえ、そんな……わたくしは……うぐ、それほどの……ぐ、ことはっ……」


 そこからは、声にならなかった。

 ぼろぼろと涙を流し、シトリーがうずくまる。

 声は決して上げず、涙を流す様子さえ決して見られないように。


 いま彼女には〝鼻〟が付いている。

 それはあると晒(わら)われ、無いと敵視される長い鼻だ。


 しかしアルトには、彼女の鼻をどうにかしてあげられない。

 それは彼女が、1人で乗り越えなければいけない問題だからだ。


 とはいえ、問答無用で突き放すのは冷たすぎる。


 袖すり合うも多生の縁。

 倒れそうになっていたら、暖かい手料理のひとつくらい作ってあげるべきだ。

 なぜならいまの彼女は、アルトやリオンという足場を失えば、たやすく堕ちてしまうくらい不安定だから……。


(だからリオンさん。シトリーさんをあんまり責めないでね)




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鼻のくだりは、芥川龍之介の「鼻」から。

何をやっても罵倒され、さりとて何もしなくても文句を言われるっていうのは、もはや文化なのでしょうね。

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