第149話 心の迷い

「教皇庁指定の討滅対象の捕縛……もとい殺害は後回しですの?」


 シトリーは目を丸くして首を小刻みに横に振った。

 それは、信じられない事態だ。

 フォルテミス教を信じるユーフォニアが、教皇庁指定の罪人を後回しにするなど……。


「よほどのことがありましたのね」

「セーイ。No4が暴れやがった」

「No4?」

「セイ? シトリーは墜聖を知らなかったか」

「存在だけなら知っていますわね」


 現在は剣席が空位のため、12将は全員で11人。そのうちシトリーは9人と顔を合わせたことがある。

 しかし一人だけ、最後まで顔を見ることがなかった人物がいる。


 それが、墜聖。


「No4って、なんですの?」

「教皇庁指定危険因子No4だよ」

「――はっ!? なぜそんな存在を12将なんかにしたんですの?」

「セイセイ。そりゃお前、奴の実力が破格だからだよ。危険因子っつっても、No4。討滅令は出ていない。昔のマキア・エクステート・テロルと同じでな」


 ユーフォニア12将は王国最高位の称号だが、その中にもランクの違いがある。

 聖字持ちと、無字だ。


 弱い者はシトリーのように無字となる。

 強い者であれば聖字が与えられる。


 聖字は全部で6つ。現在『聖』の字をいただいているのは、たった三人だけ。


『魔聖』のガミジン。『体聖』のオリアス。

 そして、『墜聖』のNo.4だ。


 教皇庁指定危険因子であり、なおかつ強力な破壊を意味する『墜聖』の聖字が与えられた人物。

 それだけでどれほどの実力者かが想像できる。


「セイ、その墜聖を抑えに行けと指令が下ったと。さすがの俺も、墜聖は抑えきれないかもしれない」

「そこまでの相手ですの?」


 聖字持ちは伊達ではない。

 その上、オリアスは神代宝具持ちだ。


 神代宝具は、ガミジンが持つ人工宝具とはわけが違う。

 人間でも、ひとたび解放すれば本物の魔法(きせき)を起こせる。


 それを持っているオリアスが抑えきれないなど、シトリーは想像できなかった。


「質問がありますわ」

「セイ?」

「その指令はどのようにして貴方の元に届けられたのですか?」

「セイセイ。この指輪だ」


 そう言って彼は右手の中指に填められた指輪を左手で弄った。

 そこには無骨な銀色の指輪が填められていた。一見するとただの装飾のように見えるが、やや微量の魔力を感じる。

 その銀色の光沢は、ミスリルか。


「魔導具ですの?」

「セイ。神託の原理を模して作られた魔導具って話だ。相手が遠くにいてもマナを籠めれば思念を飛ばせる」

「そのような甘美な魔導具もあったのですね。恋仲の男女に人気が出そうですわ」

「セ、セイ? なんで恋仲の男女に人気が出るんだ? いまどきの恋人は大規模掃討作戦の連絡でもしあってんのか?」

「貴方はロマンスが理解できませんのね。互いが離ればなれになっても思いが届く。素晴らしいと思い――」

「セーイ! 麦酒もう1つ!!」


 聞いちゃいない!

 オリアスはこの手の事に鈍感……というか筋肉以外に興味がない奴である。

 そういうところはアルトやリオンと同じだ。幸いにも彼らの興味は筋肉に向けられてなどいないが。


(男とはそういうものなんですの?)


「それで? なぜその話をわたくしに?」

「セーイ……」


 彼は杯を持ち上げ、自らの二頭筋を見下ろした。まるで盛り上がり方に満足出来なかったように、眉根を寄せる。


「これが最後になるかもしれねぇと思ってな」

「……死ぬ気ですの?」

「馬鹿を言うな。死ぬ気なのはお前だろ」


 唐突な指摘に、シトリーの息が止まった。

 予想外の一撃だった。

 そんなこと一言だって口にしていないのに。


「セイセイ。そんなに驚くようなことじゃねえだろ? 俺はお前と違って成り上がりだ。戦場で生きる奴、死ぬ奴、心を壊す奴、いろいろ見てきてる。だから、わかるんだよ。生きたがってる奴も、死にたがってる奴も、心が壊れた奴も」

「だから、なんですの?」


 シトリーはぎりっと奥歯をかんだ。


「わたくしがどこでどう死のうと、貴方には関係のないこと。わたくしはもう、12将ではありませんのよ」

「そう言うと思ったよ、セーイ。お前が名誉を重んじる奴だってのは知ってるからな。だがなあ、お前が死んだからって、名誉が回復するわけじゃねぇんだぜ? お前が死んでも、名誉回復のきっかけが生まれるだけだ。あとは他人頼み。

 それでいいのか? お前は、自分の汚名返上を他人に仮託しても。もしかしたら死後に、さらに悪い噂を――」

「そんなこと知ってますわ!」


 思いの外大きな声が出て、シトリーは自分でも驚いた。

 僅かに上がった腰を再び椅子に下ろす。


「死んでしまえば終わりだってことくらい、知っていますわ」

「……セーイ」


 オリアスが2杯目の麦酒を飲み干し、杯でテーブルを叩いた。


「ひとつだけ覚えておいてくれ。俺は断罪官の任務に失敗してからのお前を知ってる。お前がどれほどジャスティス家のために尽力してきたかもな。

 12将になるまで手を汚すことも厭わなかったお前が、その政治力を封印して、誠意ある態度で職務をこなしてきたことも。俺は、お前が正しかったと思ってる」

「でしたら、何故このようなことになったのですか? ユーフォニアは正義神をあがめる国。わたくしの行動が本当に正しかったのなら、ユーフォニアに居られなくなるはずありませんわ!」


 何故12将の任を解かれた?

 何故断罪官さえ首になった?

 何故両親は自分に絶縁状を叩きつけた?


『あいつ、今の地位に上り詰める為に誰彼構わず夜をともにするらしいぜ』

『あの胸でか?』

『どうやって誘惑するんだよ』

『あんな女、金をもらったって抱くのは嫌だね』

『女ぁ? 男だろ?』

『違いねぇや!』


 欲望の権化。堕落した女。大淫婦。

 何故純潔を守り続けた自分が、身を切り刻まれるような陰口を叩かれなければ行けなかったのか?


 そのせいでどれほどの薄汚い男達に寝所に誘われたことか。

 誘いを断れば中傷され、かといって受けるなどもってのほか。


 どれほど下手に出ようと、誠意を表そうと、本音を口にしようと、誰1人シトリーを信用しない。

 いままで下に付いて来た者も、友人と呼んできた同僚たちでさえ、尊敬が侮蔑に翻り、シトリーに近づくことさえなくなっていた。


 自分が正しかったのなら、そんな目には遭わなかったはずだ。

 正しいことをしていたのなら、正義神が手を差し伸べるはずだ!!


 オリアスの言葉で、いままで封印してきた記憶の蓋が僅かに開かれた。その中から冷たい記憶と、黒々とした粘性の感情が溢れてくる。

 気づけば、シトリーの心は激情に満たされていた。

 目頭が熱くなり、涙があふれ出す。


「セイセイ。なんでって聞かれたって、んなことは知らねえよ。だがなあ、正しいことってのは、必ず報われるわけじゃねぇんだよ」

「それ、正義神の前でも言えますの?」

「勘弁してくれ。俺が言いたいのは、俺は、俺だけは、お前の正しさを知ってるってことだよ」


 オリアスは銀貨1枚を置き、無言で酒場を後にした。

 オリアスが残した言葉と、アルトが口にした言葉が、互いに螺旋となってシトリーの胸を締め付け続けた。

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