第148話 セイセイセイッ!
夜の12時。アヌトリア帝国首都イシュトマの外れで、シトリーはリオンとともに野宿を行っていた。
恋仲ですらない男と夜を明かすなど、王国を出る前の自分ではまずあり得なかった。だがアヌトリア帝国まで旅をする中で、考え方が変わった。
「はぁ……」
よだれをだらだら垂らしながら爆睡するリオンを横目に、シトリーはため息をついた。
そもそもこの男は、シトリーをなんとも思っていない。
女だと意識されて発情されるのは勘弁願うが、全く意識されていないのも、それはそれで腹が立つ。
このままたき火を見ていると、自分という存在そのものを見失って、自然の中に溶けてしまいそうな気がしてならない。
「……」
でも、それもいいかもしれない。
そう思っているときだった。
ふと、シトリーの前に、まるで影が実体を持つかのように音もなく、ぬるっオリアスが現れた。
〈気配察知〉の熟練度がかなり高いシトリーをしても、いまの彼の気配は察知できなかった。
いったい、現在の彼はどこまで弱っているのだろう?
そして――どれほど強化されているのだろう?
「……なんですの?」
「セーイ。そう気を立てるなよ。ちょっと街までいかないか?」
「……街に行って、どうするんですの?」
「飲まないか?」
そう言って、オリアスはグラスを傾けるような仕草をした。
(暗殺、ですの?)
警戒するが、すぐに首を振った。
オリアスが現れても、リオンが目を覚まさない。
間の抜けたことを口走り、〈気配察知〉が下手くそで、戦闘中でもまったく緊張感のないリオンだが、殺意にだけはやたらと敏感な面がある。
その彼が未だに眠っているということは、オリアスに闘争心がかけらもないからだ。
「わかりましたわ。わたくしを誘うのですから、良い場所ですのよね?」
「何言ってんだ。安酒場で十分だろ」
「くっ……」
オリアスの皮肉にシトリーが歯ぎしりをする。
たしかに彼の言う通りだ。今のシトリーは、高級店に釣り合う存在ではない。
シトリーがつれて来られたのは、ドワーフ街にある酒場だった。
すでに日を跨いでいるというのに、客が途絶える気配がない。人間とは違い、ドワーフはこの時間になってもまだ、酒を飲み続けるようだ。
「おうテメェもう一度言ってみやがれ!!」
「んだオラァ! もういっぺん言ってやるよぉ!」
顔を真っ赤にしたドワーフ2人がつかみ合うのを尻目に、シトリーとオリアスは酒場の隅の空席に座った。
ドワーフが掴みかかっても、誰もまるで動じない。ここでは喧嘩が当たり前なのだ。
「テメェの不細工な顔を見てると吐き気がしてくるんだよ!」
「んだとぉ!? テメェ、俺の顔が不細工だとぉ!?」
「ああ、そう言ってんじゃねぇかよぶ男!!」
「俺の顔ごときで吐き気を催しやがって。俺のカミさん見て吐きてぇのか!」
「顔見て吐くとか、自慢してんのかクソ野郎! 俺のカミさん見たら気絶すんぞコラァ!!」
「バッ!? お、おい、あんま大声出すんじゃねぇって馬鹿、聞かれたら死ぬぞ!?」
「おう……悪い。ついカッとなっちまって。判ってくれるなら良いんだ同胞よ……」
「ああ判るとも。今日は、たっぷり飲もうぜ、兄弟」
胸ぐらをつかみ合っていたはずのドワーフが、いまでは2人方を組んで杯を傾ける。
なんだあの、意味不明な団結感は……。
「……わたくしに何の用ですの?」
「セーイ! 麦酒2つ! ……いやはや、麦酒を飲むのは久しぶりだなぁ」
「それで、なにがあったんですの?」
「セイセイ。大切な話は酒が来てからだ。それより、帝国はどうだ?」
「それ、レアティス山脈の麓でも聞きましたわね」
「セーイ、今回のは食事の話しじゃない。お前自身どう思ってるかって話だ。帝国は住みやすいか? それとも、ユーフォニアに戻りたいか?」
「……さあ、どうでしょうね」
答えを濁したのは、ただの意地だ。
いくら国を愛していても、自分を捨てた国に自分から戻るのは、自らのプライドが許さない。
「そういえば、よくアルトのスキルから抜け出せましたわね」
「セイ! 俺の筋肉はそんじょそこらのもやしッ子とはデキが違うんだよ! あれくらい、自慢の筋肉で攻撃し続ければ抜け出せるってもんさ!」
気丈に振る舞ってはいるが、彼の左手はすりむけ、右手は目を背けたくなるほどズタズタである。右足だって骨が折れているかもしれない。ここに来るまでに足を引きずっていたから間違いないだろう。
それほどの怪我を負わなければ脱出できないアルトの罠を褒めればよいのか。
それとも、自分を傷つけてまで抜け出したオリアスを褒めれば良いのやら……。
実に悩ましい。
「冬になれば無理矢理脂身を食べ、夏になれば全力で脂肪をそぎ落とす。そうして生み出した太い筋肉! セイッ! どうよ? 筋繊維の一本一本が生き生きしてるだろ!? セイセイセイセイセイ!!」
「脱がないでいただけますか? 鬱陶しいですので」
この男は筋肉のことになると、何故こうも馬鹿になるのだ?
……いや、きっと怪我の痛みを誤魔化しているのだ。
しかし、出来るならばここで脱がないでもらいたい。
麦酒を運んできたドワーフが、オリアスを見てぎょっとしているではないか。
運ばれて来た麦酒の寸胴な杯を手にしたとき、オリアスがこちらに杯を傾けた。
「……なんですの?」
「杯を合わせるのが、この地での乾杯だそうだ。杯を重ねろ」
シトリーは恐る恐る杯を重ねた。
カキン、と小気味よい音がなったとき、シトリーは少しだけどきっとした。
ユーフォニア製の薄い杯でこんなことをすれば、簡単に割れてしまう。だからユーフォニアの乾杯は、目の前に杯を軽く掲げるだけ。
それがもっとも洗練された動作であると、シトリーは思っている。
「野蛮ですわ」
「そうか? セーイ……。こういうもの悪くないがな」
麦酒に口をつけると、嫌な苦みが口の中いっぱいに広がった。甘くも辛くもない。ただの苦みと少量の泡が喉の奥に流れ込んでいく。
……嫌な味だ。
「俺はこれから新しい任務に就くことになった」
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