第139話 討伐という名の魔術練習

 その安らかな声に、シトリーの堰が崩壊した。


「え? ……え?」


 ぼろぼろと涙が溢れる。


 何故?

 どうして、涙が出るんだ!?


 止めようと足掻くけれど、止まらない。

 それは嗚咽を誘発し、ついには酸欠になったように頭が真っ白になって崩れ落ちた。


 いままで抱えきれぬものを無理して抱えてきた分だけ、長く、多く、止めどなく、シトリーの目から涙が流れ落ちる。


「どうして。わたくしは、死ななかったのですか……」


 絞り出すような声に、アルトは胸ぐらを掴まれるような思いがした。


 ハンナのときもそうだった。

 リオンのときも。

 何故自分の前には都合良く、まるで自分に似た苦痛を抱いている人物が現れるんだ?


 帝国に来て2年経って意識が戻ったとき、アルトはまず、何故自分が死んでいないのかを考えた。

 何故ルゥだけが死んでしまったのか。

 自分は死ぬだろうと思っていたのに、何故生き延びてしまったのか。

 あれで完全に終わりだと思ってた。

 なのに、人生はまだ続いている。


 失われたもの、それにより感じた苦痛はまったく違うが、アルトとシトリーはどこか似ていた。

 特に、終わらせようと思っていたところなどが、そっくりだ。


 だからアルトは、苦しかった。

 彼女の無謀さの深い部分にあるものが、わかってしまったから。


 そして、彼女を殴ったリオンの思いもまた。


(残されたほうは、寂しいんだ……)



 雰囲気に流されて気が緩んでしまいそうになるのを、ぐっと堪える。

 まだ戦闘は終わっていない。


「この悪魔、殺しちゃって良いですか?」

「ああ、いいぜ。さっさと殺ってくれ」

「…………」


 シトリーに返事はない。いまはアルトの声など聞こえていないだろう。


「ならさくっと成仏してもらいましょうか」


 アルトは足下に手の平を向けてマナを練り上げる。

 悪魔は現在、足下にいる。

 足下の地中深く。数十メートルある穴のもっとも深い場所に。


 それはアルトが放った切り札――〈グレイブ〉である。


 アルトの作成する罠は、レベルが離れすぎていると通用しなくなる。

 中級悪魔のステータスは通常の魔物と比較して大凡レベル90ほどあるが、実際のレベルは40~50程と、アルトとそこまで変わらない。


 キノトグリスでの戦闘で、悪魔にも〈工作〉が通用することは既知である。


 とはいえ前回は初級、今回はおそらく中級の悪魔だ。

 落とし穴に落ちても、下手に浅ければ自力で脱出してしまうかもしれない。


 そこでアルトは穴を可能な限り深く作成した。


 途中、深く作成しすぎて底が地底湖かなにか、別の空間に繋がってしまった。

 どうやら〈グレイブ〉は別の空間につなげることも出来るようだ。


 地底の空間にすっぽぬけては悪魔を倒せない。

 アルトは慌てて〈グレイブ〉を再作成。

 さらに直上に〈ハック〉も追加する。


 あとはタイミングを見計らい、悪魔を罠に填めるだけだった。


 そこで、シトリーが突っ込んだ。

 それを見てアルトは慌てて罠を発動。

 悪魔が〈グレイブ〉に素早く収納された。


 狙いは予想通り大成功。

 おそらくコンマ一秒でも〈工作〉の発動が遅れれば、シトリーの頭は今頃ザクロのようになっていたことだろう。

 間に合って本当に良かった。


 さておき、アルトは手に集中させたマナを形成していく。

〈水魔術〉が効果的だったのは判明しているが、すぐに息の根を止めるつもりはない。

 折角生け捕りにした悪魔である。

 熟練上げに使わない手はない。


(ひゃっほう!)


「なんか師匠が悪い顔してる」


 まずは、底面で〈重魔術〉を発動させ悪魔を束縛し、熱・土・風の魔術を叩き込む。

 下に降りていく魔術群が、〈重魔術〉圏内に入り速度アップ。


 ごごご、ずがが、ばばば。

 足下から危険な音が聞こえる。


 背筋が凍るほどの音なので、穴の直上には絶対に近寄らない。まさかとは思うが崩れて落ちるのは嫌である。


 落ちたら死ぬ。それほど、今回作った穴は深い。

 きっとこれに落ちて生きていられるのはリオンくらいなものだろう。アルトが庭に掘った穴に落ちても普通にピンピンしていたので、間違いない。


 魔術の余韻が消えても、まだ悪魔は存命しているようだ。穴から抜けだそうと藻掻いているが、〈ハック〉が底面に押さえつけている。

 ここから抜けようと思ったら、ガミジンの宝具くらいの力を解き放たなければ無理である。


 いくつもの初級魔術を放り込み、悪魔に魔術の雨を降らせ続ける。

 マナが半分くらいになったところで、メインディッシュ。

 本日の水攻め。


「すんすんすーん♪」


 音の鳴らない歯笛を吹きながら、アルトは大量に水を注ぎ込んでいく。


「悪魔よりも変態のほうがよっぽど悪魔に見えるな……」

「失礼な。こんなに善良な市民は他にはいませんよ?」


〈グレイブ〉の穴に大量の水を注ぎ込み、大体中ほどまで溜まったところで魔術を止める。

 ここに魔術試験官のドイッチュがいたらどんな反応を示すだろう? 素直な反応を見てみたいが、きっと実行したのがアルトならば、現実を見ても幻だと言い張るに違いない。


 そんな下らないことを考えながら1分。2分。

 さらに時間が経過しても、死なない。


「……あ、そうか。今回の悪魔は石像(ガーゴイル)タイプだから、呼吸をしてないのか」


〈水魔術〉で継続ダメージを与えられているとはいえ、このままだといつ死ぬかわからない。


「うーん。仕方ない」


 マナの残量が少ないが、上級魔術で一気に仕留めるべきだろう。

 アルトは左手を地面に向け、全力でマナを練り上げる。


「…………っ!」


 マナがすべて吸い取られるような感覚が全身を襲う。


 使うのは〈火魔術〉と同じ、〝現象〟に属す、非常に難易度の高い魔術――〈雷魔術〉だ。


 風を練り上げ、静電気を蓄える。

 上と下で電位差が生じたら、あとは簡単。

 発生する雷にマナを乗せて放つだけ。


「〈ライトニング・ボルト〉」


 ――ッタァァァン!!


 地面が揺れる程の音が響き渡った。

 その音に、リオンがびくんと体を震わせた。


「……師匠、なにやらかしたんだよ」

「やらかしたとは失礼な。〈雷魔術〉を使っただけですよ」

「雷!? おー。すっごく勇者っぽい魔術だな! オレも使いてぇ!」

「リオンさんには無理だと思いますけど」

「やらなきゃわからないだろ? 今度教えてくれ!」

「はあ……」


 アルトでさえまだ上手く扱えないのだ。いくら勇者でも、頭がリオンでは再現できないだろう。


 さておき、〈雷魔術〉は命中した。

 感電したガーゴイルから急速に生命力が失われていく。


 ぱしゅん、と罠の中でなにかが弾ける

 途端に、急激に体が重くなっていく。

 レベルアップ酔いだ。


 リオンはレベルが高いからか、酔いが軽く済んでいるようだ。すぐに態勢を持ち直した。


 しかし、アルトは違った。

 総合ダメージなのか、単純にレベルが低いだけなのか。強いレベルアップ酔いに意識が朦朧とする。


「モブ男さん……あとは、任せます」

「おっけ。休んで良いぜ」


 リオンの心強い言葉に安堵し、アルトは引き留めていた意識を手放した。

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