第138話 無謀な行動

 リオンが大声を上げながらゲシゲシと蹴りつけると、やっと悪魔がヘイトをリオンに向けた。

 悪魔のプレッシャから解放されたアルトの背中が、途端に大量の汗を吹き出した。


「あ……危なかった」


 冷静に対処しているとはいえ、内心ははらはらだ。

 特に、レベルアップ後すぐの戦闘でこれだけの相手と戦うのは初めてである。まだ上がったステータスにも慣れていない。

 なにが出来るかわからない状態で命をかけることほど、怖いものはない。


(この攻撃力で、中級……)


 更に上があるなんて、考えたくない。


 額に浮かんだ汗をぬぐい、再び集中力を高めていく。

 今度はヘイトを奪わぬよう、威力を控えめにする。


 相手がいつ反撃しても良いように、足を動かし続ける。


 リオンは体力にものを言わせ悪魔の攻撃を受けてはいるが、動きにいつもの切れがない。

 悪魔の攻撃は、それほど強力なのだ。


 じり貧になるとマズい。

 とはいえヘイトは奪いたくない。


 いまこの場で悪魔を倒せる火力があるのは、おそらくアルトのみ。

 ヘイトを奪って一撃でももらえば、即全滅だ。


(どう切り抜ければいいんだ……)


 焦る気持ちを抑えつつ、アルトは初級水魔術の〈水弾(ウォーターボール)〉を、ヘイトをギリギリ奪わない間隔で当てていく。


〈水魔術〉を当てて、どきどきヘイトが向きそうになったら手を休める。

 その間も、じりじりとリオンの体力が削られていく。


 そろそろ限界だ。

 かといって、いますぐ悪魔を討伐出来る攻撃や魔術を、アルトは持っていない。


「……仕方ない」


 真っ向勝負はやめだ。

 アルトは一度魔術を止めて、切り札を切ろうとした。

 そのときだった。


「わたくしもいますわ!!」

「な――!?」


 リオンが吹き飛んだタイミングで飛び出したシトリーが、細剣を抜いて突っ込んだ。


 危ない!

 忠告するより早く、シトリーに悪魔の腕が伸びる。

 だがシトリーはそれをぎりぎりのところで躱し――いや、鎧に掠らせて機動をズラしながら、相手の懐に入り込んだ。


 凄まじい神業。

 鎧の性能と、肉体性能、相手の攻撃力を十全に把握して、なおかつ針の穴に糸を通すような技術が無ければ、きっと悪魔の攻撃に吹き飛ばされていただろう。


「せえぇぇぇぇぇい!!」


 シトリーが突出したレイピアが、悪魔の胸に突き刺さり。

 突き刺さり――。


「え?」


 戦闘中だというのに、シトリーは呆けていた。


 悪魔の胸に当たった細剣は、刺さらずに弧を描いた。

 先端は胸で止まっている。

 悪魔の防御を、貫くことができなかったのだ。

 反り返った細剣が、


 ――パキン。


 その変形に耐えきれず、折れた。


「――ッ」


 甲高い音を立てて折れた細剣の尖端が地面に落ちる。

 その前に、悪魔は既に振り抜いた逆の拳を打ち抜いた。


(ああ、死にましたわね……)

(でも、これで良かったのですわ)


 どうせ家には戻れない。魔物もまともに狩れない。

 技術だけは一人前なのに、腕っ節は酷く弱い。

 こんな弱さでは、ジャスティス家を再興させられるほどの偉業を成すことなど不可能だ。

 己の汚名をそそぐことすら、出来ないに違いない。


 恥をさらしてまで生きるつもりは毛頭ない。

 だから、最後は絶対に、誰しもが敵わない相手の手で……。

 それがシトリーが願った未来だった。


 臆すこと無く最強の相手に立ち向かい死んだ。

 それが筋書きだ。


 シトリーは命をかけて、名声を欲した。

 けれど、死はいつまでも訪れなかった。


 恐るべき痛みも、衝撃も、意識の断絶もない。

 恐る恐る目を開くと、目の前にいたはずの悪魔の姿がかき消えていた。


「…………え?」


 自分は死んだはずでは?

 後ろを振り返ると、顔を青くしたアルトが目を閉じて、ふぅーと深く息を吐き出していた。


「わたくしは……死んだはずじゃ――」


 突然、シトリーの頬に激しい衝撃が加わった。

 そのあまりの強さに足下がよろけ、けれどなんとか踏みとどまる。


「な……」

「なにしてんだよ!? アンタ死ぬ気か!?」


 男性からあらゆる恫喝を受けても動じなかったシトリーをもってしても、リオンの剣幕は怯えるほどだった。


 ボロボロになったリオンが、さらに詰め寄ってきた。

 胸を力いっぱい掴まれ、ぐわんぐわんと前後に揺られる。


「いいか? 勇敢であることと、死ぬことは別物なんだよ。弱いなら、黙って指をくわえて見てろよ。それが出来ねぇなら、死にてぇなら、今すぐオレたちの前から立ち去れ。オレの目の前で、無駄死にしようだなんて、絶対に、許さねぇからな!!」

「リオンさん。その辺にしといてあげてください」


 アルトが仲裁に入ると、シトリーの胸ぐらからリオンの手が離れた。


 一体、なにが起こったのかがまだわからない。

 シトリーは呆然としたまま、リオンを見る。

 頬も耳も目も、その髪のように真っ赤だ。


 ここに来るまでの1年間。シトリーは何度もリオンが怒るところを見てきた。

 だが数ある怒りの表情と、今回のそれはまったく別物だった。


 彼は、シトリーがこれまで1度も見たことがない表情で怒っていた。

 なのにそこに嫌な感じはなくて、見ているだけで胸が締め付けられるなにかがあった。


 たまらず視線を外し、こちらに近づいて来るアルトを見た。

 彼もまた、厳しい表情をしている。


 殴られるんじゃないか。

 罵倒されるんじゃないか。


 身構えたシトリーの肩に、ぽんっとアルトの手が乗せられた。

 その些細な衝撃に、シトリーは体を震わせた。


「……生きてて良かったです。もう二度と、死のうなんて思わないでくださいね」

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