第96話 黒衣の魔術師3
「――――ッ!?」
一瞬のことで、声が出ないのか。あるいは、その恐怖のために痛みすら感じなくなってしまったのか。
ハンナは口を開いたまま、血が吹き上がる足を眺めている。
(――助けなきゃ!)
アルトはそう思い、掛けだした。
だが、突如足がもつれ、地面に倒れ込んだ。
「あ……あれ……?」
すぐに立ち上がろうとするけれど、体がぴくりとも動かない。
体調が悪いわけではない。攻撃を仕掛けられたわけでもない。魔力を感じないから、魔術の仕業でもない。
(なら、どうして?)
辛うじて動く目だけで、アルトは2人を見た。
突然の侵入者に驚いたのか、ガミジンは目を見開いている。
いや、その瞳には僅かに灰色が浮かんでいる。己の研究を邪魔されて、怒り狂う寸前のような静かだが恐ろしい瞳だった。
変わってハンナは、僅かな希望をその表情にともした。
「アルトさん!」
「……」
助けてくれる。
アルトなら助けてくれる。
自分をこの地獄から救い出してくれる。
彼がいればなにもかもがうまくいく!
そんな瞳を向けられるが、しかしアルトは身動きが取れない。ハンナの期待に応えることができない。
歯を食いしばり、筋力と魔力を高めるが、まったく動かない。
「いいところで……。貴様、命があると思うなよ!」
ガミジンがその手を垂直に立てた。そこにはアルトをも凌駕するほどの魔力が籠められている。〈風魔術〉のエアカッター。あるいはその上位の……。
それが振り下ろされる寸前、急にガミジンの動きが停止した。
「…………っと、危ない危ない。指令以外の人間を殺すわけには行かないんでしたぁ。ついカッとなって、指令以外の人間を殺めてしまうところだったよぉ」
まるで家を出た瞬間に忘れ物に気づいたかのような声に、アルトの背筋が振えた。
今し方、人を殺しそうになった男の声とはまるで思えない。
「そうだ! イイコトを思いつきましたぁ」
そのイイコトが陸でもないだろうことを、アルトは簡単に予想できた。
「これからハンナ嬢に実験を行いますのでぇ、キミは観測者になってください。そうすればハンナ嬢の苦痛と、キミの恐怖が混じり合って、より強い感情が現われるかもしれません。そうすれば私はこの世界を、ホンモノを観測できるかもしれない! ああ、なんて素晴らしい発想なのでしょう!? 我ながら、己の才能が恐ろしい……」
なんという発想。
イカレすぎていて、まったく理解できない。
何故そんな発想ができるのか?
何故その発想を、実行に移そうとするのか?
「というわけで、サクっとやってしまいましょう」
言葉の通り、ガミジンは〈風魔術〉で、ハンナの足と両腕を切り裂いた。
「~~~~~ッ!!」
ぎりぎりのところで繋がったそれらは、まるで軒下に干された大根のように力なく揺れる。
燃え上がる邸宅に浮かび上がる――、
ぎりぎりのところで繋がった四肢。
地面にたまった黒い血液。
――親友の、無残な姿。
魔術で切り刻まれたハンナから、みるみる生気が失われていく。
助けて。
親友ハンナの懇願の瞳に、しかしアルトは答えられない。
体がまるで動かない。
手足に感覚が繋がらない。
助けて。
歯を食いしばり、必死に力を込めるけれど、フォルテルニア全土を覆った魔法は農民の――☆1ごときの意思力ではどうにもならない。
フォルテルニアの法則。
圧倒的強度の魔法。
格差から生じる、絶望。
胸に渦巻く激情を、狂うほどまで高めても、怒りで真っ白になった視界にさらに星が飛んで意識さえ切り離されそうになるだけで、アルトの体は全く動かない。
(なんで……)
(なんで動かないんだ!!)
(ハンナを助けるんだ)
(大切な恋人なんだ)
(失いたくないんだ!)
(だから動け!)
(動けよ!)
(動けって!!)
どれほど感情を高ぶらせても、アルトの体はぴくりとも反応しない。
アルトの頬から、1筋の涙が流れ落ちた。
黒衣の魔術師がハンナの胸に手をかざす。
恐るべきマナを持って魔術を打ち込んだ。
その瞬間を、恋人が死ぬ様を、アルトは黙って見ることしか出来なかった。
「………………残念です。結局、何ひとつ感じ取ることができませんでしたぁ」
不意に歩みよってきたガミジンの蹴りで、あっさり意識が切り離されたアルトは、なにものかにより路地裏のゴミ溜めに棄てられた。
しばらくしてハンナの遺体は、副都の小川に設置された水車の下から発見される。
『無才のこの身がこれ以上、家の名を汚すことに耐えきれません』
まるで筆跡が似ていない遺書とともに……。
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