第95話 黒衣の魔術師2

 黒衣の男が身振りを交えながらなにやら説明をしている。だがその実、説明なんてどうでも良いというように男の声は空虚だった。


 女性メイドが、眉をつり上げながら口を開く。


「こんなやり方、おかしいと思いませんこと? それでもユーフォニア12将ガミジン・ソルスウェイその人ですか?」

「当然ではありませんかぁ。12将は国王、ひいては国のために動く超法規的措置の出来る実行部隊なのですから」

「しかし――」

「これは王命。ただの侍従風情が口を挟む問題ではないのですよぉ」

「だからといって、無抵抗の侍従までも殺すことはないのではありませんか!?」

「無抵抗? くひゃっはははは!!」


 ガミジンが笑声を上げる。

 とんでもなく醜い声だ。

 声を聞いているだけで、アルトはどうにかなってしまいそうだった。


「殺される寸前まで、必死に抵抗していましたよぉ。ほらぁこの手、引っ掻かれてズタズタにされちゃってますよぉ?」


 ガミジンが袖をまくると、爪で抉られたような痕が腕に残っていた。


「ふぅむ。私も痛い目に遭えば少しは痛みが分かるかと思ったんですけどねぇ。彼ら彼女らからはなにも感じなくて、残念でした。無駄死にでしたねぇ」

「……っく! 師長、せめてハンナ様だけでも」

「無駄ですよぉ。あなたたち全員、私が殺しますからぁ」


 ガミジンが口を歪めた。

 次の瞬間、メイドの胸に指を突き刺した。


「もしハンナ嬢なんてものを産まなければ、育てなければ、こんなことにはならなかったんでしょうけどねぇ。残念でなりません」


 喋りながら、ガミジンはまるで綺麗に飾り付けた料理をダメにするかのように、指先で胸をかき回す。


「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ……」

「良い声ですねぇ。ん? もう死んでるじゃないですかぁ。嫌ですねぇ。死んでいるなら声を上げないでくださいよぉ」


 ガミジンの言葉通り、メイドは絶命していた。


「んー。もしかして苦痛耐性ゼロですか? 公爵家の侍従なのに? 他の侍従は高い耐性を持っていたので、あまり感じなくて困っていたのですが、これはこれで困りものですねぇ」


 熱い鉄板に水を垂らしたような音とともに、メイドの胸から白い煙が上がった。

 ガミジンの指先で【熱魔術】が発動し、メイドの心臓が一瞬で沸騰したのだ。


「んー。何故でしょうねぇ? 誰を、どうやって殺しても、感じませんねぇ?」

「貴様。人の命を、なんだとお思いかッ!」


 残された壮年の執事――クラインは長剣の束に手を添えてガミジンを睨み付けた。

 怒り心頭の様子だが、彼は決して剣を抜かなかった。


 これは王命だ。

 剣を抜けば即ちそれは王への叛意に繋がる。たとえ執事であっても、僅かな叛意で一族郎党が処刑されるなど珍しくもない。


 だから、彼は長剣が抜けない。

 こんな狼藉を働かれても、公爵家や国への忠義が消え失せないのか、あるいはそれは抜いても無駄だと判っているからか……。


「次はアナタですねぇ」

「公爵家を潰すおつもりかッ!?」

「いーえぇ。ご当主様が素直にハンナ嬢を捨てたので、公爵家の家格は何一つ揺らぎませんよぉ?」

「ば、馬鹿なッ!!」

「嘘だと思うのならばぁ、何故ここに衛兵が駆けつけないか、考えてみてくださいねぇ?」


 首都において公爵家は、王城の次に重要な建物だ。不審者が足を踏み入れようものならば、蜂の巣を突いたように衛兵が駆けつける。

 にも拘わらず、火の手が上がっていようと、衛兵の姿はどこにもなかった。


 この事実に気づいたクラインが、みるみる青ざめていく。


「まさか、本当に旦那様は……」

「一族を処刑しないと言ったら、途端にハンナ嬢を見捨てましたよぉ? さすがは公爵家ご当主様。国にとってなにが一番大切かがよく判っていらっしゃる。それに比べて……」


 あたかも羽虫を見るような目で、ガミジンがクラインを見下ろした。


「アナタ達はなんと愚かなんでしょう。それでも公爵家の侍従ですかぁ? 当主様よりも、ハンナ嬢に忠義を尽くすなど、侍従としてはあってはいけないことだと思いませんかねぇ?」

「それが……わたくしたちを殺す理由か?」

「はいぃ。諜報部が内定を進めましてねぇ? ハンナ嬢に絆された奴を皆殺しにして良いとお墨付きを頂きましたのでぇ。争乱のタネはすべて摘めとの指令ですぅ。ああ、安心してくださいねぇ? 他の方々に迷惑がかからないよう、きちんと工作いたしますので」

「くそっ!」

「させませんよぉ?」


 執事が動くより早く、ガミジンが執事の顔をわしづかみにした。

 メイドの胸と同じように、耳にこびり付くような音とともに執事の顔から真っ白な煙が立ち上る。


「ひゃあ”あ”っ!? う、あああぁぁぁぁぁぁ!!」


 クラインが手足をばたつかせる。

 混乱と狂気と苦痛に犯されたその手足からは、害意から逃れようという意思は早々に失われ、ただ条件反射のようにビクビクと無意味な動きを繰り返す。


 クラインから命が失われるまでに、そう時間は掛からなかった。

 ガミジンがあっという間に、彼の頭を蒸発させきってしまったから……。


「……つまりませんねぇ」


 まるで、両親から貰ったプレゼントが自分の希望とは違っていたときの子どものような顔つきで、ガミジンは自らの手と、頭を失った遺体を眺めた。


「…………ひっ」


 ガミジンに見つめられたハンナが、喘ぐように息を吸い込んだ。


「もう少し、緩やかなほうが良いんでしょうかねぇ? もう少し、もう少しで〝感じ〟そうなんですよ。わかりますかぁ?」

「……」


 ハンナが涙を流しながら、小刻みに首を振る。


「私はねぇ、知りたいんですよ。自分と同じ〝人〟が実在しているのかを。私と同じ意思があり、感覚があり、思考力があり、感情があり、自由がある。そんな人間がいることを知りたいんですよぉ。

 この世界に満ちた、数万、数十万、数百万もの生命は、実は神の魔法かもしれない。意思があるのは自分だけで、目の前の人間は、すべて神の魔法かもしれないんですぅ。

 意思があり、感覚があり、思考力があり、感情があり、自由がある。そんなふうに外側からは見えるだけで、そう見えるように作られているのではないか、と……。

 いろいろ実験してるんですけどねぇ、いまのところなんの成果も上がらないんですよぉ。んー。やはりこれは私と同じ人間が存在しないということじゃないですかねぇ? ハンナ嬢はどう思いますかぁ?」

「……」

「まさか宮廷学校に入学して、帰納法が分からないなんてことはありませんよねぇ? うんうん。いいですねぇその表情、キミからはなにかがわかりそうだぁ」

「こ…………こないで」


 腰を地面にこすりつけながら、ハンナが後ずさる。

 恍惚の表情を浮かべながら、ガミジンがハンナに歩み寄る。


「いいですねぇ、いいですねぇその表情! もしかしたらキミは、私と同じ人間なのかもしれません!! 教えてくれませんか? あなたが、神に作られた魔法なのか、それとも私と同じ人間なのかぁ」

「ボク……は、にん、げんです」

「誰が喋れと言いましたか? 私はねぇ、キミの魂に聞いてるんですよぉ」


 ガミジンは一瞬にして、まるで家畜を見るような目つきになった。

 瞬間、ハンナの大腿部から血液が噴き出した。

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