第94話 黒衣の魔術師1

 日が暮れる頃にアルトは屋敷を出た。

 ハンナはこのまま朝まで語り明かしたい、という雰囲気を放っていたけれど、平民のアルトがそれを行うのは些か問題だ。


 明日も会えるから、とアルトは時間をかけてハンナを説得した。

 けれど、アルトとハンナが望んだ明日は、二度と訪れない。



 宿に戻ったあと、アルトは体の汚れを落として食事を取り、部屋に戻る。

 突然、目眩がしてトイレに駆け込み、夕食のすべてを吐き出してしまった。


(やれることはやった)

(だから、あとは全力で戦うだけだ)


 そう、何度も念じる。

 しかしここへ来てアルトの体は、記憶に残る黒の魔術師に、怯えていた。


(負けたらどうしよう)

(勝てなかったら)

(またハンナを失ったら……)


(いままで蓄えてきた力を、すべて、出し切れるだろうか?)

(本当にこのままで、大丈夫なんだろうか?)


 次から次へと、弱音が頭に浮かんでは消える。

 それがアルトの体をどうしようもなく震わせる。


 いつもならば、さも当然のようにアルトの部屋にいるリオンが、今日はどこにもいなかった。

 寂しさを感じつつ、アルトは震える手つきで装備の確認を行う。


 ドラゴンの短剣の刃を魔力で研ぎ、皮のマントやミスリル繊維の衣服の解れを繕う。

 防具の確認を終えると、次に手持ちの道具の確認を始める。

 必要なのは、回復薬類。それ以外は要らない。肩下げ鞄に詰め込んで、その他の道具はバックパックに詰め込んだ。


 念には念を。

 アルトはスキルボードをチェックする。



【名前】アルト 【Lv】78 【存在力】☆

【職業】作業員 【天賦】創造    【Pt】2→3

【筋力】624(+500) 【体力】437

【敏捷】312       【魔力】2496(+100)

【精神力】2184(+50) 【知力】1120


【パッシブ】

・身体操作50/100    ・体力回復50/100

・魔力操作68/100 ・魔力回復63/100

・剣術49/100      ・体術32/100

・気配遮断21/100    ・気配察知43/100

・回避51/100      ・空腹耐性56/100

・重耐性49→51/100  ・工作65/100

【アクティブ】

・熱魔術47/100     ・水魔術46/100

・風魔術44/100     ・土魔術45/100

・忍び足16/100     ・解体7/100

・鑑定 31/100

【天賦スキル】

・グレイブLv3       ・ハックLv2



「……あれ、またポイントが増えてる」


 アルトは首を傾げた。

【Pt】に関して、どうすれば増えるのかは未だにわかっていない。

 いつも、気がついたら増えている。


 増えた理由は不明だが、ここで増えていたのはありがたい。

 アルトは万が一を考え、1ptだけ残して天賦スキルに振り分ける。


>>【Pt】3→1

>>グレイブLv3→Lv4

>>ハックLv2→Lv3


 残る1ptは保険だ。実際に戦ってみて、足りなかったらこれで補う。

 この日まで、アルトは毎日鍛錬を行って来たが、ドラゴンを討伐した日以来、レベルと熟練がひとつも上がっていなかった。


「んー。少しサボりすぎたかな」


 後悔したところで、覆水は盆に返らない。

 すっぱり割り切って、アルトは現時点の能力で出来ることだけ考える。


 入念に準備を進めたおかげで、すっかり外は暗くなっていた。


「…………そろそろ、か」


 アルトの体は未だに小刻みに震えている。

 どれほど抑えようとしても、まったく収まらない。

 心臓が、信じられないほど早く鳴っている。

 いままでどの敵と対峙したときよりも、強く早い。


 それもそのはず。

 なぜならアルトは、今日、この日のために生きてきたのだから。


 自らの命の全てを、

 この日、

 この一瞬に、

 賭けてきた。


 集中力を高めて、アルトはそのときを待つ。


 アルトがこの部屋を選んだ理由。

 それは単に宮廷学校が見えるから、だけではない。


 今日、目の前にある道を通る、ある人物の前に立ちはだかるためだ。


 アルトはじっと、その時を待つ。


 やがて、月の光が庇を抜けてアルトの顔を照らす頃、その人物が姿を現した。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 いつもの王都とは違う雰囲気に、アルトは胸騒ぎを覚えた。

 火事か喧嘩か。あるいは魔物の襲来か。

 窓の外を覗くと、いつもよりも空が赤いことに気がついた。

 どこかが燃えているんだ。


 この宿まで火が来るだろうか。アルトは窓から出て屋根の上に登る。王都を見回すと、その原因がすぐに見つかった。

 それと同時に衝撃が全身を突き抜ける。


 王城近くの邸宅が燃えている。

 その邸宅は――、


「公爵家っ!?」


 気づくと同時にアルトは全力で屋根の上を駆け抜けた。

 4m、5mの跳躍はなんの障害にもならない。屋根から屋根へと飛び移りあっという間にカーネル家邸宅までたどり着く。


 そこは、ただの火災現場ではなかった。


 門前に倒れた2体の衛兵。

 その奥にまるで道しるべのように並ぶ執事。

 破裂、断切、消失、圧壊、分解。

 皆、体が複雑に破壊され、命を失っていた。


 そこは、まさに地獄だった。


 無残な光景と、死臭が酷い。

 吐き気を抑えて、アルトは歩みを進める。


「ハンナは、大丈夫かな……」


 邸宅までの道を、息を殺しながら進んでいく。

 邸宅の前に、4人の姿が見えた。


 1人は黒色のローブを身に纏った男性。

 その前にいる男女2人は、おそらくカーネル家の侍従だろう。身につけているスーツとドレスでそう判断する。

 その後ろに、ハンナがいた。


 ハンナは地面に膝を付け、怯えるように黒衣の男を見つめている。

 執事2人が男に、厳しい視線を向けている。


「…………というわけです。ご理解いただけましたかねぇ?」

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