第79話 静かに燃え始めた闘志

「うがぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 裂帛の声とともに、レバンティが飛び込んで来た。

 しかし動きは以前よりも鈍い。

 アルトでなくとも余裕で躱せるほど弱々しかった。


(もう限界かな?)


 アルトは先ほどと同様に、突進を躱す。

 だが、


「――!?」


 突如、何かに足が取られ、アルトの動きが止まった。


「先生、今です!」


 アルトの足に、彼を虐めていた男子生徒が組み付いたのだ。


(なんという……)


 アルトは思わず怒りに目がくらんだ。


 その怒りは、足を掴んだ男子生徒に対するものではない。

 その程度の横やりを、避けられなかった自分にだ。


 目がくらんでいたのは一瞬。

 だがその間に、アルトは通常の方法では避けられぬほどレバンティに接近されていた。


「――くッ!」


 アルトは反射的に、レバンティに対して〈ハック〉を使った。

 いままでの突進で、あらかた体力を消耗していたのだろう、アルトの〈ハック〉はなんの抵抗も受けずに作用した。


「うごっ!!」


 レバンティが顔面から床に倒れ込んだ。

 受け身さえ取っていない、危険な倒れ方だ。


 己の突進の勢いにより、顔だけでずるずると床を滑る。

 そしてアルトの手前で、彼の勢いが止まった。


 周りからはアルトがなにか仕掛けたというより、レバンティが足をもつれさせて倒れ込んだように見えたことだろう。


 もしアルトがなにか仕掛けたと疑われれば、教師に手を上げた責任から龍牙の短剣が取り上げられていた可能性が高い。

 レバンティへの〈ハック〉使用は、非常に危うい行動だった。


 辺りを見回すと、リオンが胸に手を当ててほっと息を吐き出していた。

 彼はアルトの攻撃に気付いていないようだ。


 しかしマギカは責めるような視線を向けている。

 どうやら彼女は気付いたようだ。


『最後まで気を抜くな』


 そう怒られたような気がして、思わずアルトは居住まいを正した。


 そうしているうちに、授業終了の鐘が鳴った。

 レバンティが意識を失った中、ドイッチュの解散の合図で、ばらばらと生徒達が訓練室から退出していく。


「先生すごかったね」「痺れたよ」「あの動き、僕には真似できないな」「俺たちも頑張らないと」「私、先生みたいになりたい」


 生徒は口々に、レバンティを賞賛する。そこにアルトの存在はない。

 既に彼らからは、アルトがレバンティの攻撃を躱し続けた記憶が、根こそぎ消されてしまっていたのだった。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 授業が終わると多くの貴族はそのまま帰路に就く。友達を家に招いたり、逆に招かれたり。

 誰がどの家に招かれたかは、貴族が集まる学校において最も重要なステータスだ。友人が多ければ多いほど家の格式は上がり、横の繋がりが太くなる。


 家に招ける人というのは、己の元に下る人物か、対等な友であるかのどちらかに限られる。家格が高ければ高いほど、人を家に招ける――即ち友人の数が増える。

 友人の数が権力の大きさとして如実に現れるのだ。


 放課後に、誰の家に招かれたとか、誰を家に招くとか、そんな話ばかりしている級友を尻目に、ハンナはそそくさと教室を退散する。


 足早に廊下を歩き、事前申請で借りていた訓練室に足を踏み入れた。


「はぁ」


 口から自然とため息が漏れた。

 それはここに来るまでに息が上がったからではない。

 今日の実習。レバンティの攻撃を躱し続けるアルトのことを考えていたからだ。


 級友は皆、一様にレバンティを賞賛していた。

 だが真に賞賛されるべきは、アルトの方だとハンナは考えている。


「なんでみんな気づかないんだろう?」


 レバンティの突進を回避するアルトが、瞼を閉じていたことに!


 初めは瞼を閉じている時間は僅かだった。

 だが徐々に閉じる時間が長くなり、最後には閉じたまま回避し続けていたのだ!


 瞼を閉じていたせいで、最後の最後、乱入した生徒に足を掴まれてしまったが、それさえなければ全く危うげを感じない、一方的な訓練だった。


(なんでみんな、レバンティ先生を称えるんだろう?)

(先生だからか?)

(すごい先生の攻撃を避け続けた生徒は、褒めちゃ駄目なの?)


 実力のないハンナでさえ、アルトの動きは筆舌に尽くしがたいものを感じたというのに、皆は感じていない様子だった。

 あれが見えないなんて、


「はあ」


 僅かな憤りが、小さいため息となって再び現れた。


 あれ程強い人がD組なんて、間違っている。

 そうは思うが、いまの体制は容易には変えられない。そもそもそこに不服を申し出れば、家柄だけで入学出来た自分をも否定してしまうことになる。


 だから、ため息に変るのだ。


 ハンナは自前の短剣を取り出して、訓練室の中心で素振りをする。

 アルトと武器は同じだ。

 けれど彼とはまるで違う。

 技術が、明らかに劣っている。


 はっきりと目に焼き付いた彼の動きに重ねるように、足を動かす。

 目にも留まらなかった攻撃は、いったいどうやったのだろう?


(知りたい)

(もっと、強くなりたい)


 答えが知りたいのなら、彼に聞けば良い。

 けれどハンナには、彼に声をかける勇気はなかった。


 アルトの強さがどれほどのものかはわからない。

 少なくとも、ハンナでは測れないほどの強さだ。

 自分などより何十倍も強いに違いない。


(そんな人に、どうやって話しかければいいの!?)


 自分が話しかけても、絶対に無視される。


 アルトから見ればハンナなど、歯牙にも掛からない非才の輩だ。

 ハンナと繋がっても、彼にとって利益になることは1つもない。

 利益になることを、与えられない。


 だからきっと、アルトとは関われない。

 たとえハンナがどれほど関わりたいと思っていても……。


 いままでにないほど、ハンナは集中していた。

 短剣を持つ手が、痛いほど熱を帯びている。


 手の皮が剥け、中から水がしたたり落ちる。

 それでもさらに剣を振り続ける。


 すると今度は、液体に血が混じり始めた。

 そこでやっと、ハンナは短剣を置いた。


 ここまで頑張れたのは、レバンティとアルトの試合を見たからだ。


(このままじゃ駄目だ)

(だって、農民のアルト君があんなに戦えるんだから)


(小さい頃から一流の教師に教わってきたボクが、まったく戦えないなんて)

(そんなことは――小さくて安っぽいけれど、ボクのプライドが許さない)


 床に腰を下ろして息を整える。

 緊張が途切れると、いままでため込んだ疲労がどっと押し寄せた。


 このまま倒れ込みたかった。

 けど、倒れたらそのまま起き上がれなくなりそうだった。


「――あれ、誰か使ってるのかな? 明かりが付いてる」


 訓練室に、少年の声が響いた。

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