第78話 訓練のお時間4

 突進され続けるアルトは、内心冷や汗の連続だった。

 審判はドイッチュ。明らかにレバンティ贔屓だ。

 辛うじて、明らさまに接触していない場面ですら、ドイッチュは言葉を詰まらせた。


 もはや敵地(アウェイ)というレベルではない。

 誤審も辞さない陣形だ。


 幸い、マギカがジャッジしてくれたおかげで、明らかに接触のない場合は無効という流れが生まれた。

 だが、それは誰の目でも明らかな場合だ。

 距離が少しでも狭まると、接触したと言い張られるかもしれない。

 ――目に留まらぬ程素早く動けば、触れてもいないのに触れたと声を上げる者が現われる可能性がある。


 その場合、『接触した』と誰かが声を上げれば試合終了だ。

 たとえそれが嘘であっても、証拠が無くとも、アルトにその判断を覆せるだけの力はない。


 さておき、レバンティの敏捷力はアルトよりも低い。

 しかし、彼の戦士スキル〈突進〉はなかなか練度が高く、厄介だった。


 それでもドラゴンとの戦闘で目が養われたからか、あるいはマギカの動きに慣れたからか、レバンティを見失うことはなかった。


 最も安全に回避するには、〈縮地〉を使えば良い。

 しかし、〈縮地〉は高速移動術だ。たとえ安全に回避出来たとしても、アルトの姿を見失う者が現われる。

『誰の目から見ても明らか』ではなくなってしまうため、これは使えない。


 なのでアルトは基本は身体能力のみで対応し、緊急時のみ〈ハック〉を使うことにした。

 回避の安全ラインは、いまのマギカのジャッジだ。


 あれより早く動いては追いつかれるし、あれよりギリギリで避けてもアウト判定が下ってしまう。

 この鬼ごっこの回避には、かなりシビアな調整が必要だった。


 難易度の高い鬼ごっこだ。

 しかしアルトは一切悲観せず、逆に唇を斜めにして喜んだ。


(この訓練)

(状況判断や熟練上げ、体捌きの練習にはうってつけだ!)


 もうすぐアルトは、もっともっと凶悪な敵と対峙しなければいけない。

 魔力が尽きて手足がもがれ、物理や魔術の攻撃を封じられ、基礎ステータスすべてが敵わないだろう相手に、アルトは命尽きるその瞬間まで、食いついていかなければいけないのだ。


 こうした訓練も、きっと役に立つはずだ。


 アルトは相手が教師だとか、いまは戦闘訓練の授業中だとか、そういうしがらみをすべて忘れて、ただ目の前にいるレバンティをガミジンに見立てて集中する。


 景色が狭窄し、色が消える。

 耳が遠くなり、けれど必要な音は近くなる。


 考えるのは、相手の一挙手一投足。

 そして戦闘の流れと、己の肉体のみ。


 ド、ド、ド。

 己の鼓動が耳朶を叩く。


 だんだんと、深いところへ潜っていく。

 意識が落ちて、落ちて。

 余計な思考が切り離される。


 そして意識は、極限(ゾーン)に触れた。


 一つ躱し、二つ躱し。

 相手の動きを見ながら、時々手を緩め、または鋭くし、相手との距離をコントロールしていく。


(こんなに下手な動きじゃだめだ!!)

(もっと上手く)

(もっとスマートに)

(出来るはずだ!)

(――次)

(――次っ)

(――次っ!!)


 気がつくと、レバンティが大の字になって床に倒れていた。

 アルトは僅かに動揺する。

 もしかして反撃してしまったか? と考えるも、攻撃した感覚はない。

 集中状態から解放される。

 しかし、ゼェゼェというレバンティの呼吸の音の他は何も聞こえない。


 不思議に思って辺りを見回す。

 全員が口をぽかんと開けた状態でこちらを見つめていた。


「……ま、まだ、だ。まだ負けてない!!」


 頭から額から、滝のような汗を流しながら、レバンティが立ち上がった。





(こんなハズではなかった)


 レバンティは屈辱に顔を歪めた。


 初めは、ただ龍牙の短剣を手に入れるためだった。


 奴は農民で☆1の劣等者など、レバンティアなら軽く殴るだけでも簡単に命を奪える相手だ。

 だから龍牙の短剣は簡単に奪えるだろうと考えていた。


 だが実際にはどうだ?


 スキルを使っても、レバンティの体はアルトに擦りもしなかった。

 二度、突進を行った。しかし、当たらない。

 三度目で、レバンティは早くも全力を出した。

 それでも、アルトには当たらなかった。


(何故だ?)

(何故突進が当たらない!!)

(ただの農民の子供が、何故Aランク冒険者の俺の突進を躱せるんだ!?)


 レバンティは混乱を回避できないままアルトに翻弄され続け、ついには足がもつれて倒れ込んでしまった。


 久しぶりに全力を出し続けたため、呼吸が乱れに乱れている。

 塞がらない口から唾液が垂れる。

 額から流れ落ちる汗も尋常ではない。

 その汗が顎を伝い、床に落ちて広がっていく。


(このままじゃ、終われない)


 立ち上がったレバンティにはもう、龍牙の短剣を奪おうという邪な思いは微塵もなかった。


 あるのは純然とした、武芸者としての誇りのみ。


(このままでは、絶対に終われない!)

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