第75話 訓練のお時間

 アルトへのいじめが永遠に続くと思われたなか、転機が訪れた。


 それは選択制授業による戦闘訓練での出来事だった。

 この授業では戦闘を行うための訓練を行う。

 毎回魔術や剣術などに精通する教師が講義し、実際に武を披露する。

 その後に、教師の見本通りに生徒が訓練を開始する。


 この授業の最終的な目標は戦闘だ。アルトにとって、とても有意義な授業とはいえない。

 だが裏で行われているもう1つの選択授業は、マナーや話術、社交ダンスや治世などを学ぶ帝王学。

 アルトにとってまったく魅力がない。

 どちらを選ぶかと言われたら、戦闘訓練以外にあり得なかった。


 アルトは現在、その授業を選択した生徒50名の前に立たされていた。

 訓練の説明が終わるや否や、1マス破壊の手本を示せとアルトが名指しされたのだ。


 当たり前だが、こうなったのは教師がアルトの実力を評価したためではない。

 その逆で、教師はアルトに失敗以外の結果を期待していなかったはずだ。


 授業を受ける貴族の中には、受験時に1マス破壊ができなかった者がいる。

 そういう者が実技に失敗しても――ほら、出来なくて当然じゃないか――プライドが傷つかないよう、スケープゴートとして選ばれたのだ。


 皆の前で最初に誰かが失敗すれば、その後失敗に対するハードルが下がる。前に出すのは農民なので、どういう扱いをしても問題にはならない。


 指をさして嗤っても反撃に遭わない。

 反撃されてもあらゆる力でねじ伏せられる。

 実におあつらえ向けだ。


「ほらやってみろ。失敗してもいいんだぞ」


 アルトにまったく期待をしない教師が、さっさと終わらせろ、失敗しろと視線でプレッシャを掛けてくる。


(やっぱり、少しは力を示しておいた方が良いかな……)


 ちらり、脳裡にリオンの寂しげな顔が浮かんだ。

 アルトは胸から龍牙の短剣を抜き放つ。


 短剣を見た生徒が失笑を漏らした。


「おいおい、短剣が出たぜ!」「うわっ。あいつもしかして、普通の剣持ってないのか?」「短剣なんて初心者用の武器だよな」「所詮農家だな」「鍬がお似合いだよ」「笑うなよ。あいつあれで山菜を摘むつもりなんだから」「ックククク……」「ぶふふふふ。っば! お前が変なこと言って笑わせるから先生に睨まれたじゃん」


 そんな貴族の言葉は、アルトの耳に届かない。


(僕が持てる、最高の力で)

(マスを破壊する)


 深く、集中する。

 意識の海に、潜っていく。

 みるみる速度が上昇。

 集中力の最奥に、手が触れる。

 次の瞬間。


「――ッ!!」


 アルトはマスより5m後方で残心していた。


 アルトが巻き起こした風が、生徒たちの合間をすり抜ける。

 風が収まると、生徒たちは声を、動きを、思い出した。


「なにが起った?」「わからない」「気づいたらアイツ、マスの後ろに」「攻撃したのか?」「いや、してないだろ」「マス、壊れてないもんな」

「失敗?」「だ、だよな!」「さ、さすがは農民」


 あんな農民如きが、とてつもない武を示せるはずがない。

 そう、生徒たちは必死に否定する。


 アルトは実技に失敗した。その結論が、生徒たちに安堵を与えた。


 しかしそれも束の間、アルトは短剣を鞘に収めて残心を解いた。

 するといままで形を保っていたマスが、一瞬にして砂になった。

 生徒たちの嘲笑顔が、大きく引きつった。


 アルトが用いたのは3つのスキル。

《工作》による〈ハック〉。

《風魔術》の〈空気砲(エアバズーカー)〉。

 そうして最近覚えた〈縮地〉だ。


〈縮地〉は《身体操作》に連なる短距離移動スキルだ。

 移動速度は、自分の体を使ったものに限れば、全スキル中最速である。


 その〈縮地〉を使い、踏み込んだ。

 前方に仕掛けた〈ハック〉を踏み加速。

〈空気砲(エアバズーカー)〉で再加速した。


 コンマ1秒で、アルトは音を置き去りにした。


 マスが射程に入ると同時に、マスをバラバラに切り刻んだ。


 アルトが戦闘態勢を解除して、笑みを浮かべた馴染みの顔を眺めた。

 リオンとマギカだ。


 二人がこの授業に参加しているのは、予め戦闘訓練を選択すると3人で示し合わせたからではない。

 メンバーの中で、誰一人として帝王学に興味がなかったせいだ。


 リオンは眦を決している。うずうずするように体が動いている。授業でなかったら『さすが俺の師匠だぜ!』と言って、アルトの背中をばしばし叩きそうだ。


 彼は以前より貴族がアルトを舐めていることが腹に据えかねていた。そのため、若干であっても、その実力を貴族達に見せつけたことが嬉しいようだ。まるで自分の事のように目を輝かせている。


 マギカはリオンとは逆に、アルトを睨み付けている。視線とは裏腹に耳は『ふえぇ、いまのなぁに?』と言うように少しクタっとしている。


 キノトグリスで部屋を分けたときから薄々感づいてはいたが、彼女はアルトに対してライバル意識のようなものを持っているようだ。

 全然ライバルではなく、自分は彼女の背中を追う側だとアルトは思っているのだが、彼女はそう捉えてはいないようだ。


 最後にアルトは、ハンナを盗み見た。

 そのとき、ハンナと目が合った。


「……っ!」


 パクン、と心臓が強く胸を打った。

 アルトは慌てて顔を背けた。


 それ以上見ていては、感情が抑えきれなくなりそうだった。

 今のハンナに、前世のハンナを投影してしまいそうだった。


(それに……うーん)


 顔を背ける前に、ハンナが少しだけ怯えたような表情を浮かべた。

 前世では一度も見たことのない表情だった。


 何故あんな表情を浮かべたのか。

 答えを探していると、教師から声がかかった。

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