第71話 運命の人との邂逅
シトリー・ジャスティスは一人、鍛錬場で汗を流していた。
動きに合せ、縦ロールが躍動する。
体をしなやかに動かして繰り出す細剣は、緻密であり巧みだった。
しかし、彼女の技術は王国随一ではない。
シトリーは若い。
幼い頃から厳しい指導を受けては来たが、技術的にはまだまだ上がいる。
しかし、彼女は武の頂点であるユーフォニア12将の一員だった。
それは命を賭けた戦いに、めっぽう強いためだ。
たとえ格上が相手だろうと、シトリーは決して負けることがない。
「ふぅ……」
一通り体を動かしたシトリーが、額に浮かんだ汗を拭う。
ふと、ギルドで出会った自称ドラゴンスレイヤー達のことを思い出した。
シトリーの見立てでは、彼らは相当の手練れであった。
一見するとおつむが弱そうな赤髪の男は、一流の装備を身に纏っていた。それもかなり使い込まれている。ただ見栄えを意識した装備ではない。
獣人の少女は、見ただけで背筋が凍るほどの覇気を纏っていた。
刃を交えれば、シトリーとて苦戦するはずだ。
しかし、最も恐るべきは、二人の中心にいた少年だ。
幼い頃から厳しいトレーニングを積み、ユーフォニア12将にまで至ったシトリーでさえ、彼の底が見えなかった。
「やはり、神のお告げは正しかったようですわね……」
ジャスティス家は代々、フォルテミス教を信仰している。
その正義神フォルテミスから、シトリーに直接神命が下っていた。
『新たなる危険因子の出現に備えよ』
『破局をもたらす小さき者。これが、新たな危険因子である』
危険因子とは、恐れ多くも神の運命(さだめ)に叛らう者を差す。
神は全人類の運命を子細に見通している。
その神の運命を外れるなど、到底不可能である。
何故なら神は、すべてを見通しているからだ。
人が運命を外れるようなことは、決してあり得ない。
だがごく希に、あり得ないことを実現する者が現われる。
それが、危険因子だ。
ただ危険因子を持つ者であれば、注視するに留まる。
しかし一度運命を大きく乱した瞬間、神から排除の令が下る。
危険因子とは、善悪の境界線上を歩む者だった。
その危険因子に、かの少年が今後指定されるかどうかの確証はない。
しかし、シトリーはあの少年こそが排除すべき『小さき者』であろうと、半ば確信した。
その理由として、一つ目はシトリーの作戦に填まったこと。
以前より、レアティス山脈の麓に若いドラゴンが住み着いたという情報を、シトリーは耳にしていた。
ドラゴンは人間を滅多に襲わない。放置しても良かったが、シトリーはギルドに討伐依頼を申し込んだ。
倒せるはずのないドラゴンを、倒した人物が現われれば、その者が危険因子である可能性が高い。
しかしシトリー自身、この作戦に期待していなかった。
だから依頼料も金貨10枚と格安だったし、失敗した場合の罰則も付けなかった。
おかげでどう見ても怪しい依頼になってしまった。
これでは誰も引き受けないだろうと諦めていた。
しかし、あの少年は見事シトリーの作戦にかかり、ドラゴンを討伐したのだった。
二つ目の理由は、闘気だ。
シトリーと目が合った瞬間、あの少年が僅かに闘気を漏らした。
闘気はすぐに消失した。しかし、シトリーはその一瞬を見逃さなかった。
彼の闘気は、修羅の道を歩んだであろう、極限まで研ぎ澄まされたものだった。
そのような闘気を持つ者が、ただの子どもであろうはずがない。
「とはいえ、いきなり襲いかかるのは野蛮ですわね」
万が一あの少年が神命の対象でなかった場合、ジャスティス家の名が廃る。
まずは確証を得るために、内偵を進めるべきだ。
「すぐにでも、化けの皮を剥いでみせますわ」
そう呟いて、シトリーはほくそ笑むのだった。
□ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □
入学式当日。新しい制服に身を包んだアルトたちは、校舎で最も広い講堂に足を運んでいた。
これから新入生の入学式が行われる。
「っふん。どうだ、見ろよ。俺のあまりの勇者っぷりに、みんなの視線が釘付けだぜ!」
ローブを纏ったリオンは、これまでの粗忽なイメージが完全に消え、エリート青年にしか見えなくなっている。
おまけにリオンは、顔が非常に整っている。
実際、彼のことをチラチラと横目で伺う女学生たちが、かなりの人数に上っている。
口さえ開かなければ、女学生たちから人気を集めるに違いない。
――黙ってさえいられれば、だが。
無論、黙っていられるような男ではないため、彼がモテる未来は永遠に訪れない。
「……馬子にも衣装」
「あぁらマギカちゃん。とてもよくお似合いでちゅねぇ?」
マギカがリオンを睨み付けた。
いつもなら音速で拳を落としているマギカだが、まだ手を出していない。
リオンと違って、マギカは場をわきまえられるのだ。
そんな二人を尻目に、アルトは辺りを見回す。
(いるかな……)
必死に、ハンナの姿を探す。
アルトは今世ではまだ、ハンナの姿を目にしていない。
しかしアルトはいまでもはっきりと覚えている。
前回の生で最も大切だった、恋人の姿を……。
(……いた!)
その姿を見た瞬間、アルトの体に電撃が走った。
短い金色の髪の毛に藍色の瞳。幼い顔立ちの子ども――ハンナ・カーネルが、おどおどとした様子で講堂に足を踏み入れた。
アルトは気持ちをぐっと堪えて、椅子に背中を預けた。
(今はもう、恋人じゃないんだ……)
血を吐く思いで、自らにそう言い聞かせる。
出来るならば、いますぐハンナの元に駆け寄りたい。
だがそれは出来ない。
そもそもアルトとハンナはまだ、知り合ってすらいないのだ。
アルトが一方的に、ハンナとの記憶を持っているにすぎない。
それに――、
(僕は、あと5年しか生きられない)
やり直す時に、アルトは神から告げられていた。
寿命(リミット)は20年。
もし前世と同じように、ハンナと恋人になったとしても、
もし前世とは違い、すべての障害を退けられたとしても、
――アルトはハンナと共に、生きて行けない。
人間の寿命は、通常で80年。
アルトが20歳で死ねば、ハンナは残る60年あまりを一人で生きて行かなければならない。
それも、恋人を失った哀しみを抱えたまま……だ。
ハンナを失った後、55年生き続けたアルトは、常に哀しみと隣り合わせだった。
死者の蘇生法を探し回っていなければ、アルトはあっさり哀しみに吞まれ、ハンナの後を追っていただろう。
(ハンナには、あんな辛い思いはさせられない)
(きっと別の人と一緒になるほうが、ハンナの幸せのためだ)
二度目に生まれた時よりずっと、今世ではハンナとは恋人にならない、知り合うことさえしないと、アルトは決めていた。
知り合ってしまえば、決して届かない愛の重みに、きっと耐えきれないから……。
(駄目だ駄目だ!)
(こんなんじゃ、出来ることも出来なくなっちゃう!)
アルトは拳を握り奮起する。
もうすぐ、決戦の時だ。
しばらくは、なにも起こらない。
だがその時には、すぐに動けるように最後の準備を整える。
だからその時を、アルトはじっと待てば良い。
林の中の象のように……。
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