第63話 正体不明の怪物

(血の匂いを嗅ぎつけたか)

(相手は動物か、はたまた魔物か……)


 経験からそう答えを導き出す。

 しかし、全身の毛穴がどんどん開いていく。背中はもう冷たい汗で濡れていた。

《気配察知》が、尋常ならざる気配の接近を捉えた。


「マギカ」

「わかってる」

「リオン、起きて下さい」

「んー? もうゴハンか?」

「ご飯はまだですよ」


 寝ぼけ眼のリオンに、アルトは剣と盾を放り投げた。

 一種異様な雰囲気を発するアルトに気づいたのだろう、リオンの表情が一瞬で覚醒した。


「どうしたんだよ?」

「なにか来ました」

「ドラゴン?」


 そう言って彼は舌なめずりする。


「さあ、相手はわかりませんけど……」

「……けど?」

「――逃げましょう!」


 一際強い力を感じ、アルトは即座に全力で跳んだ。

 アルトに続き、マギカとリオンも跳ぶ。


 目の端がふわっと白む。

 目眩でも起こしたような視界の変化だ。

 だが次の瞬間、


 ――ドッ!!


 轟音とともにアルト達は一斉に吹き飛ばされた。


「な……なんだ!?」


 真っ先に反応できたのは、体力が最も高いリオンだった。

 遅れてアルトとマギカが後ろを振り返る。


 たき火の向こう側。

 夕闇から巨大な影がぬるりと現れた。


 その姿に、アルトは息を飲む。


 は虫類のような体に大きな翼。

 頭に生えた短い角に、相手を心から揺さぶる鋭い瞳。


「ほんとに、居たんだ……」


 偽物かもしれない、という疑念など抱く余地もない。

 この圧倒的な存在力が、偽物であろうはずもない。


 現れたのは、まごうこと無く、ドラゴンだった。


 アルトの足が、がくがくと震え出す。

 殺されるとか、絶対に負けるとか、酷い目に遭うとか、そういう現実的なイメージなどない。

 そのようなものとは次元の違う、原初の恐怖がアルトを襲った。


 生物としてのステージが違う。それ故の恐怖だ。


 まるで水中に深く潜っていたかのように、気がつけばアルトは喘いでいた。

 いくら呼吸をしても、酸素が足りない。

 動くことさえ忘れていたアルトだったが、


「任せろ! 勇者の俺が、ぶった切ってやるぜ!!」


 剣と盾を構えて、リオンが突っ込んだ。


(馬鹿なの!?)


 アルトの心が驚愕に染まる。

 それとほぼ同時に、心を支配していた圧倒的な恐怖が消えた。


 リオンのあまりに無謀で馬鹿な行いへの驚愕が、原初の恐怖を打ち消した瞬間だった。


「リオンさん、戻って!!」

「くらえっ! これが勇者の全力全開!!」


 制止するより早く、リオンがドラゴンに切り込んだ。

 そこでようやく、アルトは違和感を覚えた。


(あ、あれ? ドラゴンにしては小さいような……)


 人間と比較するとかなり大きい。首を上げれば、三メートルは超える。

 だが、ドラゴンにしては小さすぎる。

 以前アルトが目撃した龍種は、頭を上げると10メートルはあった。


(……若い龍なのかな?)


「んごごごごごっ――ぐえっ!!」


 思案していると、ドラゴンの〈風魔術〉を受けたリオンが戻って来た。

 ゴロゴロ転がり、ずぼ! っと頭が地面に埋まった。

 決して曲がってはいけない方向に首が曲がっている。


「ん~~~~~っ!! ぷはぁ! 死ぬかと思った……」


 キュポン! とワインのコルクが抜けるような音とともにリオンの頭が地面から抜けた。


 人間なら確実に死んでいる折れ方だった。

 さすが、ヴァンパイアの体は伊達じゃない。


「マギカ、リオンさん。撤退の準備を」

「あ、名前」

「…………モブ男さん。撤退しますよ」

「ひっ!」


 全力で殺気をぶつけると、リオンが慌てて口を噤んだ。


(まったく)

(もう少し危機感を持って欲しい)


 即座に体勢を変え、逃亡する。

 その直後、背中に殺気を感じたアルトが真横へと飛んだ。


 その背中に猛烈な熱量が迫る


(ファイア……いや、フレアボールレベル!!)


 ドラゴンの口から放たれた一撃は、幸いアルトには直撃しなかった。

 だが、


「あっ――」


 攻撃を察知出来なかったリオンが直撃を受けた。


「っぶねぇ! 死ぬかと思った!」

「「……」」


〈熱魔術〉にも耐性があったのか。それともハーグ謹製の魔道具のおかげか。

 上級魔術並の炎の直撃を受けても、リオンはかるく焦げる程度で耐えきった。


「リオン、恐ろしい子」


 横でぼそっとマギカが呟いた。

 その呟きにアルトも内心同調する。


 ドラゴンの〈熱魔術〉が直撃しても、かすり傷程度で済むなど、世界中を探しても彼くらいなものだ。


「――師匠! これは行けるぞ!!」


 なにが? とは聞かない。そんなものは当然決まっている。


 盾役の彼が攻撃を耐えきったことで、NOと言えない状況になった。

 リオンは既に戦闘態勢だし、そんな彼に当てられたマギカもやる気になっている。


 ここでNOと言っても、マギカもリオンは、アルト抜きでも戦うだろう。


 それだけじゃない。


 これは大事な魔術士戦に向けた前哨戦。

 ――最高の、実戦経験だ。


(この程度の相手を倒せないようじゃ)

(未来なんて切り開けない)

(運命なんて変えられない)

(この手でハンナを、救えない!!)


 アルトは強く、強く念じて、心を奮い立たせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る