第57話 おじゅけん7

 受験生の答案用紙に赤を入れながら、スカディはほくそ笑む。

 今回の問題は、過去の試験の中でも随一の難しさを誇っている。

 その証拠に、今回の数学の平均点はかなり低い。


 たとえば5色問題は中でも正答率が低く、1%しか正しい答えを導き出せていない。


 ほとんどの者が低い点数にとどまる中、何人かは高得点を上げている。

 それは俗世にあまり興味を持たないスカディの耳にさえ届く、名門中の名門貴族の子息子女であった。

 やはり名門だけあって詰め込むだけではない、実利を備える素晴らしい教育を受けているようだ。


 そんな中、1つの答案用紙がスカディの目に留まった。


 その用紙には、見たことのない式がびっしり書き込まれていた。

 特に目を惹いたのは、スカディも自画自賛する5色問題だ。


 その式はスカディの知るものよりも、何倍も洗練されていた。

 その美しさは見た瞬間、体が震えるほどだった。


「こ、こんな式があったなんて……」


 神フォルテミスが戯れに生み出した式だとさえ思えた。

 もしそうであってもスカディは驚かない。やはり、と口にするだけだ。


 もっと驚くべきは、式を計算した後の一言である。


『4色でも色分けは可能です』


「馬鹿な! 複雑な図面を4色で、それも絶対に同じ色が隣接しないように塗り分けるなど不可能だ!!」


 そう思ってしまったが最後、スカディの学者魂に火がついた。


 試験問題の採点など放置して、あらゆる図形を竹紙に書き込み、四本の筆を用いて色を塗り分けていく。


 数日かけても、スカディの筆は止まらない。

 スカディが考えられるすべての図形――幾何も絵画も、手持ちの書籍からも知恵を拝借して4色問題に取りかかった。


 一瞬、不可能だと思うことは何度もあった。

 だが組み合わせを変えると面白いように色が当てはまっていくのだ。

 一週間かけても、スカディは色分け不可能な図形を見つけられなかった。




 正気に戻ったスカディが徹夜で採点を終えて学校にやってくると、同じく試験問題を担当する同僚のポンテュニュとタンジェロも同じように目の下にクマを作っていた。


 彼らも試験問題の採点に手こずったようだ。

 数学とは違い、語学や魔学は、その答案の内容・言語も精査する。

 採点に時間が掛かるのは仕方がない。


「ポンテュニュ、タンジェロ。ずいぶん疲れてるようだな」

「まあね。スカディだってクマが出来てるよ。そんなに採点が大変だったのかい?」

「いいや。ちょっと面白いものを見つけてな。タンジェロはどうだ?」

「ぼくも同じだよ。面白ものがあった」

「ふぅん?」


 スカディは鼻を鳴らし、それとなく同僚の姿を眺める。

 疲れている様子なのに、その体には何故か覇気が満ちているのだ。


「なにか、採点で問題があったのか?」

「んー。…………同僚だから言うんだけどさ」


 ポンティニュが二人に顔を寄せて小声になった。


「実は答案で面白い解答を見つけたんだ。その答案は種の遺伝情報を神学的に働きかけないばかりか、『ミーム』という妙な言葉を使って情報移転を定義するんだよ」

「それは……フォルテミス教の耳に入ったら大変なことになるな」

「そうだよね」


 ポンティニュが苦笑する。

 だから二人にしか話せないんだよ、と言うように。


「だから強烈に刺激されてね。学術的批判をしてたらすっかり採点を忘れてしまっていてね。この通りだよ」

「…………ポンティニュも?」

「タンジェロ、お前もか」

「うん。勇者をテーマにした小論文が書かれてたんだけど、なかなか面白くてね」

「それはまたずいぶんとニッチだな。お前が面白いというのだから、デキは良かったんだろ?」

「良いも良いよ! ぼかぁね、ある高名な学者が名前を隠してお忍びで試験を受けにきたかと思ったくらいだ。もしかしてスカディも同じかい?」

「ああ。…………まさか、その受験生の名前って『アルト』とか言うんじゃないだろうな?」

「「えっ?」」


 スカディの問いに、ポンティニュとタンジェロが同時に発声した。

 その声からすると、どうやら否ではないらしい。


「……あいつ、農民だぞ?」

「けれど、素晴らしい小論文を書くんだよ」

「先見の明がある。けど農民は」

「問答無用で落としてたな……」

「…………」

「…………」


 三人は一様に黙りこくった。

 農民は浅ましい生き物だ。

 馬鹿で粗野で未来を見ない。貴族が上手く使わなければ、勝手にのたれ死んでしまう。そんな奴を栄えある宮廷学校に入学させるわけにはいかない。


「……落とすか?」

「まさか!」

「もったいない!!」

「「え?」」


 タンジェロの発言で、スカディとポンティニュが同時に吃驚した。


「もったいない?」

「いや、ほら考えてみてよ――」

「ああ言いたいことは分かったぞ」

「ん? …………ああ、なるほどな」


 長年同僚として席を並べた三人である。

 同じくらい高い頭脳を持った、同じ階級にいる者同士。閃きだって、無言で通じ合える。


「他の試験で落ちたら残念だが――」

「もし受かれば、簡単に知識の箱が手に入る」

「…………お主ら、悪よのぅ」


 ただで農民を入れるつもりはない。

 入れるからにはこき使って、自分たちの研究の踏み台にでもなってもらおう。


 運が良ければ今回のような、とんでもない理論が彼の中から発掘されるかもしれない。そうなれば、学者としての地位がますます向上することになる。


「この平民は、我々に感謝すべきだろうな」

「然り然り」


 我々上級国民に使われるおかげで、決して入れない宮廷学校に入学できるのだから……!


「「「ふぉっふぉっふぉ」」」


 目にクマを付けて目を血走らせた男三人は黒く笑い合った。




 その1年後。同時に発表された論文がユーフォニア王国を――そしてフォルテルニア全土を巻き込んだ騒動に発展する。

 発表された論文のずば抜けて高度な理論に、すべての学者が大激論を交わす。ある学者は吟味を貫徹し、ある学者は否定するためだけに証明を繰返した。


 そうした中、新たに3人の連名で論文が発表される。しかしその内容があまりにトリッキーだったために、流れは一気に完全否定へと傾いた。


 50年後。3つの論文は語学、数学、魔学の分野だけでなく様々な分野の礎と呼ばれるようになった。

 さらにその50年後、馬鹿の代名詞とまで言われた連名の論文は、学問に新たな枠組みを生み出した。


 その功績が評価がされたときにはもう、彼らはこの世を去っていた。

 世界中の学者から批判の嵐に遭った彼らは、散々罵倒された挙げ句に教師職を追われ研究職にもありつけず、惨めな余生を送ったとの記録が残っている。


 後世、この出来事を人々は『スカ・ポン・タンの悲劇』として語り継ぐこととなるのだが、それはまだ未来の話である。

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