第56話 おじゅけん6
「あっ、やっべ」
レバンティの視線が、錘と青年とを行き来する。
目の前で、何が起こったのかがさっぱりわからない。
呆然とするレバンティとは裏腹に、青年はやや慌てたように天井の錘と、手元に残った取っ手を見比べた。
「やりすぎた」
青年の呟きに、レバンティの喉の奥からクツクツと笑いがこみ上げる。
(この男はバカだ)
(バカで、馬鹿力だ)
次の垂直跳びでも、彼は驚異的な馬鹿力を発揮した。
レバンティの記録を抜き、しかも叩きつけた手を記録板にめり込ませてみせたのだ。
この青年。何故かバカみたいに身体能力が高いが、その扱い方がてんでなってない。
自身の力に無自覚で無頓着。荒削りにも程がある。
だが、荒削りだからこそ鍛え甲斐がある。
きちんと研磨していけば、この国随一の騎士になれるポテンシャルを秘めている。
それも、ユーフォニア王国が誇る12将すら、たやすく凌駕するほどのものだ。
評価用紙に3点を記入しながら、レバンティは内心ほくそ笑む。
(この男が入学したら、絶対に俺が直々に指導してやる)
(これほどの逸材、磨けば光ると判りきっている原石を、他の教師などに渡すもんか!)
続く1マス破壊。
彼は腰に据えた長剣をゆっくりと抜いて構えた。
剣の色から、ミスリルがいくらか含有されたものだと判る。
腕力は高いが攻撃力は低い。その欠点を補うために、切れ味の高い剣を持ったというところか。
レバンティがそう評価している中、青年がマスに剣を振り下ろした。
――ガッ!
「……えっ?」
「……あっ」
彼の剣はマスを切り裂き、さらにその台座を切り裂き、剣が触れていないはずの床を5センチほど切り裂いた。
「「…………」」
熱を帯びていた体が、一転して冷たくなった。
レバンティは無表情で評価用紙に点数を書き込む。
もちろん4点――合計して10点満点だ。
「もう良い。行きなさい」
「あ、ああ。ええと……壊して悪かった」
「いい。うん、いいから…………行きなさい」
ちょこちょこと頭を下げながら、ソソソと青年が小走りで退出した。
(……あれは、駄目だ)
レバンティは先ほどの夢を、ゴミ捨て場に全力で投棄した。
(あんな奴に誰が教えられるというのだ?)
(あれに指導が出来るとするなら、ドラゴンにだって戦い方を教えられるぞ!?)
(あんなもんに技術指導なんて出来るか!)
(1日1回殺される未来しか見えんわ!!)
もし手加減という言葉をまったく知らないあのバカが合格したら、俺以外の教官を生け贄にしよう。
レバンティはそう、固く誓った。
次に現れたのは、実にぱっとしない農民の少年だった。
(農民のくせに、この学校の受験料金貨1枚を支払ったのか?)
(金貨1枚といえば、彼なら1年は暮らせる額だろうに……)
どうやってお金を手に入れたのか。
きっと、まっとうな手段でお金を得たわけではないはずだ。
極貧生活から抜け出す夢を見て、スリや万引きを繰り返して集めたに違いない。
そういう犯罪者はさっさと落としてしまうに限る。
「あの、この部屋いろいろ壊れてますけど。なにかありました?」
「…………気にするな。お前には関係のない世界で起った超常現象だ」
レバンティは手をひらひらさせる。
前の受験者について、今は1ミリも触れたくなかった。
少年は無関心なレバンティの動きに動じず、錘を軽々とお持ち上げた。
まるで錘になっていないかのような、なんの抵抗も感じさせない動きだった。
(ん、おかしいぞ?)
(こんなみすぼらしい少年に、50kgもの錘を持てるはずがない)
(きっとなにかの魔術を使っているんだ)
(……っく! 小癪な!!)
「その錘は手慣らしだ。次が本番だからな」
そう言って、レバンティは通常の3倍の錘を取っ手にくくりつけた。
だがそれも少年は軽く持ち上げる。
「ま、まだだ! まだ軽い!」
なにを慌てているのか、もはやレバンティですら分かっていない。
額に汗を浮かべながら、部屋にある錘のすべてを取っ手にくくりつけた。
しかしそれですら、少年にはなんの抵抗もしなかった。
「もう成功で良いですか?」
「あ…………ああ…………」
一体どのような魔術なのか、レバンティにはさっぱりわからなかった。
しかし、これ以上の錘はこの部屋にはない。少年の化けの皮を剥がせそうにない。
さておき、1つめのテストは成功だ。
フォルテミス教の教義に乗っ取り、仕方なくレバンティは彼に3点を付ける。
続いての垂直跳びだが、ここでレバンティに妙案が閃いた。
「次の試験だが、思い切り垂直に飛べ」
「思い切り?」
「ああ。そこにある計測板は気にするな。壊れてるからな」
その計測板には手形の窪みが残っている。別の意味でも気にしないでもらいたい。
とにかく、こう言っておけば成功も失敗もレバンティの独断で決められる。
(どうせ汚い手を使って合格するつもりなんだろう? そうは問屋が卸さないぞ!)
どんな記録を出しても、彼を0点に出来る。
この時レバンティは、彼がたとえ10メートル上の天井に手を付けても、点数を与えるつもりはなかった。
少年は二・三度体を屈伸させる。
天井を見上げ、床を見て、深く息を吸い込んだ。
次の瞬間、
――ズゴァァァン!!
地面の大きな揺れと同時に爆音が響き渡った。
「――ンァッ!?」
レバンティは危険を察知して堅くした。
いままで目の前にいたはずの少年が、忽然と姿を消している。
まさかと思い上を見るが、誰もいない。
(音が聞こえた瞬間、全身をビローンと伸ばした少年の姿を見た気がしたのだが……)
やがて建物の揺れが収まるころ、少年が姿を現した。
「すみません。床、踏み抜いちゃいました」
「――はあっ!?」
少年が現われたのは、なんと床に空いた穴の中からだった。
ここは訓練室だ。生徒の攻撃や魔術が当たっても、並大抵のことでは破壊されないようにできている。
(まさかその床を、踏み抜いただと!?)
(……いや、落ち着け俺)
(こいつはきっと、熱の中位魔術――ファイアバーストを使って飛び上がろうとでもしたんだ)
(しかし残念だったな!! 床が壊れては試験失敗だ!!)
「くっくっく…………く?」
――いや、待てよ?
そこでレバンティはおかしさに気づいた。
(こいつ、今どうやってここまで昇ってきたんだ!?)
この下の階もまた、ここと同じよう作りの訓練室だ。
現在も試験が行われているので、下の部屋に居た者達はずいぶんと驚いたことだろう。
だが問題はそこではない。
ここと同じ作り――つまり、下階の部屋も天井が10mあるのだ。
普通の手段ではまず、穴が空いていても這い上がることさえできない。
(どうやって…………いや)
考えるまでもなく、レバンティはもう気付いていた。
床を踏み抜いて下に落ちた少年は、垂直跳びで自分の試験室まで戻って来たのだ!
「あの…………床は…………」
「気にするな。物損は日常茶飯事だ」
自分で口にしておきながら、レバンティは「いやいやいや」と内心連呼する。
(いやいやいや。あり得ないから!)
(床が抜ける物損とか絶対ないから!!)
このことを、どう説明すれば良いのやら。
彼の頭の中はもう試験よりも、上司への言い訳でいっぱいだった。
「ほら、次をやれ」
レバンティの言葉に従順に従う少年の手には、いつの間にか短剣が握られていた。
いったいいつ抜いたのか、肉体戦闘系の教官であるレバンティにすらわからなかった。
少年はマスの上にす、と短剣をかざし、まるで絵でも描くかのように短剣を下ろした。
短剣に触れた途端、マスはまるで聖者を避ける海水のように音もなく割れた。
「…………もう良い」
もう十分だった。
考える気力すら沸かない。
少し前までなら、きっとレバンティは「いまのマスは壊れていた」と言って喚いただろう。だがそんなものはどうでもよかった。
もうこれ以上目の前で、常識を砕かれるのはまっぴらごめんだった。
少年が退出し、後には破壊された床と、重量が最大値になった錘と、真っ二つになったマスだけが消えずに残った。
まるで夢でも見ていた気分だ。
しかし、夢や幻では決してない。
「……」
ふと気になって、レバンティは錘が全部付いた取っ手を持った。
(まさか、錘が軽かったなんてことはないだろうな?)
取っ手に力を込めると、彼の筋肉がみるみる盛り上がる。
そして、
――グキッ!!
「ン゛エ゛ァァァッ!!」
彼が錘を1ミリ上げる前に、彼の腰が悲鳴を上げたのだった。
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