第35話 黒衣の魔術師との再会

 悪魔が残した魔石を回収し、アルトはふと気がついた。


「そういえば……」


 今回と同様に、前世でも悪魔の襲撃を受けていたのだとすれば――、


(前回は、誰が倒したんだろう?)


 その時、周囲が大きくざわついた。

 同時に人の群れが粟を食ったように動き出し、道を空けた。


 道の向こう側から、一台の馬車が近づいてくる。

 馬車から感じる強烈なマナに、皮膚がひりつく。


「あれは……」


 人々が見守る中、馬車の窓から壮年の男の顔が覗いた。

 男は黒いローブを着用し、そのフードを目深に被っている。


 顔は見えない。

 だが、アルトにはその男が何者か、よくよく理解出来た。


「――ガミジンッ!!」

「アルト、待って!」


 アルトの肩を、マギカが掴んだ。

 もし肩を掴まれていなければ、アルトは黒衣の男に向かって飛び出していた。


 その男――ガミジンは、アルトの恋人であるハンナを殺した魔術士。

 ユーフォニア12将が一人、ガミジン・ソルスウェイその人だった。


「アルト。あの人は、誰?」

「……ユーフォニア12将ガミジン・ソルスウェイだよ」

「あれが……」


 ずっと街の外で暮らしていたマギカでも、戦士である以上は名前を耳にしたことがあるようだ。顔がさっと青くなる。


「なら、なおさら行っちゃだめ」

「どうしてッ!?」

「行っても死ぬだけ。無駄死に」

「……ッ!!」


 頭が沸騰する。

 マギカを払いのけて、ガミジンに飛びかかりたかった。


 だが、彼女の弁は正しい。

 いま戦っても、絶対に負ける。

 それが判るから、アルトはギリッと奥歯を噛んで、必死に衝動を抑え込んだ。


 アルトは気持ちを落ち着かせ、ガミジンから見えない位置に移動した。


(しかし、そうか……だからキノトグリスは、悪魔に滅ぼされなかったんだ)


 ガミジンがこの場に現われたのは、今世に限ったことではないはずだ。

 前世でも、彼はキノトグリスを訪れていた。


 そこで、悪魔と戦った。


(あいつなら、普通に倒せそうだ)


 ガミジンの人格はさておき、能力は疑いようがない。

 ある程度離れていても、肌に突き刺さるほど鋭い魔力が感じられる。


 いずれ、あれと戦う。

 ガミジンを睨みながら、アルトは密かに闘志を燃やすのだった。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



「ガミジン様。なにか、されたんですか……」


 御者の声は震えていた。

 ガミジンは息を吐き、手を払った。

 その手から、崩れ落ちた祭器の欠片がハラハラと落ちた。


「倉庫に眠っていた祭器の性能がぁ、ずっと気になっていたんですよぉ。ああ、やはり無理を通して、キノトグリスに来て良かったですねぇ」


 キノトグリスには、多くの魔石が流通している。

 それはこの街に、世界で類を見ないダンジョンがあるからだ。


 ガミジンの祭器を起動させるためには、高純度の魔石が必要だった。

 それも、低級悪魔レベルの魔石でなければならなかった。


 当然ながら、それほどの魔石が世に出回る確率はかなり低い。

 何故なら最低でも、低級悪魔を倒さねばならないからだ。


 低級とて、悪魔を倒せる者は限られている。

 国内ではSランクの冒険者か、ユーフォニア12将くらいしか、まともに対峙出来ない。


 また、悪魔の出現率は相当低い。

 たとえ悪魔を倒せる力があろうと、目の前に悪魔が現われるかどうかは運次第だ。


『そんなレアな魔石を必要とする祭器を動かしたら、一体なにが起こるのだろう?』


 素朴な疑問が、ガミジンの欲求に火を付けた。

 ガミジンはなんとしてでも魔石を入手しようと躍起になっていた。


 だが長年、入手出来ずにいた。

 その魔石が、なんと先日キノトグリスの魔石商が入手したというではないか!


 ガミジンはすべての仕事を放り出してキノトグリスへと向かった。


 金に糸目を付けず、魔石を購入。

 それをはめ込んだのが、つい先ほどのことだった。


「予想通りではありましたが、想像以上ではありませんでしたねぇ。低級悪魔の魔石を使って、低級悪魔を召喚するなんて、普通すぎて欠伸が出ますぅ」


 低級悪魔の召喚など、決して普通のことではない。

 戦力が揃っていない小国であれば、為す術無く滅んでしまう。

 低級悪魔とは、それほどの存在なのだ。


 それを、魔石一つで召喚出来るアイテムである。

 決して普通などと評せるものではない。

 万が一国家転覆を目論む者の手に渡れば、必ず大事に至るだろう。


 しかしガミジンにとって、低級悪魔は珍しいというだけで、取るに足らない相手である。

 低級悪魔の手など借りずとも、戦力ならガミジン一人で十分だ。



 残念なのは、一度悪魔を召喚しただけで祭器が崩れ落ちてしまった点だ。

 おまけに悪魔は、召喚した場所からかなり離れた場所で顕現した。


 一度しか使えず、狙った場所に召喚出来ないとなれば、もはやガミジンにとっては欠陥アイテムだった。


「以前僻地で使った、ゴブリン増殖の魔道具の方がマシでしたねぇ」

「は、はあ……」

「知ってますかぁ? ゴブリンは増えすぎると、子どもを食らうんですよぉ。老い先短い老ゴブリンが、よってたかって子どもを食らうなんて滑稽ですよねぇ。子どもを食らえばすぐに行き詰まるというのに。今さえ良ければそれでいいんでしょうねぇ。さすがは低脳(ゴブリン)です。くっくっく……」


 魔道具でゴブリンを増殖させたガミジンは、惨い光景をひとしきり楽しむと、その場を後にした。

 増殖したゴブリンをそのままにして……。


「そういえば、あのゴブリンの群れはどうなったんでしょうねぇ? まあ、どうでも良いですけどぉ」

「……あ、あの、先ほどの悪魔は、ガミジン様が……?」

「さあ、馬車を出して下さい」


 すっかり祭器への興味を失ったガミジンは、座席に深く背中を預けてぶっきらぼうに言い放った。


 自らの好奇心を満たすためだけに悪魔を召喚した。

 あまりに冒涜的な行為を平然と行うガミジンに、御者は震えた。


 しかしガミジンに諫言出来るような立場でなければ、力もない。

 御者は自らの思いをぐっと飲み込み、馬に鞭を入れた。


「それにしてもぉ、ずいぶんあっさり倒されましたねぇ」


 建物には〈熱魔術〉の痕がくっきり残っているし、完全に破壊された建物も何軒かある。


 しかし、低級悪魔が出現した場所としては、あまりに被害が軽微にすぎた。


(普通は、もっと破壊されているはずなんですけどぉ……)

(わたしが到着する前にぃ、悪魔が倒されるとは思いませんでしたぁ)

(キノトグリスには、そんなに強い人がいたんですねぇ)


「……それで、ガミジン様。この街に反応はありますか?」

「いいえぇ。なんにも、反応はしてないですよぉ」


 ガミジンが、懐から取り出した紅玉を見て首を振る。

 この紅玉は、魔石を削り出して作った魔道具だ。


 使用されている魔石は、ドラゴンのものだ。

 一つで王都の一等地に家が数軒建つほどの値段がする。


 そんなドラゴンの魔石を、人捜しの魔道具を作るためだけに用いられた。

 とてつもない無駄遣いだ。


 しかし、これはガミジンの趣味ではなく、王命によるものである。

 そしてその王命も、神の信託を受けてのものだった。


 神――正義を司る、フォルテルニアで唯一絶対の神フォルテミスだ。


『世界の理を破壊する危険因子の芽を、早急に見つけ出し、これを排除せよ』


 神命だか王命だか知らないが、ガミジンには良い迷惑だった。

 この命令のおかげで、自分の貴重な研究時間が削られてしまうのだから。


 とはいえ、ユーフォニア12将という立場は、気軽な遠出を許さない。

 今回ガミジンがキノトグリスくんだりまで足を運べたのは、この王命を言い訳に出来たからだ。


 王命を言い訳にするなど不敬極まりないが、ガミジンは一切気にしない。

 魔術の研究が出来るのなら、ガミジンは陛下の犬にもなれるし、陛下の写真を踏みつけることだって出来る。


「そもそもぉ、この魔道具は目的の人物がぁ、ある一定以上の強さにならない限りぃ、反応してくれないんですよぉ? こうやって探し回っても、今はまだ反応しないかもしれないじゃないですかぁ」

「まあ、そう言わず。もしかしたら引っかかるかも知れませんし、ね?」

「面倒臭いですねぇ……」


 少しふて腐れながら、ガミジンは窓の外を眺めた。

 その時だった。


(おっ?)

(これはこれはぁ……)

(まさかこんな所にいるとは、思いませんでしたねぇ)


 にたりと笑い、窓の外に目をやる。

 流れる街並みの一角に、綺麗な毛並みを持つ獣人の少女がいた。


(教皇庁指定危険因子(マキア・エクステート・テロル))

(潰したいですねぇ)

(解体したいですねぇ)

(ああ……)

(一体アレは、どんな素材になってくれるんでしょう?)

(王命なんて放り出して、アレを叩き潰しちゃいけませんかねぇ)


 ガミジンは、半ば本気で実行に移そうかと考えた。

 しかし、王命に背くと王都での研究が出来なくなる可能性が非常に高い。


 一時の衝動と、今後の研究を天秤に掛ける。

 ガミジンは渋々、危険因子の討伐を諦めるのだった。


 その隣にいる少年も、ガミジンの魔術は子細に捉えていた。

 しかしガミジンの記憶には、一切残らなかった。


 ――将来、その少年の刃が自らの喉元に迫るなど、この時のガミジンには知るよしもない。

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