第32話 悪魔の力

 一週間の探検を終えて地上に戻ったアルトは、ギルドで魔石を売却し東通りを歩く。

 このところ、冒険者たちからの視線をよく感じる。


 敵対するような鋭い気配は感じないので、誰かから恨みを買ったわけではなさそうだ。

 では何故見られているのか?

 注目を集める理由に、アルトは心当たりが無い。


 前世でアルトは、完全に空気だった。

 偉業を成し遂げても、誰一人アルトに興味を持たなかった。


 どれほどの功績を挙げても、存在力が低すぎて意識から外されてしまう。

 これが、人類の奥底にすり込まれた神の〝魔法〟だ。


 にも拘わらず、現在アルトは冒険者たちにそれとなく見られている。


(少しずつ、なにかが変わってる……?)


 逸脱を、決して許さぬ神の呪縛が、緩んでいる。

 それが自分の努力によるものか、はたまた天賦のおかげなのかはわからない。

 だがアルトはこの変化を歓迎する。


 固定された運命が、別の道へと切り替わりつつあった。

 そんな矢先のことだった。


 運命の変化は、歴史の強制力を引き起こし――終末の加速をもたらすのだった。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 宿に戻ったアルトが自室に戻ろうとした時、宿の大将から声がかかった。


「おいあんた。最近ツレの女が戻って来てないみたいだが、一緒じゃないのか?」

「えっ? ええ、最近は別行動してますけど」

「そうだったのか。いやなに、長い間宿に戻らないんだったら、一旦部屋を解約した方がいいんじゃないか? 部屋を使わねえなら、こっちは手間が省けて良いんだけどよ。そっちは金がもったいねえだろ。どうする? 一旦解約しとくか?」

「いえ、そのままにしておいてください。わざわざありがとうございます」


 主人に頭を下げ、アルトは自室へと戻る。


「マギカは、まだ帰って来てないのか……」


 部屋に入り、扉を閉めた姿勢のまま、アルトは立ち尽くしていた。

 なにかが頭に引っかかる。


「なんだろう? なにかを見落としている気がする……」


 アルトはしばし熟考し、ハッと息を飲んだ。


 マギカ――マキア・エクステート・テロルは、教皇庁指定の危険因子だ。

 危険因子の中でも、高いランクに位置している。

 いずれは討滅の指令が下されるだろう。しかし、いまはまだ出ていない。


 ――出ていない、はずだ。


 しかし運命はいま、別の道を歩み出している。

 

 ――もし、現時点で討滅命令が出されていたら?


 本来起こるべき未来が、変化した可能性がある。


 ――七年後に討たれる未来が、既に訪れているのだとすれば?


 頭の中に、『もし』がいくつも浮上する。

 まさかそんなと思いつつも、アルトの背中には嫌な汗がじとり浮かんでいた。


「……っ!」


 気がつくと、アルトの体は自然と動いていた。

 宿を出てダンジョンに向かう。


 その道中、《気配察知》に意識を傾ける。


「はぁ……はぁ……!」


 人を避けながら、全力で走る。


 アルトにとって、ハンナの命を救うことが、今世で最も重要な目標だ。

 一瞬たりとも、自己強化以外に使う余裕はない。


 それは、わかっている。

 だがアルトは、マギカが死んでしまうかもしれない可能性を、座視出来なかった。


 自分と関わりのある者の命が失われるかもしれないと思うと、いてもたってもいられなかった。


(僕の思い違いであればいいんだけど……)

(いたっ!)


 ダンジョンに近づいた時、アルトの感覚が馴染みのある気配を捉えた。

 誰よりも強く、誰よりも純粋なそれは、間違いない。マギカのものだった。


「マギカッ!」

「……ん、アルト?」


 全速力で駆け寄ると、マギカがいつもの眠たげな瞳をアルトに向けた。

 しきりに耳がぴこぴこ動いている。

 表情には出ていないが、アルトが駆け込んできた様子に驚いているようだ。


「どうした?」

「え、ええと……」


 静かな声で尋ねられ、アルトは答えに詰まった。

 ここまでアルトは、マギカが死んでしまっているのではないかと思って走ってきた。

 あるいは窮地に陥っているのかと想像した。


 だが、マギカは無事だった。

 おまけに、何者かに襲われた様子もない。


 そもそも彼女は教皇庁指定危険因子。神が敵と認めるような人物である。

 そう易々と殺されるはずがない。


(なんだ、僕の勘違いだったか)


 早とちりに気付いて、顔が熱くなる。

 なんとか誤魔化そうと、アルトが踵を返した。


 ――その時だった。

 アルトの背中を強烈な悪寒が走った。


「「――ッ!?」」


 アルトとマギカが反応。

 一瞬で戦闘態勢を取る。


(なんだ、これは……)


《危機察知》の反応は、プラントオーガに遭遇した時以上だ。

 あの植物鬼より強い相手が、地上に存在するなど認めたくない。


 しかし現に、スキルが反応している。


 この感覚が、どうか誤りであって欲しい。

 その願いは、空しく散った。


 夜の闇が集まるように、漆黒が街の空の一点に集まっていく。

 その漆黒は、やがて人型に変形した。


 ぬらり。闇から現われたその人型が、


「■■■■■■■■■■!!」


 強烈な畏怖を催す雄叫びを上げた。

 周囲の建物が振動。

 はめ込まれた窓枠が、振動に耐えきれず落下する。


 同時に、人型の体から紅蓮が噴出。

 半径十メートル以内の建物が、一瞬にして炭化した。


「――ぐっ!!」

「――ッ!?」


 アルトの膝ががくりと折れた。

 気力は満ちているのに、足に力が入らない。


 あたかも王に頭を垂れる臣下のように、アルトは膝を付いた態勢のまま、身動きが取れなくなった。


 見回すと、一様に地面に腰を落としていた。

 存在力が低い者は、高い存在力の覇気に当てられると、膝を屈してしまうのだ。


 これが、フォルテルニアの魔法。

 ――神格には膝を屈せよ。

 神が作り出した、絶対的ルールだった。


 アルトは前世で、これに似た経験をした。

 あの黒衣の魔術師を相手にしたとき、一歩も前に進めなくなったのだ。

 目の前でハンナが殺されようとしているのに、指一本動かせなかった。


 これは人間の意思とは無関係に、世界の魔法が体を束縛してしまうのだ。


 これだけ大勢の人の動きを封じられる覇気を出せる存在力は一つ。

 ――☆5のみだ。


 つまりあの人型は、神格を持つ相手であるということ。


(――悪魔かッ!!)


 アルトはギリっと奥歯を噛みしめる。


 悪魔は魔物の最上位に位置する、人類の敵だ。

 一騎当千の力を持ち、過去にはいくつもの街を滅ぼしたこともある。


 前世でアルトは、低級悪魔に滅ぼされた小さな町を訪れたことがある。

 かつて町だったそこは、ただの更地に変わっていた。


 まさに厄災。

 ただの人間は、悪魔の出現に抗うことさえ出来ない。


 このままでは、キノトグリスが滅んでしまう。

 アルトは全身に力と魔力を漲らせ、必死に体を動かそうとする。


 しかし、体は一切反応しない。


(まただ……)

(また体が動かない)

(動けよ。動けって僕の体(ポンコツ)!!)

(また同じ事を、繰返すために生き返ったわけじゃないだろ!!)


 ギリギリと奥歯を食いしばる。

 奥歯が頬の肉を噛み千切る。

 口の中に血の味が広がった。


 全力を尽くして、体に指令を送る。

 だが、アルトの体はピクリとも動かなかった。


「……大丈夫。任せて」


 斜め上から、穏やかな声が聞こえてきた。

 マギカだ。


 皆が膝を屈する中、彼女だけは唯一動きを封じられていなかった。


 マギカが鉄拳を握りしめ、屋根の上へと跳躍した。


 この場で彼女だけが動けている理由は、彼女の存在力が非常に高いためだ。

 彼女の存在力は、☆4と見て間違いない。


(薄々感づいてはいたけど……)


 住む世界が違う。

 真っ先に思い浮かんだのは、その言葉だった。


(マギカだけに戦わせるわけには……ッ!!)


 アルトが必死に体を動かそうとする中、マギカが果敢に悪魔へと挑んだ。


 拳を握りしめ、振り抜く。


 ――ッ!!


 マギカの拳が、音を置き去りにした。

 遅れてドッと鈍い音。


 彼女の攻撃が、悪魔の腹部に直撃した。

 衝撃を受けて悪魔が吹き飛ばされる。

 受け身も取れず、建物に直撃。


 ――ズゥゥゥン!!


 直撃した建物が、そのあまりの威力に耐えきれず倒壊した。


(ちょっと見ない間に、とんでもなく強くなってる……)


 アルトはマギカの動きに目を見張った。


 以前、プラントオーガ戦でアルトは、彼女の動きをつぶさに観察していた。

 その頃とは比べものにならないほど、攻撃の威力が増している。


(これは、かなり引き離されたかもしれないぞ……)


 アルトの顔が引きつった。

 マギカを抜き去るつもりで訓練していたが、近づくどころか逆に溝を開けられてしまったかもしれない。


 さておき、対悪魔だ。

 数段レベルアップしたマギカならば、あるいは……とアルトは希望を抱いた。


 その希望は、


「――ッ!?」

「む、きず……」


 何事も無かったかのように立ち上がる悪魔の姿に、あっさりと打ち砕かれた。


 アルトは即座に考えを改める。


(このままマギカに全てを押しつけちゃ駄目だ)


 しかしながら現在、アルトは立ち上がれない。

 マギカと肩を並べて、戦えない。


(けど、マナは操れる)

(スキルは使える!)


 マギカが戦う様子をじっと見つめながら、アルトは体内で魔力を活性化させるのだった。

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