第16話 彼に興味を持ったきっかけは

 店を出て、アルトは宿に向かった。宿泊する宿は既に決めている。

 キノトグリスの迷宮から少し遠い、北門の傍にある〝翠山亭〟だ。

 少し値が張るのだが、ご飯がとにかくおいしい宿である。


 アルトは前世でもこのお店を愛用していた。


 お店に足を運び、1ヶ月分の宿代を支払う。

 アルトを見て店主はやや戸惑ったが、後ろに控えたマギカを見るなり一気に愛想が良くなり――そして、意味ありげな笑みを浮かべたのだった。


「――さて」


 押えた部屋はツインルーム。ベッドが二つある部屋だ。

 ――ツインを押えたはずなのだが、


「うーん。どう見てもダブルベッドだよね」


 実際には、ベッドが一つしかない部屋だった。


(あの親父、一体なにを考えてやがるんですかね!?)


 どうやらアルトは、マギカの愛玩少年(ペット)かなにかだと思われたようだ。

 そんな店主の妄想に、アルトは頭を抱えるのだった。



  □ □ □ □ □ ■ □ □ □ □ □



 今日はマギカの身に、これまで経験したことがないような出来事が一挙に押し寄せてきた。

 アルトのスキルに始まり、入門審査での取り調べ、そして宿での部屋の間違いだ。

(ちなみに部屋はきちんとツインに変更してもらった)


 昼頃にはキノトグリスに入ったのに、お風呂場で汗を流す頃には、日がとっぷり暮れていた。


「……疲れた」


 髪の毛はまだ濡れているが、このままベッドに飛び込んで眠ってしまいたかった。

 お湯を浴びて部屋に戻ってきたマギカは、扉を開いてしばし硬直した。


「――ッ!?」


 部屋のそこかしこに、小さいマナの球が浮かんでいるではないか。

 球に敵意がないためすぐに冷静さを取り戻したが、それでも洗ったばかりの尻尾の毛が逆立ってしまった。


 マナの球は、あるものは上昇し、あるものは下降する。

 複数の球が抜いたり、抜かれたり、まるで競争のようにぐるぐるまわっている。


 マギカは部屋に入ることも忘れてしばしその幻想的な光景に見とれた。

 光球を生み出しているのは、ベッドに腰を掛けた人物――アルトだ。


 無数の光球を出現させるだけでもかなりの魔力を必要とするのに、さらにその一つ一つに個性を持たせている。


 これはもはや、人間技ではない。

 神の如き練度の魔力操作だ。


「アルト、これは……」


 マギカはアルトに話しかけようとして、途中で言葉を飲み込んだ。


 アルトと名前を呼んだのに、彼は一切マギカに意識を向けなかった。

 尋常ではない集中力だ。


 そんな彼の集中を、くだらない言葉をかけて切らしてしまうのが申し訳ない。

 マギカは無言のまま部屋に入り、ベッドに腰を下ろす。


(不思議な子ども)


 マギカが初めて彼に接触したのは、夜の荒野のことだった。


 数えるのも馬鹿らしいほどのナイトウルフの群れが、彼を囲んでいた。

 普通の子どもなら、泣きながら助けを呼ぶか、絶望に震える場面だ。


 しかし彼はそんな状況にあって、泣くことも、助けを呼ぶこともなく、ましてや絶望に震えてもいなかった。

 そして、ナイトウルフに対して戦意も見せていなかった。


(……どういうこと?)


 泰然自若としたアルトの様子に、マギカは不気味さを覚えた。


 呆けていたのは一秒ほどだった。

 思考を切り替えて、マギカは動き出した。


 ナイトウルフの集団に子どもが囲まれているのだ。

 これを見過ごす訳にはいかない。


 ナイトウルフは大群だ。

 だが自分が助けに入れば、あの子どもを無事に助けられる。

 その力が、マギカにはあった。


 助けに入ろうとしたマギカだったが、再び違和感に気付く。


(ナイトウルフが、攻撃しない?)


 魔物は弱者を狙う。

 子どもは弱者であり、真っ先に攻撃される存在だ。

 にも拘わらず、いつまで経っても攻撃を仕掛けようとしない。


 ――いや、攻撃は、仕掛けていた。

 だが彼の元にたどり付く前に、その彼の周囲に張り巡らされた堀に落ちていくのだ。


 堀は円形で、幅5メートル、直径十メートルはある。

 マギカの位置から、その堀の深さまではわからない。だがナイトウルフが落下してから底に衝突する音が聞こえるまで、三秒は開いている。かなりの深さがあるとみて間違いない。


 ここは街道。元から堀などあるはずがない。

 となると、堀は彼が作ったのだ。


(でも、どうやって?)


 これだけの規模だ。手作業で掘れば一日では済まない。

 そして、通常穴を掘れば堀った分だけ土砂が排出されるが、土が積み上げられた形跡はどこにもない。


(これは、スキル?)


 土を出さずに穴を掘るスキルなど、マギカは見たことも、聞いたこともない。

 しかし――なるほど、その牙が決して自らの首に迫ることがないのなら、歯牙にかけないのも頷ける。


(不思議な子ども)


 気配を消して、マギカは全力で跳躍した。

 飛翔するような勢いで、ナイトウルフを跳び越えた。


 危うく堀に落ちてしまいそうになったが、マギカはなんとか堀を越えられた。

 ほっと安堵の息を吐く。


 そっと近づくと、彼は今し方堀に落としたのだろう魔物を捌いて、その肉を魔術で焼いていた。

 そのあまりの緊張感のなさに、マギカは苦笑した。


 話しかけてみると、子どもとは思えない落ち着きと語彙力に、マギカは心底驚いた。


(まるで、大人みたい)

(……ううん、違う)


 立ち上がる時に『よっこいしょ』と声を上げるだったり、スライムのルゥを撫でている時の顔つきだったり、拳で腰をぽんぽんと叩く癖だったりが、


(おじいちゃんみたい)


 とても老人のようだった。

 老人が、神の秘薬を使って若返ったと言われる方が自然なように思えた。


 さておき、彼はとても頭が回る。

 判断力も優れているように感じられた。


(気になる)

(この子がなにを目指すのか)

(もしかしたら私と同じ――)


 強い予感を覚えたマギカは、あっさりアルトへの同行を決めた。

 類い希な能力を持つ彼の目的、真の実力、そしてたどり着く場所を、確かめたくなった。




 マギカがアルトに驚かされた出来事は、それだけではなかった。


 翌日、マギカたちはキノトグリスまで移動する。

 その移動で中に、マギカは彼の身体能力を測るつもりでいた。


 魔術能力は子どものうちから伸びるが、身体能力は成長に合わせて伸びていく。


(さすがに身体能力は低い、はず)


 そんなマギカの予測は大きく外れた。

 ――大きく、斜め上へと。


 アルトはなんと、獣人の中でも特に敏捷力の高い栗鼠族であるマギカと、移動速度で肩を並べたのだ。

 ――それも、走らずして、だ!


 足も動かさずにどうやって移動しているのか――というより、何故そのように移動しようと考えたのかが、さっぱりわからない。


 人間の子どもが銅像のように姿勢を崩さず、直立した状態を維持したまま、高速移動している。


 悪魔の所業か、はたまた幻覚か。

 違和感が半端ではない。


(気持ち悪い)


 正直、気持ち悪い移動方法だった。

 しかし当の本人からは、悪ふざけしている雰囲気を感じない。

 至って真面目に、馬鹿げた移動を行っていた。


「なんで、その移動……?」

「これだと移動が早いし、一度に沢山のスキル熟練――れ、練度が鍛えられるからだよ」

「普通に、鍛えればいい」

「それじゃあ、間に合わないからね……」

「……?」


 アルトが遠くを見て、そう呟いた。


(なんか……急いでる?)


 マギカはアルトから、生き急いでいるような気配を感じた。


 かつてマギカが出会った、『すぐに死んでしまうタイプ』の人間と、とてもそっくりだ。

 そういった人間には必ず、駆り立てられるなにかがあった。

 大きな借金があったり、家族を失っていたり、あるいは大切なものを失う未来が待っている、といった具合だ。


(でも、彼はまだ……子ども)


 普通の子どもならば、そのような理由があるはずがない。

 ならば何故、アルトは駆り立てられているように見えるのか?


 人間の子どもがこのような技術を習得し、ナイトウルフの群れを一蹴できる程の力を得て、それでもまだ前のめりになっている。


 そうせざるを得ない程の理由はなにか。

 子どもをここまで駆り立てるものがなんなのか……。


 マギカはますます、アルトに惹かれていくのだった。

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