第2話 プロローグ2
「やり直し、ねえ……」
「七十年も生きて、さらにイチからやり直したいだなんて、我が儘だって承知しています。ですが――」
靄をまっすぐ見つめて、アルトは胸に手を当てる。
かつてあった肉体に、
「一つだけ、心残りがあるんです。1人……どうしても救いたい人がいて」
「…………」
「初めは、どうやっても無理だろうって。フォルテルニアの節理を超えられないって諦めてました。けど、ハンナをどうにかしたいって、ずっと思ってて。僕はこれまで、ハンナを救うためだけに頑張ってきたんです!」
「でもね、もう一度やり直したからって、上手く行くとは限らない」
「それは、百も承知です」
「しかし、うーん」
「……ダメ、でしょうか?」
霞が口を噤んだ、その時だった。
アルトの胸から桜色の光が浮かび上がった。
こぶし大の光は、なにかを訴えるように明滅する。
その光を見た霞が、大きなため息を吐いた。
「そうか。キミは、それを手に入れてしまったんだね」
霞が言ったそれとは、アルトが晩年になって入手した『神の涙』という蘇生アイテムだ。
このアイテムを手に入れた時、アルトは沸き立った。
だが、鑑定の結果を見てすぐに消沈した。
神の涙は〝入手した者〟を、過去未来含めたった一度だけ〈再起魔法(リボーン)〉を付与する。
――恋人を生き返らせるアイテムではなかった。
アルトが死しても意識を保ち、霞と会話をしていられるのは、神の涙のおかげである。
「…………」
アルトが固唾を飲んで見守っていると、霞が一度上下に大きく伸び縮みした。
「わかった。その願い、聞き入れよう」
「あ……ありがとうございます!」
「ただし、勘違いしないで欲しい。ぬか喜びも、ね。神の涙は今、使われた。これで、キミはこれを再度入手することは出来ない。失敗しても、次はないよ。何度もやり直せるという考えは持たないことだ」
「……はい」
「キミはまだ、神の涙のおかげでやり直す権利を得たに過ぎない。前回と同じように、キミはまたゼロからスタートすることになる。
望みを叶えるためには、キミ自身の努力によって、運命をねじ曲げる程の力を身につけなければならない。
運命は、ただの人が超えられる壁じゃない。神だって、骨を折るほどの所業だ。人の力では、超克する前に斃れてしまう」
「……それでも、救いたいんです。ハンナは、僕にとって一番大切な存在だからっ!!」
フォルテルニアは存在力至上主義だ。
存在力があまりに低いというだけで、アルトは一切認められなかった。
しかし、ハンナは違った。
彼女だけは唯一アルトを信じてくれた。
七十年生きてきて、アルトを信じてくれたのは彼女だけだった……。
ハンナを失ってから、その特別さは日ごとに増していった。
それが一体、どれほど特異な存在だったか……。
ハンナはこの世界でただ一人、アルトをまっすぐ見てくれた。
何も無いアルトと友達になってくれた。
まるで英雄譚を聞くように、アルトの話に耳を傾けてくれた。
アルトを、頼ってくれた。
どうしようもない自分を、愛してくれた。
なのにアルトは、ハンナに何一つ返せなかった。
幸せにしてあげられなかった。
(なにもしてあげられなかった!!)
気がつくと、言葉の熱に釣られるように涙がボロボロと流れ落ちていた。
(泣けない体と思っていたのに……)
「識才、武聖、術聖、王道、技巧、創造。この中から天賦を1つ選んで」
「えっ、天賦を……6つ!?」
「そう。本来生まれる瞬間に与えられるはずの、6つの天賦をいま、選ばせてあげる」
天賦は人種ならば、必ず持っている才覚だ。
人の能力に影響を与える要素は数多あるが、中でも天賦の影響力は高い。
「い、良いんですか?」
「良いよ。ただし、条件が付くよ」
「ええと、さすがに記憶を消すのだけは勘弁して欲しいんですけど……」
「もちろん。そもそもそれやっちゃったら、死に戻る意味、なくなっちゃうよね?」
くすくすという笑い声が耳に響く。
その笑い声に同調するように、白い靄がもにょもにょと動いた。
「これはキミと我々の賭けだ」
「賭け?」
「そうさ。キミは大切な人を救うことに賭ける。キミは自分の魂をベットして、我々はキミをコールした。レイズは1度きり。
タイムリミットまでに大切な人が救えればキミの勝ち。辛ければ、どこでドロップしても構わない。ただしその瞬間にキミの魂はキミの手を離れ、我々の管理下に置かれるだろう。
――どうだい? 我々と賭をしてみるかい?」
「……タイムリミットというのは?」
「20年。それを超えたら我々はキミを魂の保養地に送るだろう」
「ハンナを救うまでは――」
「十分時間があるね」
「なら十分です!」
考えるまでもなく、アルトは頷いた。
生まれてから20年後。
ユーフォニア王立宮廷学校に入学してから三ヶ月後にハンナが死ぬ。
その日まで生きられれば、なにも言うことはない。
それ以降目的はない。やりたいこともない。
ハンナさえ救えたのなら、いつ死んだって文句はない。
チップは自分の魂だ。たったそれだけで大きなチャンスが与えられる。
失うものは少なく、得られるものは大きい。
破格の勝負と言っていい。
とはいえ、立ち向かう壁はあまりに高い。
それでもアルトは直向きに手を伸ばす。
「君の決意の強さはわかった。ならば我々は再びキミをフォルテルニアの大地へと送ろう」
「ありがとうございます!」
瞬時に膝を折り、地面に頭をこすりつけた。
「それで、どれにする?」
神から与えられる天賦は、ある意味常識外れだ。
その力の一つを、アルトは実際に体感している。
以前、アルトが獲得した天賦は識才だった。
知識を蓄え易くなる才覚が得られる。
もしアルトにこのギフトがなければ、前世での最大レベル99には、決して到達できなかった。
他の天賦も、その天賦に合った才覚を恵んでくれる。
武聖を取れば武術の才覚が、術聖を取れば魔術の才覚が底上げされる。
この決定如何で、未来の半分は決まると言って良い。
それほど重要な判断だったが、アルトは悩まなかった。
「僕が欲しいのは――」
こうしてアルトは再び、地上に生を受けた。
将来、死んでしまう恋人の命を救うためだけに……。
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