第2話

 店員は見たところ二名。ホール内を歩き回ってお冷を注いでいるウェイトレスと、カウンターに陣取ってコーヒーを淹れているマスターらしき男性。


 まぁ、この二人しかいないのなら、あまり繁盛しても困るんだろうな。


 そんなことを思いながら、『AYUMI』というネームプレートを付けたそのウェイトレスが近くへ来たタイミングで軽く手を挙げる。普通、名札に下の名前を書くか? とも思ったが、このカフェではそういう決まりなのだろう。


「アメリカンを。ホットで」

「かしこまりました。一緒にケーキはいかがですか?」


 そう言われてテーブルの端にあるアクリルスタンドを指差される。見ると、『+¥250でテッパンに美味しい【Onceワンス uponアポン a timeタイム】のケーキとセットに出来ます!』というポップが挟まれていた。せっかくのカフェなのに「とりあえず生」の感覚でホットコーヒーを頼んでしまうなんて、自分もまだまだだな、と心の中で反省する。


「ケーキは何があるんですか?」


 そう言いながらメニューを開いてみるが、肝心なそのケーキの情報がない。入口付近にもケーキのショーケースはなかったはずだし、と思っていると、そのウェイトレスは、そのアクリルスタンドをくるりと裏返した。どうやらそこに記載されているようだった。

 そして彼女は、カフェという空間には似つかわしくないほどの声量で、カウンターのマスターらしき人物に声を掛けた。


「マスター! いま売り切れてるやつってあります?」


 回転寿司店かと思うほどの威勢である。しっとりとしたジャズが、「マグロ、マグロ、マグロ! どどんとマグロが大盤振る舞いのぉっ?! マグロざぁ~んまいっ、150円っ!」というCMに変わったような錯覚に陥り、くらりと眩暈がした。

 全国チェーンの回転寿司店のそのCMは、有名なジャスのナンバーに乗せて、いぶし銀な時代劇俳優がその美声を轟かせるというもので、こんな時でもなければ「南大路剣也様ってこんなふざけたCMでもやっぱり素敵」とうっとりするところなのだが、いまは本当にお呼びではないのである。


 待って。

 こういう店は雰囲気を大事にして。

 お願いだから、浸らせて。


 喉まで出掛かったその言葉をお冷で流し込む。

 大丈夫、まだジャズは生きてる。

 あっ、この曲すごく好き。


「だいじょぶだいじょぶ~。あっ、でもシュークリームがラス1だって」


 ――ちっくしょう!

 何だそのどっかの芸人みたいな「だいじょぶ」の発音!

 お前もうちょっと雰囲気読めって! マジでマスターなのかよ! だったら口髭くらい生やしとけや!


「シュークリームがラス1みたいですけど、それ以外は大丈夫みたいです。この中からお選びいただければ」

「あ、あぁ、それじゃあ、ええと、このピスタチオのムースを」

「かしこまりました」


 さらさらとペンを走らせて、その少々ふくよかなウェイトレスはくるりとUターンした。店内は再び洒落たジャズの心地よい空気に満たされる。その中を悠然と歩く彼女は、その途中でまたも声を張った。


「マスター! ピスタチオのムースお願いしまーす!」

「はーい了解。行ってきまっすー」


 ――貴様ら!


 もっとこう……もう、あの、アレだ、ほんと。

 AYUMIさんもAYUMIさんだよ。あと数歩だよ? あと数歩歩いてカウンターに到着してから伝票を見せるとか、そっと言えば良くない? テンションが完全に「らっしゃっせー!」だから。そんでそのマスター、お前もだよ。行ってきまっすーって何だ、行ってきまっすーって。何でそんなにご機嫌なんだよ! いまからケーキ買いに行くんか!


 店内の雰囲気にそぐわない二人のやりとりに少々苛立ちつつ、先ほどのアクリルスタンドを見る。よくよく考えてみたら【Once upon a time】のケーキ、って何だ、と。


 そこで明子は思い出した。


 そうだ、この隣にあるケーキ屋の名前だ!


 何だよ、マジで買ってくるのかよ! ここのオリジナルじゃないんかい!


 入店から脳内ツッコミが止まらない明子である。

 落ち着け落ち着けと何度も言い聞かせながらお冷を飲む。冷たい水が喉を通ると、頭も少し冷えた。寒さに震えていた身体は既にじわりと温まっていて、それ自体には感謝するものの、こんな方法で暖を取ってしまったかと思うといささか悔しいのも事実である。


 大丈夫、まだ取り戻せる。


 そう、私は温まりたかっただけではないのだ。

 

 明子はそう思った。

 きっかけはそうだったけれども、そこで『カフェ』という空間を選んだのには理由がある。


 彼女は浸りたかったのだ。

 このカーディガンを買った時に隣にいた彼のことを思い出して、あの季節を思い出して、しっとりとしたジャズの流れていたあの気だるげな空気を思い出したかったのである。


 有線なのだろう、店内のBGMはそれまでのちょっと明るい曲から、もの悲しいナンバーに変わった。


 そうそう、こういうことよ。


 満足げに頷いて、明子は外を見た。

 いまにも降り出しそうな、どんよりとした空。忙しなく行き交う人々。悲しげなジャズ。あの頃を思い出すカーディガン。


 完璧だ。

 

 これでやっと思い出に浸れる、と、明子は目を閉じた。

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