第11話 『シオン救出大作戦』
後ろに放り出されたヒースは、それでもめげずにずりずりと泉の方に這っていくが、顔面を思い切りジオに掴まれてしまった。
「お前は下がってろ」
今まで聞いたことがない程怒りが感じられる声色に、さすがのヒースも止まった。
「……分かったよ」
仕方ないのでその場で胡座をかいて座り込んだ。そんなヒースの様子をちらっと確認したジオがようやく少し肩の力を抜いたのが分かった。
「アシュリー、こいつは阿呆なんだ。済まない」
「い、いえ、私は大丈夫です、ちょっとびっくりしただけで」
「小さい頃に奴隷にされて以来女性を見たことがないからつい調子に乗っちまったんだ」
「まあ……奴隷に。それでは今は解放されてジオ様の庇護下にあるのですね」
「そういうことだな」
アシュリーと話している内にどんどんジオの怒りが収まっていくのが感じられた。ジオのこのすぐカーッとなるところは短所だろう。その割にシオンに対してはウジウジしているから、この勢いで口説けばいいのにな、そんなことをヒースは思った。
「それで済まないが、シオンの様子を教えてもらいたい」
「あ、は、はい。前回は部下と一緒に獣人族の方の接点に行きましたが、その際は特に何もなかったとのことです。あの時は本当にたまたま無鉄砲な獣人族が単独で乗り込もうとしたのかもしれません」
ジオは明らかにホッとした様子だ。
「ですが、お父様――いえ、次期妖精王が、母に引き続きそちらの接点に行く様にとの正式な通達がございまして、残念ながら当面こちらには来れなくなりそうです」
「……獣人族が住む西の地域にいる鍛冶屋が獣人族に捕まったと聞いた。それに関係が?」
そうか、ジオはずっと何かを気にしていると思っていたら、このことだったのだ。獣人族の動きが活発になっている所にシオンが赴いている。心配なのだろう。
「その話は、先日向こうの接点から戻ってきた仲間の一人に聞きました。ですが、原因はそれではありません」
アシュリーの声は寂しそうだった。ジオが少し身を乗り出す。
「頼む、教えてくれアシュリー。俺はシオンのことが心配なんだ」
狂おしい程切なそうな声を、絞り出す様にしてジオが言った。やはりジオはシオンが好きで好きで堪らないのだ。少しでも会えなくなると、心配で不安になってしまうのだ。なのに一緒にいることを選ばないのはヒースにはやはりどうしても理解不能だった。
アシュリーが小さく息を呑む音が聞こえた。暫くの後、アシュリーが話し始めた。
「……ジオ様にお会いしていることが問題となりました」
「どういうことだ?」
「先日、次期妖精王が固執していた后の一人がそちらの世界に逃げてしまったのです。その、人間の男性と恋に落ちたそうで」
次期妖精王なんていう金持ちそうな奴からただの人間の元に行ってしまったのか。そりゃあ逃げられた側からしたらプライドはズタボロだろう。それに話をさらっと聞いただけでも、アシュリーの父親はどうも暴君にしか思えない。逃げるということは、ヒースのその予想もあながちハズレではないかもしれなかった。
「だって、今まで十年以上シオンをほったらかしにしていたのはそいつだろう!」
「お父様は……いえ、次期妖精王は、特に人間に対し嫌悪感を抱いております。元々母に固執していたのも、ジオ様という人間の恋人がいたからだそうです。ですので、ジオ様から取り上げた後は満足してしまい、今回逃げてしまわれた后に寵愛を注ぎました」
「なんつー自分勝手な奴だよそいつ!」
思わずヒースが声を荒げた。あんまりだ、ジオから奪ったから満足? 何だそれ!
「男性が少ない上次期妖精王という立場から、確かに他者に対する思いやりというものは……」
アシュリーの暗い声が言った。そうか、腐ってもアシュリーの父親なのだ、あまり文句を言うのは拙かったのかもしれないと今更ながら思った。
「ごめん、アシュリー」
顔は見えないが、謝った。
「いえ、悪いのは次期妖精王ですから。それで、その后がいなくなった途端、ジオ様と毎月お会いしている母が気に食わなくなり、かといって母に対する固執などではなく、ただ気に食わないからと母をジオ様から遠ざけて危険な接点に行く様に命令を下したのです」
「ああ……なんてこったシオン……!」
ジオが手で顔を覆ってしまった。
「ジオ、考えてみようぜ」
思わず慰める様に背中に触れたヒースが提案する。答えるジオの声は低い。
「考えるって、何を考えるんだよ」
「西の獣人族の接点に行けばシオンに会えるんだろ? だったら、ハンにそこの場所をちゃんと聞いて、迎えに行っちゃえばいいんだよ!」
「……お前、馬鹿か? そんな簡単に獣人族の居住地に行ってみろ、あっという間に殺されちまうぞ」
「獣人族の奴ら、臭いの嫌いだぞ! すっげえ臭い物を身に着けて行くとか!」
半分獣だからか、奴らは非常に鼻がいい。その分悪臭にはとても弱く、人間の厠とは違う場所に厠を用意していた。
「多分、魔族のことはジオより俺の方が詳しいぞ」
「ヒース……」
ようやくジオが顔を上げると、アシュリーが言った。
「ジオ様、私からもお願いです。危険なのは存じておりますが、どうか、どうか母を助けてはいただけませんでしょうか」
「アシュリー、だがそうしたら君は」
くすりとアシュリーが笑う。
「ジオ様、私はこう見えてもあのシオンの娘、しかも父は次期妖精王ですよ? 私には私なりの人脈というものがございます。後のことは、どうとでもなりますからご心配なく。私はただ、お父様に振り回されている母を、母が心から愛する方の元へ送って差し上げたいのです――もう母がこれ以上苦しまなくて済む様にして差し上げたいのです」
「アシュリー……」
それ以上何も言わないジオの肩の上から、ヒースが顔を出して泉の中のアシュリーを見た。もう月は泉の端へとかなり近付いている。決めるなら今しかないだろう。ジオがグズグズしているなら自分が話を進めればいい。
「じゃあさ、とりあえず次回までにうちらは場所を確認する。アシュリーはアシュリーで、シオンにこの話を通しておいてもらうってのはどうだ?」
「そうですね、こちらからも接点の正確な場所が分からないか当たってみます。先日帰国した者に、その鍛冶屋を救いたいという話がある、などと言えばきっと疑われることなく聞き出せる筈です」
「アシュリー頭いいな! でもさ、無茶はするなよ?」
「分かっております。それはヒース様も同様ですわ」
「俺はジオが居るからな、大丈夫だよ! な、ジオ?」
自分の肩の上に体重を乗せてにこにこしているヒースに、ジオは小さいが笑みを返した。
「全くお前らは……。アシュリー、あんまり後先考えずに行動すると危険だからな、しっかりと下調べをしてから動くんだぞ」
「おまかせ下さい」
「ジオ、たまには若者の勢いに乗っちまうのもありだと思うぜ!」
「人を爺いみたいに言うな」
「わりい」
ヒースが笑うと、アシュリーもくすりと笑った。そろそろ接点が閉じる。ヒースが皆に言った。
「じゃあ、『シオン救出大作戦』第一回作戦会議はこれにて終了! 次回も必ず集合するように!」
「うふふ、畏まりました」
アシュリーが花のように笑った。
「なんだそれ」
ジオは呆れた顔をしているが、先程までの凹み具合はもう消えている。
「何か魔族の奴らがよくなんとか作戦とか言ってたから真似てみた。あいつらほら、軍人だからそういうの好きみたいだよ」
「……お前は変なことを知ってるな」
「他に楽しみもなかったからな、色々観察してたんだよ」
知ろうと思えば、実は色んなことが起きているものなのだ。
「それではジオ様、ヒース様、また次回にお会いしましょう」
「おー! アシュリーまたな!」
「気を付けるんだぞ」
「はい!」
そして、ふっと泉の水が暗くなった。ジオに寄りかかったままだったヒースが、ジオに体重を掛けてよいしょと立ち上がり、ジオに手を貸した。ジオは立ち上がると、ヒースの頭をぐしゃぐしゃにして言った。
「さあ、戻ろう」
「うん!」
暗い森を戻るジオの背中は、先程よりもシャンと伸びている様に見えた。
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