第10話 とにかくどこでもいいから触りたい

 翌日、喋り倒して満足したのだろう、ハンはご機嫌で帰って行った。


「またなー!」


 ヒースが手を振ると、ハンも笑顔で手を振り返してくれた。そんなヒースの横に立つジオは呆れ顔だった。


「あいつ、何しに来たんだ?」

「え? 遊びにじゃないのか?」

「……お前でもそう思うよな?」

「うん」


 西の鍛冶屋不在の所為で卸す魔剣の数が足りないだの何だの言っていたが、一人の手によって作られる魔剣の数は限られる。こんな短期間で訪れ、多少なりとも用意されていると考える方がおかしい。


「まあ多分お前に会いに来たんだろうなあ」


 腕組みをしながらジオが言う。


「俺? 何で?」

「若い奴は珍しいからな。皆奴隷になっちまってるから、お前みたいに素直に話を聞いちゃあ驚いて喜んでくれるのが楽しいんだろうよ」

「ナニソレ」

「ま、嫌われちゃいねえってことだよ」


 よく分からないが、まあそれならいいかとヒースは思った。ジオが頭に布をきゅっと巻く。


「大分持っていかれちまったからな、ペースを上げるぞ」

「分かった!」


 次の満月までもうあと僅かだ。ヒースも大分ジオの作業スピードに追いつける様になってきてはいたが、やはりまだ戸惑うことの方が圧倒的に多い。ひたすら食らいついていっている、それがヒースの現在の心境だった。そこに余裕は一切ない。


 ヒースも頭に布をきゅっと巻くと、気合いを入れて両頬をバチンと叩いた。



 毎日ひたすら剣を鍛え続け、あっという間に満月の夜が訪れた。


「ひい、ふう、みい……まあ若干要求数には満たねえがそこそこは出来たな」


 持ち運ぶ際には鞘も必要だ。鞘は必要数のみ最終日に型に流し込み大量生産した。引っかかる部分を削り取り、はめてようやく完成。ここまで、長かった。


「俺、頑張っただろ?」


 いくら若くて体力も有り余っているとはいえ、さすがに疲れた。するとジオが珍しく素直に頷き褒めてくれた。


「まあな。よく頑張ったんじゃねえか? お前は阿呆だが仕事に対する態度は真面目だからな」

「阿呆と勤務態度は関係あるのか?」

「まあ阿呆な分実直ではあるかもな」

「それって褒めてる?」

「さあな」


 よっこらせ、とそれぞれ短剣が入った袋を背負う。今回は他の生活雑貨を用意している余裕はなかった為、短剣のみだ。だがその分重い。


「こんなに重いのをアシュリーに渡したらひっくり返らないかな?」

「……それは考えてなかったな」


 見た感じアシュリーはとても儚げでひ弱そうである。月明かりが眩しい森の中をジオが迷いなく進み、ヒースは必死でその後を追いかけた。


「なあジオ、今日は俺が荷物を渡していいか?」

「何でだ」


 ここは素直に言うべきか、それともそれっぽいことを言うべきだろうか。少しの間だけ悩み、ヒースはそのまま素直に言うことに決めた。


「あわよくばちょっと触ってみたいから」

「……お前なあ……」


 ジオが深い深い溜息をつく音が聞こえてきた。やはり駄目だったか。だけどあのふわふわのぷるぷるした身体のどこでもいい、この際肌に一瞬触れるだけでもいい、いやあのサラサラの髪の毛一本でもいいから触ってみたい。とにかくどこでもいいからちょぴっと触ってみたかった。


 なので、つい恨みがましい口調になる。


「だってジオはこの間はシオンと手を繋いでたじゃないか。自分ばっかり狡い」

「あれは別に手を繋いでた訳じゃ」

「でも触ってただろ! 俺だって女に触りたい!」


 なんせ女を見たのは実に十年ぶりくらいだ。最後に触ったのはいつだっただろうか。多分母親にだろうが、六・七歳の男児はもうそう簡単に母親に触る時期でもない。そう考えると最後に触ったのはもっと前に違いない。


「なあいいだろジオ! ちょびっとでいいから!」

「……仕方ねえなあ」


 自分のことを棚に上げて拒否はしにくかったのだろう、ジオが渋々了承した。するとみるみるヒースの顔に笑顔が浮かぶ。


「やっったあああああああ!」

「触り過ぎるんじゃねえぞ、あくまで自然に、間違って触れちゃった程度に収めとけよ」

「分かった!」


 嬉しい。あのぷるぷるの一体どこに触れようかと考えるとわくわくが止まらなかった。ただ間違いなく、どこを触ってもヒースのゴツゴツとした身体とは違うだろう。


 沸き起こる興奮に半ば我を忘れながら、ヒースはるんるんとジオの後をついて行く。ジオの溜息がまた聞こえた気がしたが、聞こえないふりをした。自然足取りも軽くなり、あっという間に妖精の泉に辿り着いた。


 今夜も満月が綺麗に光り、もうすぐ泉に全ての姿を映そうとしている。ヒースは泉の前に膝をつくと、その時を今か今かと待った。


 満月が泉に映し出されたその瞬間、暗かった水面がぱあっと輝き、次いで前回覗いた時に見えた背景がぼんやりと見えた。繋がったのだ。


「おーいアシュリー?」


 ヒースが声をかけると、奥から人影が走り寄って来て泉にその姿がぱっと映し出される。アシュリーだった。


 前回真っ直ぐに垂らされていた銀髪は今日は綺麗に三つ編みにされ、間に所々可憐なピンク色の花があしらわれている。前回も十分ぷるぷるだった唇は、更にぷるぷる度が増し艶々に光っていた。何かを塗っているのかもしれない。服装も前の質素な物からは一転、サラサラそうな布地に細かい花柄の刺繍が施され、ヒースが一番触ってみたいと思っている物が実に窮屈そうに服に納まり切れず少し上からはみ出して食い込み気味だった。


 思わずヒースの口が「おお」の形になる。是非ともあの盛り上がった部分にツンツンしてみたいが、さすがに怒られるだろうか。


 直接的なことを言うなとジオからは釘を刺されている。おっぱいを触っていいかも確か駄目だと言っていた。残念ながら。


「ひ、ヒース様、お待たせして申し訳ございません!」


 頬を紅潮させてふわりと笑うアシュリーの可愛らしいこと。もう今すぐにでも捕まえてギュッとしてみたかったがそういう訳にもいかない。ジオには散々阿呆だと言われているが、アシュリーにまで阿呆だとは思われたくないが、さてどうしようか。


「アシュリー、今日も可愛いな」


 ついぽろりと本音が出た。ジオの舌打ちが聞こえたが、今はジオよりも目の前のアシュリーだ。おお、みるみる内に耳たぶまで真っ赤になった。どうなってんだこの生き物は。滅茶苦茶可愛い。


「い、いやですわヒース様ってば」


 そうか、これは照れているのだ。でも満更でもなさそうである。つまり嫌だと思っていないということだ。それにそもそも口説いちゃいけないとは言われていない。


 ヒースは思い切り口説くことにした。


「俺、アシュリーに会えるのを凄く楽しみにしてたんだ。アシュリーは元気にしてたか?」

「えった、楽しみにですか? 嬉しいです……私もヒース様にお会いできるのを指折り数えておりましたの」

「え! 本当か⁉ もうあれからアシュリーのことを夢に見てばっかりでさー、今日は会えて嬉しいよ」


 ヒースの背後でジオがジタバタしている気配がした。どうかしたのだろうか。


「ひ、ヒース様、照れます……!」


 アシュリーが真っ赤になって頬を押さえてしまった。その所為で胸の谷間が更にきゅっと盛り上がる。うおう。


「ヒース、調子に乗ってると次連れて来ねえぞ」


 低いジオの声がした。やり過ぎたらしい。確かにまだ触ってもいないから、先に用事は済ませておくべきだろう。ヒースは頷くと、袋をずりずりと泉の端まで持ってきた。


「アシュリー、荷物を渡していいか?」

「あ、は、はい! では先に受け取りますね!」

「重いよ、持てるか?」

「と、とりあえず受け取ります」

「分かった」


 ヒースは一袋目を片手に持つと、ゆっくりと泉の中に入れた。水の抵抗があると思ったがそういった感触は一切ない。手を突っ込むと、それまで下に向かっていた荷物が急にアシュリーの足の方に向かって重力を移動した。やはりこの間思った通り、こちらとあちらでは方向が違うのだ。


「何だったら、一つずつ取り出していいよ。持ってるから」

「あ、はい」


 すると荷物を持つヒースの手にアシュリーの髪がふわりと触れた。おおお、さらっさらだ! アシュリーが袋の口を開いて中から取り出し始める。段々袋が軽くなり、ヒースは袋をアシュリーに渡した。アシュリーの手はヒースに触れることなく袋を回収し、二つ目の袋もまた同様だった。これでは偶然触ったり出来ない。ではチャンスはヒースが受け取る時だ。せめて手を、そう手をそっと触ってみよう。


「ではこれはこちらからの物です」


 袋を持ったアシュリーの手が境界線を超えて飛び出してきた。おお、きめ細かいツルツルの手だ。今だ、ヒースはこの一瞬を逃さなかった。


 華奢なアシュリーの右手を、上から両手で包み込んだ。アシュリーの手がビクリと反応したが、引っ込めたりはしない。顔を見ると、更に真っ赤になって唇があわあわと小さく震えていた。さらっさらの肌だった。


「おいヒース、荷物をさっさと寄越せ」


 不機嫌丸出しの声でジオが背後から声をかけてきたので、ヒースは振り返ることなく片手で袋を後ろに渡した。もう片方の手は一瞬の隙にアシュリーの手を握り直している。離したくなかった。


「アシュリー」

「なっ何でしょうっ」


 アシュリーの声がうわずる。


「ほっぺ触っていい?」


 言った瞬間、後ろからジオの拳骨が飛んできた。


「交代だ! やり過ぎた! 全く!」

「ああっ」


 襟首を捕まれ引っ剥がされたヒースは泉の端にドン、と放り出されてしまったのだった。

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