第7話 アシュリー

 いよいよ満月の夜がやってきた。


 ヤギ小屋から気配を察したクリフが柵を蹴っている音が聞こえたので、ヒースはクリフにひと声掛けてくることにした。宥められたクリフの機嫌の悪そうなことこの上ない。ポンポンと首を撫でると、腹いせの様に鼻で押された。怒ったらしい。


「またお土産あったら分けような」


 クリフにそう声を掛けてジオの元に走って行った。前回物々交換でもらった果物が余りにも美味かったので、ヒースはクリフにひと口あげた。すると、クリフが嬉しそうにするので結局残りもあげてしまった。ジオには食べ過ぎるなと注意されていたが、まあ一個にも満たない量だ、きっと大丈夫だろう。それにそれ以降別に何も起こっていない。魔力を取り込み過ぎるとどうなるかはよく分からなかったが、ジオも実はよく分かっていないらしく笑って誤魔化していた。


「さあ行くぞ」

「おう! 今日はちゃんと起きただろ!」

「布団から蹴飛ばされて落ちたからだろうが」

「でも起きたもんな!」

「……本当にお前は」


 ジオが呆れた様に笑う。ヒースはこのジオのちょっと捻くれた笑い方も好きだった。ジオが笑えばヒースも嬉しい。ここには鞭を打ってくる魔族の監督者もいなければ、カチカチの味のしないパンもない。あるのは自由と美味い飯だ。


 前回同様、川に沿って進んでいく。今日も満月が綺麗だった。


「シオン居るかな?」


 ジオの足は早い。暗闇でも見えているのか、スイスイと先へ進む。ヒースの目には暗闇としか映らないこの景色も、ジオやクリフには別の光景として映っているのだろうか。どうやったら夜目が利くようになるのか知りたかった。


「さあな、どうだろうな」

「俺も妖精と話してみたい」

「そうだな、お前のことを紹介してやろうか」

「やった!」

「だけどあんまり変なこと喋るなよ。あまりこちらが阿呆だと思われると足元を見られるぞ」

「俺そんなに阿呆か?」

「間違いない」


 きっぱりと言い切られてしまったヒースは、とりあえず黙ることにした。確かに口は災いの元、つい思ったことを口にしてしまうヒースは物々交換など駆け引きが必要になりそうな場面では不利かもしれない。


「頭良くなりたいなあ」

「ぶはっ」


 ジオが吹き出した。素直な願望を言ったまでだったが、その後妖精の泉に辿り着くまでジオはずっとクツクツと笑っていた。


 妖精の泉に満月が差し掛かる。するとそれまで暗かった泉の水がぱあっと明るくなった。


「ほら、繋がったぞ」


 ジオが手でヒースを呼び寄せた。


「間違ってドボンって落ちたら大変だから、ここでは必ず座るようにな」

「わ、分かった」


 そうか、転んで中に入ってしまったら一生こっちには戻って来れないのかもしれないのだ。ヒースは恐る恐る泉に少し身を乗り出して覗いてみたが、向こう側はキラキラと明るいだけで人影は見えない。


「シオンは来ねえつもりかもな」


 ジオの声は少し残念そうだった。


「少し待つぞ」

「うん」


 暫くその場でただ待つ。暇なので泉の奥をジッと覗いていると、ぼんやりとだが背景が映っているのが分かった。こちらは泉だが、向こうはもしかしたら水じゃないのかもしれない。角度がこちらと違う。


「妖精の国は平和なのかな?」


 魔族がいないなら少なくともこっちの世界よりは争いは少なそうだが。


「さあ、どうだろうなあ。魔剣を必要としててシオンだって騎士団だからな、争いはどこの世界も程度の差はあれどあるんじゃねえか」

「そっか。まあ、ジオとしては食いっぱぐれはないもんな」

「まあそれも一つの側面ではあるな」


 そんな話をしていると、向こう側に人影が見えた。ジオが少し乗り出す。


「シオン?」


 だが、返ってきた声は前に聞いたシオンの声とは違う声だった。


「ジオ様でしょうか?」

「そうだ」


 ジオが答えると、人影がもう一歩近付いてきて顔が確認出来る様になった。泉の中に現れたのは、一人の女の胸から上の姿だった。かなり若い。ヒースと同年代だろうか、自信がなさそうな儚げな印象だが、ヒースは彼女の胸部に目が釘付けになった。それはそこにあった。しかもこちらは全然自信なさげなどではなく、かなり主張していた。


 ヒースの口が『おお』の形になった。何とか声を出さずに堪える。ヒースだってやれば出来るのだ。

 夢にまで見た禁断の果実がそこにたわわに実っていた。


「君はまさか……シオンによく似ているが」


 ジオが驚いていた。それを聞いてヒースは彼女の胸部から顔に視線を移した。少し垂れ目でまつ毛が長い。唇はプルプルで、触ったら弾けそうだった。鼻は小さく、指の先で摘んでみたくなる可愛さだ。サラサラの銀髪は輝き、背中でそよいでいるのはあれは羽根か。光り輝く白い羽根があった。


 そして彼女はとても可愛かった。なんだあのほんのり赤いほっぺは。これが女か。


「はい、シオンは私の母です。今日は母は魔族の方の接点に行っております。こちらの接点は安全だからと、今回は私がこちらに伺うことになりました」

「君が、シオンの娘……」

「アシュリーと申します」

「アシュリーか。宜しくな」

「はい、宜しくお願い致します。あの……そちらの方は?」


 アシュリーと目が合った。水色の瞳がぷるぷるしている。うおおおお。


 口をパクパクしていると、ジオが肘でヒースの脇腹を小突いた。


「あっお、俺、ヒース!」

「ヒース様、宜しくお願い致しますね」


 ふわりと笑うアシュリーの姿を見てつい身体が硬直してしまった。何だ何だこの生き物は!


「か、可愛い……」


 無意識に心の声が漏れてしまっていたらしい。それを聞いたアシュリーがぽっと頬を赤らめ、ジオがヒースの頭をゴン! と拳骨で殴った。


「アシュリーすまない、こいつは阿呆なんだ。相手にしなくていい」

「痛えっジオ、酷くねえか!」


 ジオは見事に無視した。


「アシュリー、話して支障がないなら教えて欲しい。その魔族の接点ってのはどの辺りにあるんだ?」

「何箇所かあるのですが、今問題となっていて母が対応しているのは獣人族が多く住まう地域だとか。そちらの世界での正確な位置は分かりません」

「そうか……問題なければいいんだが」


 アシュリーが不安そうにジオに訴えた。


「実は先日、獣人が一人こちらに入り込もうとしたのです。それを仲間が入り込む前に撃退しました。その為接点は閉じずに済んだのですが」

「接点が閉じるってどういうことだ?」


 ヒースはめげずにひょいと顔を出した。折角の女だ、もっと見てみたかった。


 アシュリーが少し恥ずかしそうにチラチラとヒースを見たりジオに向いたりしている。うおおおお、可愛い。


「あ、あの、接点を潜るには『通行料』が必要なのです」

「通行料?」


 ジオが横でギロリと睨んでいるのが分かったが、今はジオよりもアシュリーだ。動いている姿が見たかった。


「はい。接点を通過するには一定量の魔力が必要となるのです。力の強い者でしたら一往復程度は出来るのですが、一介の獣人では恐らく魔力量が足りず、その場合接点に蓄えられた魔力を消費することになります。すると、魔力で保たれていた接点が閉じてしまうのです」

「え、それって一度閉じるともう戻らないのか?」


 世界の通路が閉じてしまうなんて大変なことなんじゃないのか。


「また魔力が蓄えられれば開くこともありますが、必要な魔力量はその接点に寄ります。例えばここの接点は、満月の魔力をお借りして開いていることもあり万が一閉じてしまったとしても元に戻りやすいのですが、今回母が対応している接点はそうではない様で」

「魔族の国への接点なんて必要なのか?」


 アシュリーが頷く。真剣な眼差しもまた可愛かった。


「時折妖精族の調査隊がそちらの世界で諜報活動を行なっているのです。あると思っていた接点が閉ざされてしまった場合、咄嗟に戻ることが出来なくなりますから」

「諜報活動?」

「こっそり調べることだよ」


 ジオが呆れながらも説明してくれた。成程。


「でもそんな大きな羽根があったらばれそうだけど」


 すると初めてアシュリーが笑った。それを見てヒースもつられて笑った。ゾクゾクする。何だこれ。


「この羽根はしまえますから」

「すげえ!」

「ふふ、ありがとうございます」


 ヒースが興奮していると、ジオが痺れを切らしたのかヒースを後ろにグイ、と引っ張った。


「まあ事情は分かった。あまり時間がなくなっているからそろそろ交換といこう」

「ああ、そうですね。今回は代理ですので、必要な物はリストにして袋の中に入れてあるそうです。後程ご確認いただけますでしょうか」

「分かった。じゃあこれは前回頼まれていた物だ」


 ジオとアシュリーが互いに荷物を渡し合う。アシュリーの手が水を超えて出てきて、ヒースはそれを触りたくて仕方がなかった。


 次回こそちょっと触ってみよう。そう心に決めた。


 あっという間に月が移動していく。


「それではまた次回も多分私がこちらに伺うことになりますので宜しくお願い致します」


 アシュリーが丁寧に挨拶をした。


「アシュリー! 俺また会いに来るから!」

「はい、お待ちしてます」


 にこりと笑うアシュリーの笑顔が見えた。次の瞬間。



 ふ、と泉が暗くなりアシュリーの姿は消えたのだった。

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