第5話 妖精の泉

 それから連日、ヒースはジオの指導の元ひたすら金槌を振るった。


 叩くと金属は頑丈になるが、叩き過ぎると脆くなるとジオに教わった。だがヒースにはその違いが全く分からない。こればかりは経験だとジオは笑った。


「焦るな、一日二日で出来るもんじゃねえよ。ひたすら金属に向き合え、そうしたら段々分かってくるさ」


 ヒースは頷くしかなかった。確かにジオが鍛える武器は非常に強い。ヒースの記念すべき一作目のナイフは、使っている内にあっという間に刃こぼれを起こしてちょっと力を入れたらぽっきりと折れた。


 解けた金属を型にはめて成形する方法もあり、量産型はこれで全く問題ないらしい。実際にジオの仕事道具の中にも型らしきものがあった。


「だけど魔剣はこれじゃあすぐ駄目になっちまう。それに妖精族の奴らも馬鹿力らしくてな、量産型じゃあすぐ折れると文句を言いやがる」


 ジオがぶつくさと文句を垂れた。


「人が作ったもんをすぐに壊しやがって」


 文句は止まらなかった。色々思う所があるらしい。だが文句を言いながらも叩いては火にくべ、叩いては伸ばし、ひたすら繰り返す。盛り上がった筋肉がそれまでジオが費やした年月を物語っていた。


 ある日のこと。ジオがそれまで見たこともない綺麗な透き通る石を見せてくれた。手のひらにちょこんと乗る程度の小さな石だが、とにかく綺麗だった。ジオが持たせてくれたので透かして見ると、中にキラキラと輝く粒が見えた様な気がした。


「ジオ、このキラキラしてるのって何?」

「お、お前にゃ見えるか。なら有望だな」

「見える? どういうことだ?」


 そうっとジオに返した。


「これは魔石だ。で、キラキラしてんのが閉じ込められた魔力だ」


 そう言ってジオも火に向けてかざすと、中のキラキラが乱反射した。


「自分の魔力がすっからかんの奴はこれすら見れねえ。見れねえとこれが魔石かどうかも分かんねえからな、魔剣は作れねえ。つまりヒースは第一段階突破ってとこだな」

「人間も魔力ってあるのか?」


 そんな話は聞いたことがなかった。ジオが頷く。


「ある奴はあるけどな、無い奴は全くねえ。まあある奴も魔族や妖精族と比べちゃ大したことはないらしいけどな」

「へえ」

「まあ余程訓練しないと何かを捻り出すのは人間にゃ難しいらしいぞ」

「ジオは? やけに詳しいけど、何か出来るのか?」

「俺の知識は妖精から教えてもらったもんだ。俺は剣を鍛える以外はほぼ出来ねえよ」

「ふうん?」


 何か怪しい。ヒースの顔もそんな表情をしていたのだろう、ジオがギロッと睨むと拳骨でヒースの頭の天辺をグリグリとした。


「いってえ!」

「師匠の言うことは素直に聞いとけ」

「分かったから痛いって!」

「本当に分かったのか?」


 それでもジオはグリグリするのを止めてくれた。ただでさえ力が強いので強烈だった。ヒースは涙目で頭を押さえた。またやられたら堪ったものではない。


 ジオが魔石を箱の中にしまい込んだ。


「てことで、明日は丁度満月だ。明日の夜に妖精と物々交換しに行くからお前もついてこい」

「てことでってどういうことだ?」


 ジオがはあ、と溜息をついた。


「一応俺は満月の夜は毎回行ってるんだけどな、よく寝てるとは思っていたが本当に爆睡してたんだな」


 全然気付かなかった。力仕事が多いし飯も旨い、ジオお手製の風呂釜から見る星空を見て温まるとそれはもうよく寝れる。だからジオが夜中にどこかに出かけていたことなど全く知らなかった。


「ははは」


 とりあえず笑っておいた。ジオがまた深い溜息をついて言った。


「起きなかったら置いていくからな」



 次の日の夜は頑張って起きていたヒースだったが、やはりいつの間にか居眠りしていたらしい。何度か起こされ、こめかみをグリグリされようやく目を何とか開けると目の前に金槌を持って構えているジオがいた。


「待った待った! 起きる! 起きるからそれで殴るなよ⁉ 絶対死ぬやつだそれ!」

「ちっ」


 ジオが舌打ちした。本気でそれで叩くつもりだったのだろうか。思わずヒースが後ろへ這いずると、ジオが破顔した。


「冗談だ冗談! そうびびるな、はっはっは!」

「勘弁してくれよもう」

「ヒヤッとして目が覚めただろ?」

「ああ、ぱっちりだ……て、怖いよジオ」


 ヒースは急いで立ち上がりジオから距離を置いた。ジオはまだ楽しそうにくつくつと笑っていた。まだびくついているヒースの頭をわしゃわしゃと撫でると背中を押した。


「ほら行くぞ」

「お、おう」


 どうやら完全にからかわれたらしい。ようやくヒースにも笑顔が戻った。ジオは戸にかんぬきをする。人は入らずとも動物は入り込む。戸締まりは必須だった。


「ちゃんとついてこいよ」

「うん」


 月明かりが眩しいが、一旦木陰に入ると一瞬で暗闇に変わる。ジオは慣れたものでスイスイと先に行くが、ヒースはよく見えなくて追いつくのに必死だ。すると、後ろからガサ、と音がして背中をつつく者があった。


「うひゃあっ」

 

 驚いて振り返ると、クリフが居た。


「何だお前ついてきちゃったのか?」


 すり、とヒースの腕にすり寄ってきた。仕方ない、ヒースはクリフの背中に手を置くと並んで歩き始めた。ジオがちらりと振り返って見ていた。


「やっぱりヤギ小屋じゃあクリフには低いか」

「みたいだな」


 ヤギの背丈はあっという間に追い越した。鹿は一年目は角が生えないのでまだ見た目は子供っぽいが、身体は大分大きくなった。牡鹿なのでまだ大きくなるのかもしれない。


「いい子にしてるんだぞ」


 クリフに声をかけた。鹿は殆ど鳴かない。だがキラキラした大きな黒い瞳は表情豊かで、多分理解してくれてるとヒースには思えた。


 二人と一頭が森の中を進む。ジオの家は小川のすぐ近くに建てられているが、先程からその川に沿って歩いている様だった。川の先には行くなとジオに言われていた為、こちらの方面は来たことがなかった。動物の罠を仕掛けるのはいつもヒースとクリフが落ちた崖の方ばかりだった。


 無言で進んでいくと、暫くして森の中に急にひらけた空間が現れた。その中心に、小川と繋がっている、満月を映して光り輝く小さな泉があった。


 ジオが歩を止め持っていた物々交換用の武器と道具を降ろし、ヒースを振り返る。


「ここだ。これが『妖精の泉』だ。今日はお前はただ見てろ」

「わ、分かった」


 ヒースは言われた通りジオから少し離れ、ちょっぴり怖かったのでクリフの首に腕を回してくっついた。


 ジオが泉の前に膝をついて泉の中に向かって話しかけた。


「シオン、居るか?」

『居るよ』


 何と泉の中から返事が返ってきた。しかもこれは高い綺麗な声。――女の声だ! 十年ぶりに聞く女性の声にヒースは違和感を覚えた。もう女がどんな声をしていたかも忘れてしまっていたのだ。こんなのだったっけ? という印象である。


『遅かったじゃないか』

「ほら、前に言っただろ? 今日は弟子のヒースを連れてきたんだ。あいつが起きねえもんで時間食っちまったよ」

『こき使い過ぎなんじゃないか?』

「そりゃまあ弟子ってそういうもんだろうが」

『貴方は全く』


 ジオとシオンと呼ばれた女は慣れた様子で楽しそうに会話を続けている。ヒースは一体何がどうなってるのか分からず、一歩だけ近付いて泉を遠くから覗いてみた。泉の中に、人影と何か大きな薄い物の影が見えた。何と水の中に人がいるのか。いや、妖精か。だが今日はただ見てろと言われたのでそれ以上近付くのは控えた。


「じゃあとりあえず前回頼まれてた物だ」

『もう? つれないねえ』

「ふん、人妻が何言ってんだ」

『……いいじゃないか、話くらいしたいんだ』

「いいから先に渡すぞ、受け取れ」

『もう、分かったよ』


 ジオはそう言うと袋ごと泉の中に物々交換品をそっと入れた。向こうで受け取ったのを確認したのか、手を離した。


「ほら、そっちの分」

『はいはい。前回のコップが好評でね、お礼にこれ渡してくれって』


 泉の中からにゅっと荷物を持った手が出てきた。女の手だった。まじで一体どうなってんだこれ。ヒースはただ目を大きく見開いて見ることしか出来なかった。


 ジオがそれを受け取り中を確認する。


「お、果物じゃねえか。久々だな!」

『魔力多めだから食べ過ぎ注意だよ』

「分かってるって」


 果物にも魔力が籠もっているのか。一体どんな果物なのか。


『あと、いつもの魔石ね』

「おう」


 今度は手が小さな袋を差し出してきた。ジオがそれを受け取ると、手がジオの手にそっと触れた。おっとこれはもしやと思ったが、無駄口を叩いて拳骨で殴られたくはない。ヒースは手で口を押さえた。


「おいシオン、どうした」

『……もしかしたら、次は代理が来るかもしれない』

「どうした、何かあったのか?」

『ちょっと、魔族の方にある接点に問題が起きてるらしくてね、そっちに行くかも』

「……そうか。気を付けろよ」

『ん、ジオもね。――あ、そろそろ月が隠れそう』

「おう。またな」

『うん。じゃあね』


 すると、輝いていた泉がふっと暗くなり、ただの暗い水へと戻っていった。



 ジオは暫くそのまま泉を見つめていて、ヒースは何と声をかけたらいいか分からずただ突っ立っているだけだった。

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