第3話 鍛冶屋の男

 パチパチと火の爆ぜる音が耳障りでヒースは目を覚ました。目を開けると、目の前は壁なのか木の板がある。自分はどこに寝転がっているのかと見渡すと、積み重ねられた藁の上に絨毯の様な固い布が敷かれ、その上に寝かされていた。助けられたのだ。


 はっと気付き起き上がろうとする。


「子鹿……痛え!」


 背中がヒリヒリし、後頭部もガンガンする。ヒースはその場で悶絶した。


「子鹿あああ……!」

「どうもしてねえよ、安心しな」


 野太い男の声がした。ヒースは自分の上半身が裸に剥かれ、包帯をぐるぐると巻かれていることに気が付いた。傷の手当までしてもらったらしい。ヒースはゆっくりと半身を起こすと、背中を拗じらない様に声のした方に向き直った。この動作だけで汗がどっと出た。


「いててて……」

「お前あの子鹿庇って崖から落ちたのか? 馬鹿だな」


 声が笑った。暖炉の火で逆光になり顔がよく見えないが、腕も肩も筋肉が盛り上がり、かなりいい体つきをしている。短く切られた髪は灰色で、頑丈そうな顎のシルエットが見えた。


「だってあいつの母ちゃんに託されたからな。それにあいつらは俺の命の恩人だし」

「鹿が恩人だって? 頭大丈夫かお前」


 かっかっかと男が笑う。ヒースはむっとして反論した。


「本当だって! 火事の中俺を安全な場所まで連れて行ってくれたし、あいつの母ちゃんが魔物に襲われた時、確かに俺にあいつを託したんだ。目を見たら分かったんだよ」

「……お前、あの火事の方から来たのか?」

「そうだよ。魔族の奴らが多分火を放ったんだと思う」

「追手は?」


 男の声が低くなった。それはそうか、近くに魔族が居るなら呑気に煙突から煙を出している場合ではない。


「だ、大丈夫だと思う。多分逃げた奴隷はそんなにいないし、多分皆火事で焼け死んでる。俺もやばかった」

「お前、奴隷か」


 ヒースは頷いてみせた。男がよっこらせ、と重そうに腰を上げてヒースの前にしゃがみこんだ。


「刻印はあるか?」

「ない。刻まれる直前でダイナマイト持ち出して暴れた奴がいて、それで大騒ぎになって、そしたらジェフ……俺の恩人が、俺を逃してくれて……」


 ぼたぼたと涙がまた溢れてきた。もう随分長いこと水分を摂っていないのに涙はこんなに出る。昨晩泣いて泣いてもう涙は枯れたと思っていたのに、まだ出た。


「刻印がないなら大丈夫か」

「刻印があると、所有者から離れると魔力吸い取られて死ぬんだっけ?」


 ずび、と鼻を啜りながらヒースが聞くと、男が深く頷いた。


「それもある。それに見つかる」

「え?」


 それは知らなかった。


「所有印だからな。探されたらおしまいだ。お前は幸運だったな」

「そう……だったのか」


 でもこの幸運はジェフや他の奴隷仲間、それに母鹿の犠牲があって成り立った。ヒースがさすがに凹んで肩をガクッと落としていると、カリ、カリ、と壁を擦る音が聞こえた。

 男がふう、と息を吐くと扉の方に歩いて行った。


「糞が家の中に転がるのは嫌なんだよ。まあようやく起きたから、少しだけだぞ」

「糞?」


 男が扉を開けると、子鹿がひょっこりと顔を覗かせた。ヒースを見ると、急いで駆け寄ってきた。ヒースにも笑顔が戻る。


「お前大丈夫だったのか⁉」


 子鹿はヒースの元まで来ると座り込んで胡座をかいたヒースの足の上に頭をぽてんと乗せた。くっそ可愛いじゃないか。ヒースはにやつきながら子鹿を撫でてやった。


「野生の鹿が慣れるなんて珍しいな」

「そうなのか? 野生も何も鹿は付き合ったことないからよく分かんねえ。だけど、多分一緒に死地を乗り越えたからかもな」

「こうなると離れないかもなあ。あいつとかこいつとかじゃ呼びにくい。お前名前考えろ」

「え……俺達、ここに置いてくれるのか?」


 助けてもらい、手当もしてもらい、更に置いてもらえるのか? 一食分食えればいいやと思っていたヒースは素直に驚いた。

 男はくるりと背を向けた。


「他に行く所ねえんだろ」


 背中が照れていた。ごつい男だが、気のいい人らしい。


「ありがとう! 俺、ヒース! こいつは、こいつは……どうしよう?」


 崖を一緒に落ちた。崖、崖。


「お前はクリフだ!」


 可愛らしい金玉が付いているのは昨晩確認済である。子鹿にしては男らしい名前だが、その内凛々しい牡鹿になることをせいぜい期待しておこう。


「ヒースとクリフだな。俺はジオだ。職業は鍛冶屋だ」

「鍛冶屋……あのトンカンして剣とか作る人?」


 今度はジオが肩をガクッと落とした。


「トンカン……間違っちゃいねえけどよ」

「ジオって凄いんだな! 一人で生活して、しかも剣も作れるのか⁉」


 ヒースはずっと魔族の管理下にあった為、素直にジオが凄いと思った。ジオがちらっと振り向く。


「お前も学びたいか?」

「いいのか?」

「丁度弟子が欲しいと思っていたところだ。俺は厳しいぞ、耐えられるか?」


 逃げ出して以来、こんなに気分が高揚したのは初めてだった。


「大丈夫だ! 俺は『おっぱいに触れるまでは死なない』って誓ってんだ! それまでは何だって耐えてやる!」

「ぶはっ何だそれ! おっぱいって! あはははは!」


 ジオが笑った。腹を抱えて笑った。暫く笑った後、ニヤリとヒースに笑ってみせた。


「こんなに笑ったのは十数年ぶりだ。ヒース、宜しくな」

「ああ!」


 こうしてヒースは鍛冶屋のジオに弟子入りすることとなった。



 ヒースはまずは怪我を治すことに専念する様にとジオに言い渡された為、大人しく治るのを待つことにした。


 ただの軽い擦り傷と思っていた背中の裂傷には一部深い物があり、ヒースが大丈夫と遠慮するとジオがひと言「うじが湧くぞ」と告げたので大人しく毎日包帯を変えてもらうことにした。不潔な包帯のまま放置した傷口にうじが湧くのは見たことがあるが、あれは腐った肉を食ってくれるとも聞いたがそういう問題ではなく見た目のグロさの問題だ。あんなのが自分の身体にくっつく。しかも背中は見えない。恐怖でしかなかった。


 怪我人に鹿の糞は不衛生だと、クリフは小屋の外に設けられた家畜小屋に山羊と一緒に放り込まれた。山羊は雌だからか、まだ小さいとはいえ自分と同じ位の大きさのクリフを可愛がる様になった。これが母性というものなのかもしれない。


 ヒースにも母親の記憶はあるが、それは断片的ではっきりとしたものはもう残っていなかった。母が目の前で魔族に攫われ、父が魔族に一太刀で斬られた時に過去の記憶は曖昧になった。


 もう今会っても顔は分からないだろう。記憶の中の母の顔は真っ黒で、ただ泣き声だけが蘇る。


 父を呼ぶ声。ヒースの名は一度も呼ばれることはなかった。つまりはそういうことだ。


 暫くして傷は痛まなくなった。ただ、深かった傷は左右に痕になって残った。自分では見えないが、ジオ曰くまるで立派な雄鹿のツノの様に見えるそうだ。クリフを助けた勲章だ、後悔はなかった。


 修行は雑用から始まった。小屋の裏手にある作業場には煉瓦で組み立てられた炉があり、その中に薪をくべて中に用意した金属を入れて溶かす。溶けた金属を叩いて整形し、冷めてきたらまた火を使い、とひたすら熱と対峙する作業だ。


 ヒースはその薪担当で、ひたすら木を切り丸太から薪を作る作業を繰り返した。お陰で上半身は建築現場にいた時よりも遥かにむきむきになった。


 ある時、一人の人相の悪い男がジオの元を訪れた。その男は武器商人のハンだと名乗り、思ったよりも愛想よくあれこれ喋った。


 それまでヒースは知らなかったが、捕まらなかった人間が反乱分子として各地に潜伏しているそうで、そこへ流す武器をジオは作っていた。それとは別に、手に職を持つ人間は奴隷にはならず、魔族の元で働いている者もいるという。全員が奴隷だと思っていたヒースにとって、その話は新鮮だった。


「だからジオ位の腕があれば奴隷にならずに済むんだけどさ、絶対嫌だって言ってこんな森の奥に一人住んでるんだよ」

「そう、だったんだ」

「ハン、余計なこと言うな」

「はは、すまんすまん、若者を見たのは久々でつい」


 ハンは頬に走った傷を引き攣らせながら笑った。これが人相を悪くしている原因の様だった。


「魔族を倒せる武器を鍛えられる職人って希少なんだよ」

「へえ」


 魔族は皆魔力の源となるコアを体内に宿している。それを破壊しない限り倒せないのだが、それを軽々と破壊し魔力を吸い取り成長していくのが魔剣だった。


「え? ジオそんな凄いの作れるの?」


 ジオが眉間に皺を寄せながらも頷いた。


「作れるがな、あれにゃあ妖精の協力が必須だ。最近は妖精と会う機会も減ってな、前程は作れてねえ」

「妖精⁉ なんだそれ!」

「おいジオ、弟子ならもうちょっとちゃんと教えておいてやれよ」

「こいつはまだ一度も金属を鍛えてないんだよ。――でもまあ、そろそろいいかもな」

「うおお! 俺もトンカンさせてもらえんのか!?」

「トンカン……まあ、うん、そうだ」


 ジオは満面の笑みを浮かべるヒースを見て、仕方ねえな、といった風に笑った。

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