<空 4> 元商家子女の告解 4

 怠い。喉が痛い。胸が苦しい。錘付けられて、そうか、沈められるところ。お嬢さまに危害を。笑いも、指先ひとつ動かすこともできなくなって。

 セグレアの、色味の違う女の子。

 あれは薄茶色と濃紺・・・狐色の髪と瑠璃紺の瞳。賢母、だ。

 だから。ぜんぶ。もっと上からの命令で。

 だけど。なぜ。なぜ。なぜ。


 なぜ。


 右目から涙が零れた。左目のそれは、流れ出る前に吸い取られた。いつの間にか腹の上の錘はなくなり、大男の腕だったことにやっと気づく。

 目を開けると、すぐ目の前にある瞳が瞬く。唇を触れるぎりぎりで重ねる。


「俺のモノにならないか」

 事後、裸のままベッドの上、気に入ったといえば、あり得るのだろうか。素性もなにもお互い知らずとも。

 いくら経験不足の小娘でも、相手の静かな緊張が、返答如何によっての行動に繋がるものだとは分かる。


「ハイと答えれば、始末しろと?」

 眠っている間に誰かが指示を与えた。何となく、だ。大男はごろんと仰向けに転がる。私はその腹に頭を乗せた。枕にしては高すぎて吹き出した。

「よく平気で・・・」

「アナタ、自分のことアタシって言ってた」

「ホントに?」

「本当に」


 いくら仕事でも、オンナを抱く本職でもない限り、素が出るものだろう。もちろん勘だけど。何が琴線に触れたのかは知らないが、私が気に入ったのと同じくらいはこの大男も私のことが気に入って抱いた。だから、素の言葉遣いが出た。

 そう考えると少し嬉しくなった。なんだ、親には捨てられたけれど、私だって捨てたもんじゃない。


「それで。合格?」

「しーらない。アタシが聞いてるのは、オトコに簡単に懐くオンナは要らない、だけ」

「簡単には懐かないわよ。アナタ、イイ男の自覚ないの?」

「オンナ言葉だけでイヤがる女ばっかりよ。直そうとしたんだけどね。仕事中は出ないなら別に構わないって言うんで、もう諦めちゃった」

「へぇ。見る目のないオンナばかり抱いてきたんだ。色っぽくてサイコーじゃない?抱かれてるのに抱いてるみたいな、脳が誤解して余計に盛り上がるわ」

「アンタ・・・初めて、じゃなかった?」

「こういうのもきっと回数じゃなくて相性とセンスなのね」


 身体を起こして髪をかき上げる。オトコを知った仕草はもう、それだけで艶を蒔く。胸も尻も顔つきも、今までよりずっとイイ女に仕上がる確信に勝手に口角は上がり、大男の目が驚きと色に光るのを見止めて、破顔した。

 大男も起き上がる。抱き締めようと拡げた腕をはたく。眉間に寄る皺は、慣れない者には威嚇しているように映るだろう。けれど、一晩だけとはいえカンケイを持った私には、拗ねているのだと分かる。


「ありがと。目的は果たしたし、どうやら雇ってもらえそうだし。路頭に迷わずに済んだ」

「路頭に迷った方がまだマシよ?」

「ま、オンナには遣らなきゃならない時があるのよ。・・・嬲り殺しても足りないほどの罪人を生かすんだから、それなりの地獄は用意してくれるでしょ。でも」

 

 表情の消えた少女、灯りを失った家。

 あの家族を生き地獄に追いやったのが自分ならば、それでもまだ足りない。あの子が意思を取り戻して自分の力で生きたいと願う時、すぐ側で支えられるくらいに強くなる、それを任される信頼を得る。

 難しいだろうか。


 ふたり並んで仰向けになれない狭いベッドの上、薄汚れたシーツに新しく付いたシミを追っていた目を上げる。じっと私を見ている栗色は何を考えているのか、今度はもう分からない。目の前にあっても分かる事なんて、どうせ数えるほどしかないじゃない?

 読めるわけもないお互いの感情をああでもないこうでもないと必死に考えているのならば、笑い草だ。でも簡単なのは詰まらない。生きていくなら難しいくらいが丁度いい。

 これからの苦難を想像して溢れた笑みに、私はもしかしたら被虐趣味かもしれないとちらり思って余計に笑えた。あっはと声まで出て、隠しもせず素っ裸に胡座で大口開けて、浅はかな色気は吹っ飛ぶ。


 大男は再び手を伸ばしてくる。その手をもう一度ぱしと叩き、もう相手しないわよと今度は控えめに笑う。叩かれた手を摩りながら大男はいう。

「アンタ、やっぱアタシのモノになりなさいよ」

「嬉しいけど。そうね。私のお姫様が王子様と結ばれて幸せになったら、アナタのモノになってもいいわ」

「そう、約束ね」

 それがどのくらい先のことか。これが大人の口約束だと、私は曖昧に微笑んだ。泣いてもいないのに嗚咽が上りかけて飲み込み、情が湧いたかと頭で理解したフリを演る。





 ボロボロの侍女服の代わりに用意されていたワンピースと羽織を着て、宿を出た。

 結局互いに名乗りもせず。だが、縁があるなら名くらいすぐに知れる。縁がないなら忘れるべき名、労力の節約だ。

 セグレア屋敷の裏口、門番は顔パスで通してくれる。つまりは許可されているということで、鬼が出るか、蛇が出るか。使用人用の小部屋で待たされ、出てきたのは大鬼で大蛇の奥様、セグレア伯夫人ヴィクトワール様だった。


「マリーズに任せたのは失敗だと思ったけど、まぁスッキリしたイイ顔ね。セグレア家ではなく、私の管轄になるから。容赦はしない。覚悟はあるのでしょう」

「はいっ」


 そうして私は、間諜を育成する村へ行くよう指示された。聖都から一ヶ月半、国の南東にある山々に囲まれた陸の孤島。

 五年、身体と心と魔法を鍛えて、聖都に舞い戻り、今度は命令を受けて三年国外で、さらに一年国内で任務をこなした。



「ひっさしぶりの聖都ぉ〜っと」

 似合わない鼻唄に自分で吹き出して、次の任務の場所に向かう。


『落ち着いた大人の女性、小さな出版社の編集長  ヴィッキー』


 珍しく手書きで指示された住所は三階建ての建物。娘を街に出すから、準備を任せる。それはどれほどの信頼だろう。あの方は、絶対に私が守る。




「力、入りすぎじゃない?コーヒーなんか、どうかしら」



 二階の事務所に上がる階段の前で小さく気合いを入れた私に、横から掛けられた声は。

 この九年間を支えたのは、お嬢さまへの想いとあの一晩の。

 だけど、迫り上がる感情など毛ほども見せて遣らない。まだ何も為していない。私は。

 今の間だけで何もかも見透かす眼差しに、穏やかに返事を待つ柔らかな口角に。振り返った私は指先に頸筋に優しい痺れを感じて、それでも平然と初対面を装う甲斐性くらいは示させて。

 艶然と、微笑む。

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