<空 5> 元商家子女の告解 5

 背に当たる温度はおそらく一般的な人肌よりも高く、余計な脂など含まない固い弾力と滑らかさに欠ける表面が身動ぎに刺激を与えて、狭い間隙の湿度をじわり高める。

 そこにある古い切傷によるへこみや過去に負った火傷の引き攣れがある種の勲章であると十二分に理解できる似た種類の人間であるから、特別な感情がなくともその刺激は心地好かったのかもしれない。

 微睡の中、感触は少し滑りを持った。塩気と苦味の混じる傷跡のひとつひとつに口付けを落として、自分の、自分だけのモノだと印を付けて。指先でなぞり、こそばゆいと止める大きくて少し浅黒い手に頬を寄せて。見上げればそこに。


 それは何れ程の。

 シアワセだろう。



「そろそろ、起きた方がいいんじゃない?」

 囁いて耳朶を唇だけで食むくすぐったい刺激にぶるり震える。柔らかく挟んだままゆっくりと上下し、息まで吹きかける。

 じわりと滲み出たのは目覚めの生理的な水分で、ほかに意味などあろうはずがない。だって、今日は。


「ちょっと待って。今、何時?」

覚醒は一気に。耳を押さえてがばり起き上がり見下ろした先、こちらを見詰める栗色の瞳の緩さが信じられなくて眉を顰める。

 今日はルージュ様の次姉サリア様の婚約披露パーティ。ルージュ様が社交デビューされる日で、敵が仕掛けてくるよう念入りに仕込んできた日だ。


「アタシたちは現地集合だから、ぜんっぜんまだ時間なんてタップリあるわよ?なんならもう一戦・・・」

「アナタ、なに考えてっ」

 思わず振り上げた手の、手首を素早く掴むと引き寄せる。起こした半身は倒れ込み、分厚い筋肉の鎧、傷だらけの表面を晒した裸体に吸い込まれる。

 何も纏わない背中に大きな掌が宛てがわれるだけで動悸も呼吸も速くなり、そんな自分が信じられなくて男の体とベッドとの間にできた暗がりに目を見開く。


「よく、眠れただろう?」

 降ってきたのは仕事のときの男声。小娘のように翻弄されている自分に気づかされる。これも仕事の準備だと暗に示され、相手から見えない表情は歪む。温もりから抜け出そうとした動きは、まるで愛情がこもっているかのように力の込められた腕に阻止される。


「お前でも眠れなくなるんだな。俺たち皆にとって勝負の日だ。もちろん緊張はある。が、だからこそ普段よりも休息を取るべきだし、余計なことを、最悪の事態などに想像を巡らせて眠れずにいる、自分自身の頸を絞めるなど。ありえない」


 反論の仕様がない。

 護衛対象を、ただの護衛対象以上の存在であるルージュ様を、未遂に済んだとはいえ暗殺の危機に晒すという失態を犯したにも関わらず、私はまだ作戦の中心にいる。 

 責任など取れない——命に替えられる何を持っているというのか——責任者の重圧、弁明も弁解も求めない信頼に対する怪訝、ならばと無理に入れた気合は、いよいよここ数日で見事に私の神経を蝕んでいる。


 また、お守りできなかったら。


 毒に倒れて目覚められるまでの間、夜空の星に、遥か過去の聖者に、祈るしかなかった非力な自分。あの方とあの方を大切に思う家族や愛しい人に三度目の、そして永遠の嘆き悲しみを与える想像は、悪夢となって眠りを浅く短くし、余計に精神を不安定にしていく。


 なぜ赦されているのか。

 それとも、これが罰なのか。


 あの日から続く自問、際限ない懺悔に朦朧とする正気は、ただ色味が違うだけでひとりの女性を抹殺しなくてはいけないという妄執と同じく、異様としかいえない。側からみれば滑稽な一人芝居にも映るだろう。

 それでも。足手纏いになるから外して欲しいなど、口が裂けても言えるはずもなく、やはりあの方を一番そばで守るのは私でありたいのだ。





『眠れないから眠らない。濃いのを、淹れて頂戴』

『じゃあ、アタシを・・・呑んでいきなさいよ』


 いよいよ明日となった昨晩のこと。

 一階のカフェ兼バーの扉を開ければそこに、施錠のためか他の用か、ちょうどこの男が立っていた。

 見上げた目に、眉根を寄せて開こうとした口を遮って言葉を掛ける。

 一瞬の間。

 男は返答の合間に扉に鍵を掛けて。

 それから。





 厳しい言葉とは裏腹の労りに満ちた掌が今度は髪を撫でる。ふたりの間を遮るモノは何もなく、互いの体温にまたじっとり肌が揺らぐ。


「俺ぁ、もう少し。チームとしても、男としても頼られてると。昔の約束なんざ忘れられてるとしても、多少は。・・・それで。人肌は睡眠薬になっただろうが、俺にとっても。大勝負の前に未練を絶ちたかった。弄んだ以外のナニモノでもねぇが・・・謝らないわ・・・よ」


 続く言葉は辿々しく、思案した言葉、内面に覆いを被せようと試みて失敗した台詞だった。裏側が丸見えの安っぽい、あるいは使い古して用を足さなくなったムシロ程度の覆いを被せた言葉で、何を誤魔化そうと思ったのか。

 それとも見え透いた動揺もまた、この人の遣り方で、やはり弄ばれているのだろうか。ただ命懸けの勝負の前にオンナを抱きたくなっただけで、近くにいたのが私だっただけで。

 しかし、少なくとも十何年前の一言を覚えているのが自分だけではないコトに。滲みそうになる涙を堪えて。

 大きなベッドだけで一杯の狭い部屋が、窓から差し込む朝日に煌めく。


「離して。オンナの準備には、時間が掛かるのよ」

 見上げ、睨みつけ、啖呵を切る。

 再現してやろうと目論んだ通りの効果は果たして。声音も睨みも、初々しさからは程遠く、若さを失った代わりに得たと考えていた老獪さなど、この人から見れば少女の背伸びよりまだ詰まらないモノかもしれないけれど。


「ふっ。イイ顔になったじゃない。さすが、アタシのオンナだわ」

「冗談は顔だけになさいよ」

 緩んだ腕から抜け出し、立ち上がり見下ろす。両手を腰に当て、ハリもカタチもまだまだ衰えない白い胸を張る。


「またこの身体が欲しいと思うなら、しっかり働きなさいよ」

「応っ」

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