<空 2> 元商家子女の告解 2

「吐く気になった?」

 暗闇に慣れた目に強度を上げた魔導具の光が差し、咄嗟に閉じた瞼の裏にチカチカした緑色の点が焼き付く。随分と若い女性の声が、責めるにも詰るにも平板すぎて、現実離れした夢の中の出来事のよう。


 部屋は真っ暗でも手足を椅子に柔らかな布地で括り付け、猿ぐつわを噛ませただけ。密偵には容赦ない拷問を行うものだとばかり考えていた私には拍子抜け。吐くも何も、素性など最初から偽っていない。けれど、それで。感情のない女性の声にやっと、私は父母に捨てられたのだと思い至った。

 初めから、上手くいってもいかなくても、この方法を取れば少なくとも私は捕らえられる。騎士団統括伯の家中、不届きモノはそのまま。死体などどのようにも処分できるだろう。


「泣いたって今さらよ」

 やはり平板な声のまま、女性は続ける。目尻から頬に流れ出た水の感触が不愉快で、自由になる頸を振る。泣いてなど、いない。何に泣くというのだ。しくじったこと?捨てられたこと?それとも、死が待つことに?

 しかしコツコツと軽い音で近づいた女性は、猿ぐつわと手足の拘束を外した。頬に触れた手が、幾分乱暴に涙を拭う。

 目を開ける。黒目の大きな黒っぽい瞳が顰め面のせいで抜け落ちた洞になって、私をというよりは、私の背後を睨み付ける。


「あなたのお父さま、お母さまは聖都を無事に脱出。従業員に支払うはずだった給金を宝石類に変えて隠し持っていたから・・・どこに逃げるにしても元手には困らない、ま、下手な考え、だけどね」

 細い指先、白い手首。金色の髪は扉から差し込む明かりに僅かに桃色に光る。初日にご挨拶したセグレア伯夫人ヴィクトワール様と同じ色合いだ。思わず見蕩れていると、つ、と頬を滑り降りた手が首を掴む。力は、込めない。


「好きにしていい、お母様に言われてる。立てる?」

 あっさりと頸の手を離して、腕を取って立たせる。無理に同じ姿勢だったせいで少しだけフラついたが、軽く二度ほど跳んで肩を回せばいかようにも動ける。


「身体能力もお味噌のデキも十分で、多少の企みがあったとしてもお釣りがくる。面白いと。持て余されていた様子だし」

 歩き出した女性、セグレア伯爵家長子マリーズ様は誰にともなく呟いた。風魔法の補助がなければ聞き取れない程度の声量を、わざと維持しているとしか思えない声で。


 私の父母はもはや聖都での商売は無理なほど追い詰められていたそうだ。いや、汚い遣り方に反発を食らって身動きが取れなくなっていた。今回の依頼は渡りに舟というよりは足下を見られた末で、娘を差し出した見返りは、見張りを振り切って聖都から逃げ出す術のみ。逆に、捨てていった従業員や取引先には商業組合経由での救済措置が取られる。

 つまり、実質的に捨てられたのは私ひとりということだ。


「良かった・・・」

 出すつもりもなく出た言葉に、マリーズ様は足を止めて振り返り、胸ぐらを捻り掴む。身長差はないのに細腕のどこにと疑う力で、こちらの足が着かなくなるほどに捻りあげる。白シャツのボタンがひとつふたつ飛んで、締め上げられた息が詰まる。腕を掴もうと手を上げ、しかし悲愴な顔が目に入り、抗う気持ちとともに、すとり落ちた。

 マリーズ様の方こそ、親に捨てられた子どものような顔をしている。


「分かってる。周囲の人たちが無事で安心したんでしょう」

 苦しさにボヤけた視界の先で、美しく整った高位貴族令嬢の顔はいよいよ歪み、他者を締め上げる姿勢とは思えないほど綺麗に、目尻から涙がつと流れた。

 ぐ、と声にならない呻きを漏らした私の襟元から手を乱暴に振りほどく。げほごほ勝手に出る咳で空気を取り込む視線の先、ぽたり雫が床を濡らす。

 私が落ち着くのを待って、マリーズ様は顎をしゃくってまた進む方に向き直る。けれど歩き出さずにずずっと洟を啜り、仰ぐ。やはりその外見には似合わない粗野な作法、両目の上ぐしぐしと音を立てて拳を往復させたあと、先ほどよりも早足で歩き出した。


 屋敷の奥の方へ向かっている。働き始めて一ヶ月もあれば、いくら広くても屋敷の見取り図くらいはソラで書ける。しかし奥の一角はまだ不明だった。

 並びの扉を無視して奥へ奥へ。

 大勢いるはずの侍女召使いの誰ともすれ違わない。窓から昼の日差しは入るのに廊下はどこか薄暗い。奥はもともと人手が少ないから?しかし屋敷全体が沈んでいる気配を感じて、喉に苦味が上る。

 一番奥、突きあたりの扉、マリーズ様はノックもせずに開け放す。

 ベッドの上、少女がいた。

 あの、少女だった。

 屋敷の奥、裏手に広がる森との境目の、庭というには自然が溢れすぎている庭で、木陰で小さな木の椅子に座って本を読んでいた少女。膝の上に載せた分厚い本はにこにこと楽しそうに読むには些か不釣り合いだったが、明るい茶色の髪と濃い紺色の瞳が可愛らしい女の子。


 しかし、ベッドの上の少女からは一切の表情が消え去っていた。ときおりぐにゃりと横向きに倒れ、侍女か看護師が抱き起こして背もたれのクッションをいくつも重ね置く。目も口も開いているというほど開かず、閉じているというには隙間があり、肩からはいかにも重くて不自由な腕が、突然の土砂降りに濡れそぼるシャツのように垂れ下がる。その腕の位置も調節してやらなくては、平衡を欠いた不器量な人形みたいに倒れてしまう。


「あなたのアレ・・・外で控えていた間諜は始末したから誰も受け取らなかったけど・・・一番、その言葉に衝撃を受ける者が聞いた」



『よその子がいるよ』



 私の叫びが私の脳を揺すり、喉を詰まらせる。

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