外伝

<空 1> 元商家子女の告解 1

『よその子が混じっているよ』


 考えもせずに発した叫びにはその少女を表す要素は少しも入っていなかった。

 ようやく見つけた対象は、掃除中のテラスから遠目でもハッキリ分かった。見つけたコトに有頂天になって、役目を果たせる安堵だけで叫んだ。

 少女の膝の上に乗った重そうな本が落ちて、ぐにゃり地面で斜めに開いた。私も地面に叩きつけられてぐにゃり意識を失う。

 知らなかった。

 広い広い屋敷の一番奥の部屋で大切に護られて育てられていた少女。家族みなが彼女と話すことを、触れ合うことを何よりも楽しみに日々を生きている、その大切な少女を。私は。





 聖王国の中でも有数の貴族家であり、国の最重要職のひとつである騎士団統括伯を賜るセグレア伯爵家は、当主夫婦それぞれの職務は当然のこと、代官に任せているとはいえ領地に関する決裁の多くを聖都の本宅にて行い、情報収集の場でもある社交会への参加や子息や使用人に関する些事まで含めると息つく暇もない日々を送っている。

 令嬢、令息も早くからそれぞれの才覚を示し、力量と希望に見合った家庭教師や指導者の元で勉学、鍛錬に励み、家柄を考えれば当然とはいえ、同世代のお坊ちゃん、お嬢ちゃんとは一線を画した毎日を送る。

 家族みな、あるいはずっと先で交わるかも知れないが、一見すると別々の方向を向き、互い互いへの興味は薄く、自らを高めることのみを追う求道者然とした性格といえば良いのか、その点では夫婦親子兄姉よく似かよっている。

 しかし、バラバラに見える家族を家族たらしめている存在があった。一家の末娘である。


 セグレア家は百年以上前に娘を王に嫁がせた。

 当時の王と正妃の間には世継ぎとなる王子が生まれておらず、第二妃もまた姫君を産んだ後は御子に恵まれなかった。

 周囲の進言を無視する訳にもいかない王が不承不承に——正妃と第二妃とは容姿に被りのない地味な娘ならば妃の間で揉め事も少ないだろうし、頻繁に通わなくても済むだろうと——選んだ娘が、ルーヴァンリー=ノアール、伯爵家の娘には見えない庶民の色合いを持つ娘だった。

 ルーヴァンリー=ノアールの元に王が出向いたのは城に上がった直後だけだった。通わなくとも良い、つまりは容姿を気に入るはずのない娘を選び、輿入れさせた義理だけで一度か二度部屋を訪れた。

 それで、しかしノアールは懐妊し、男児を産む。羊水に濡れた金色の髪が魔導具の薄暗い照明の下ですら紫に光り、その頃の王家ではとんと見られなくなった濃い文様を持つ力強い碧が、薄らと開いた瞳の奥に確かにある、そんな赤子を。

 周囲は御子の誕生に沸き、正妃と第二妃は当然のこと、これを歓迎しなかった。毎日のようにどちらかに通う王から、たった一度二度の訪問で御子を授かるなどはあり得ない、密通を疑い、糾弾した。


 当時は血筋を証明する魔法や魔導具の類はまだ発明されていなかったが、聖者イストラから騎士王の名を与えられて聖王国の礎となった初代王の肖像通りの色合いを瞳と髪に有する御子を王は認めざるを得ず、正式に王子の誕生が発表され、尊い御子を疑った責を取らされた第二妃は王宮を去る。

 王はいよいよ正妃の元に通い詰め、正妃の企ても知らぬ顔で通したが、ノアールは賢察にて徐々に王宮での味方を増やし、正妃側の影すら操るようになる。正妃が男児を産んだときにはもう、十歳にして王族の貫禄を十分に備えた息子の立太子礼を済ませていた。


 徒手空拳でのちに賢王となる息子を育てたルーヴァンリー=ノアール・セグレアは伝記上の人物だ。あるいは、人は見かけで判断してはいけないという教訓的な。

 なぜ伯爵家から地味な、狐色の髪色と瑠璃紺の瞳を持つ娘が生まれるのかは不明だが、賢母ルーヴァンリー=ノアール以降は、この色合いを持つ娘は世の流れを乱すと——実際は、賢王は父王の悪政を一掃したのだが——忌避されることとなる。王家をして、その娘の存在を報告した上で秘匿せよと命じさせるほどの。


 そして、存在を確信しているその娘の報告を受けていない現王は、客人や侍女下働きに密偵を混ぜ込み、セグレア家を執拗に探っていた。

 我が家にもどこから廻ってきたのか、命令が下った。その時はもちろん、奇妙な依頼だと頸を傾げただけであったが。

 絹織物の取引における損失で商家である我が家は倒産寸前、成功すれば立て直しに十分な報酬を約束されたと、父は『簡単な依頼』を私に説明した。


 なんてことのない話だった。

 侍女見習いとしてセグレア屋敷に奉公に出て、屋敷の中、恐らく客人などが立ち入ることのできない奥の方で見慣れない子どもがいれば、屋外の方に向かって大声で叫べ。

 誰かを傷付けることもない、多少の信用が得られれば、広い屋敷のこと、不自然ではない状況で奥を探ることなど造作もない。商人の娘として行商を手伝う体力も、取引相手やお客さんと話を合わせる対応力も、あまり大っぴらにはしていないけれど周囲を探る風魔法も使える。

 父と母と従業員たちと、我が家が潰れれば一蓮托生の取引先を。私のひと声で助けられる。役に立てることが嬉しくて、私はその行動がもたらす結果など、対象のことなど何も、考えやしなかった。

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