<49> それを幸福と呼ぶ

『君の嫁ぎ先を決めた』

 行先を最優先に。毒から回復した私に、父は言った。

 政略の道具として扱われて当然の末娘、血筋を証明する見目を持たず、剰え庶民と見間違えられる地味な色合いの娘。

 初めから選択肢などないというのに。少なくとも先々を考えて婚姻相手を選んでくれた配慮に感謝して然るべきというのに。

 涙が、勝手に。本当に。泣くつもりなど、逆らうつもりなど決して。

 私は。


『あぁ、それほど嫌だったか。いやぁ確かにアイツは少し・・・粘着性というか』

 軽いノックで勝手に扉を開けて、我が物顔で部屋に入ってきた壮年男性の声には聞き覚えがあった。

『ひっくっダ、ダニーおじさん?』

 子どもの頃、六歳以前によく遊んでもらっていたおじさんの声だった。久しぶりというのにベッドの上で泣きじゃくっているところなんて、恥ずかし過ぎる。なんでこんな席に勝手に入ってくるんだよぉお。布団に潜り込むぞっ。

 ってあれ?ダニー・・・次期アダン侯爵の名がダニエルだけど、違うよ、ね?だって、うちとは政敵だし。家に出入りする仲なワケが・・・。


『まぁああ、あの子がウチのお嫁さんに?なんて可愛らしい』

 続いて奥方と覚しき方も闖入してきた。警備はどうなっている。


『それがどうも、あの息子じゃ嫌みたいで』

『まぁああ。癖がバレたのかしら。確かに親としても引くレベルだから。顔だけは無駄にいいんだけど、中身がアレではねぇ。やっぱりアナタの血が残念なのよね』

 ふぅ、とご夫婦揃ってため息を付いた。

 ぱちくりん。そろそろ説明してもらってもいいかなぁ。涙なんてもう止まって、家族を見渡すと目を合わせずに逸らしていく。ちょっとちょっと。暴れるよ?一番弱いけど。



 え?足音が。

 たぶんそれは私だけに聞こえる小さな小さな変化。革靴が廊下の床を叩く振動を、ベッドの上に居ても受け取れるのは、その音を起こすのが。

 扉の前立ち止まって、ノックは二回。叩く前に少しだけ躊躇して。

 ごくり、唾を飲み込んだ。

 私の緊張は部屋の中みんなに伝染して、すべての瞳が扉を見詰める。


『ルリが目覚めたってっ』

 開けるとなしに、金髪のその男性は私の名を呼んだ。

『ロディ・・・さん・・・いえ、ジル』

 私も愛しいその人の名を呼んだ。

『ロディで、いいよっルリっ』


 ベッドから飛び降りて、駆け寄る彼の胸に飛び込む。

『手紙にサインを入れたんだ。ルリから受け取った手紙は三通、俺が出したファンレターも三通。これで婚約できるよっ』

 私を抱き締めて見下ろす真夏の青空が煌めく。

 言葉の意味合いはよく分からない。でも最後の一言と私だけを見詰める瞳に、返事など決まっている。

『はいっ』



 *



 随分と聖都から離れてしまった。

 馬車で一ヶ月。聖王国の南東、山に囲まれた陸の孤島とも呼ばれる土地に私たちは向かっていた。断絶したフォルスター公爵家が管理もせずに放置していた土地で、小さな村が三つ、人口千人にも満たない人びとが細々と暮らしている。

 領主屋敷というほどでもない館が一応はあり、使用人たちが先着して整えてくれるそうだ。

 あぁ、自己紹介が遅れました。

 私は、新たにその土地の領主となるジルベール・ロンバルディ男爵夫人ルリルーと申します。まだ式は挙げていませんが、書類上は妻になります。

 夫である男爵は、聖都の混乱の責任を取り内務大臣を辞した前アダン侯爵の孫にあたる方で、国の中枢に近い護衛騎士団に所属しておりましたが、職を追われ、田舎の領地を宛がわれたそうです。

 侯爵家からも放逐されたに等しく、失意の中領地に向かっていたところで、姉の新婚旅行にくっついて来ていた私に出会いました。

 そして、ふたりは恋に落ちて。

 侯爵ほどの上位貴族やその子弟であれば庶民との婚姻など考えられませんが、彼は新米男爵。最も下位の貴族で、田舎領主となる彼の妻が誰であろうとそれほど問題はありません。最終決済は王家が担いますが、書類をさほど確認することもなく可の印が押されたことでしょう。即位されたばかりの多忙な中、末端の人間を気にする暇はありませんから。





「風が気持ちいい」

 寄り道馬車の旅。

 目指すところはあるけれど、特に期限も決まっていない、ゆっくりまったり旅行。

 今は小高い丘の上で休憩中だ。


「空が高いね」

 私の肩を抱くロディさんが、ずっと向こうを見詰めて言った。何てことないただの呟きが、どこまでも甘い。低くて伸びやかで艶があって。

 目でなぞる遠くの稜線と耳に染みる澄んだ空気が気持ちよくてふふと笑った。


「どうかした?」

 覗き込む瞳はあの空よりも濃い青だ。初めて出会った時にはもう、私の心を吸い込んで捕らえてしまった瞳。

 不自由な私はあの大きな青空に惹かれていて、だからこの瞳に吸い込まれたのだろうか。

 いやきっと何色だったとしても、この瞳は。私だけの。


「もっと。真夏だったらあなたの目の色と同じ色の空だったかな、と」

「じゃぁ、たくさん子どもを連れて、また来よう。この場所は素敵だ」

 頬に窪みを作って、私と同じ空を見詰める。


 彼はどこにいても同じことをいう。この場所は素敵だ、と。

 私も同じことを思う。この場所は、たまらなく素敵。

 ロディさんの腕にもたれる。彼の手がすっかり慣れた調子で髪を掬い、頭頂に一度二度柔らかな唇を寄せる。

 私の胸にはもう、決して消せないあなたの青い炎が燃え続ける。魔法の基本四属性すべてを持って最上級の炎すら消せるとしても、天寿を全うするまでこの炎を消すことはできない。


 並んで見る遠く黒い山々の頂はもう、白く飾られている。ほとんど動きのない雲がそれをゆったりと見下ろす。

 視線を移せば、私たちの上の雲は形を崩しながら急ぎ足で通り過ぎる。

 丘に風が流れた。落ち葉が舞い、枯れ草が転がる。秋は収穫と同時に生命の終わりの季節だ。そうして山々にはすでに訪れているあの冬が里にもやって来て、私たちは穴倉でじっと復活の季節を待つのだ。

 髪の色も目の色も魔力も権力も何もかも関係なく、天地の摂理はもっと私たちに厳しい。

 けれど、どんな時も。

 あなたがいて、わたしがいて、ふたつの心臓が重なるから。

 あらゆる場所が楽園になる。

 きっとそれを幸福と呼ぶ。

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