<44> 賭け事には向かない性格
曲が終わった。
お後がよろしいようで、とよく分からない文句を口にしたリグイット公爵令息は、ダンスの動きだけを止めて手は離さず、じっと見詰める。それから視線を仕方なしという風に外して、やっと私の右手に口づけた。
フリが上手い。王弟令息、やんごとない公爵令息はまるで本当に婚約者候補であるかのように振る舞う。幼い頃から帝王学を学んできたのは伊達じゃないのだろう。
庶民になるんだって親兄姉に反発して街に出た割に、ずぅっと護られてきた私とは大違い。だけどこれが私の分。私を護る視線を受けてやっと、危険が迫ると知っても平常を保っていられる。
それでも愛する人を得ようと少し愚かな執着を見せる姿に年相応を感じもして、つい溢れた笑みに、王弟令息の上げた顔は驚きを見せ、それから良い微笑みに変わった。
「素敵な時間をありがとう」
「こちらこそ。ダンテ様」
「次はわたしと踊っていただいても?ルージュ様」
「いや、私が」
「ひぃあはははっ私よりも高位の者はいないようだな」
次の相手に名乗り出ようと数人の貴族令息が声を上げる中、銀色スーツの男が大きな引きつり笑いで場を濁らせる。
主催側として名を聞かずとも誰がどこのご令息かは当然分かるし、何人かの中から選ぶのなら無難に最も高位の貴族を選ぶのも当たり前で。
けれど自分で主張するのは、品性に欠けている。没落手前の高位貴族にありがちなヤツ、気位だけで生きていて実が伴ってない。
顔に出すなよ、と釘を刺す視線だけ寄越して、リグイット公爵令息は下がる。
入れ替わりに指名もされていないフォルスター公爵家エーミール、銀色の髪、薄青の瞳をした男が、尖った顎先を威嚇するように上げて近づいてくる。同じ公爵家といえども格が天地ほど違う王弟令息をすれ違いざま睨みつけて。
賢王の異母弟を祖とするフォルスター公爵家嫡男エーミールは私と同い年でダンテ・リグイット公爵令息と同学年の学園生でライバル視している。もっとも、ダンテ様は公務の合間に顔を出す程度だし、言い寄る令嬢を歯牙にも掛けないのだから、関わりは殆どないのだが。
フォルスターの方が古くからの公爵家であり王族としての格が上だと言って憚らない。すでに王族としての色合い、特に碧眼の尊い文様も失われた没落公爵家が幅を利かせていることは、遡って賢王最大の失策と呼ばれている。
父子揃って派手好き、女好きで、借金まみれ。領地は勝手に売買できないが、抵当に入れ、そちらからの収入は断たれている。というのに最近羽振りがよく、またフォルスター公爵は国王の相談役として城内でも幅を利かせているから、学園でもエーミールに擦り寄る令息令嬢もいるのだとか。
「まぁ、エーミール様がお相手を?私、緊張でうまく踊れないかもしれませんわ」
お父様相手に足を踏みまくっていたのを見ていただろうし、そこは覚悟の上だと信じる。治療費慰謝料は勘弁願いたい。
曲が始まり。
手を取ってすぐに、エーミールは無理矢理密着する距離で踊る。背に回した方の手をぐいぐい自分の方に寄せ、私を更に近づける。どどどどういう?婚約者でない令嬢と踊る時は拳二つ分は開けて、とか作法が決まってるのに。こちらとしては二つと言わず三つ四つ分離れたいというのに、身体と身体が触れ合う距離に、ときめきじゃない鼓動が耳まで響く。ようやく思いを通わせた人が見守る中、ほかの男と密着など、仕方ないとはいえ呼吸が乱れて側頭の血管が酸素不足を訴える。崩せない笑顔に頬が引き攣りかける私に、干からびた水溜りで踊る蛙の声が話しかける。
「地味でパッとしないたかだか伯爵家の娘が王弟令息に嫁げるとでも思ってるのか?アイツは阿呆だから賢母の資質に騙されているだけだろうが、オレはお前の秘密をちゃあんと知っているんだからな」
秘密?
賢母の資質以上にマズイ秘密があると。何かほかに?あぁ、こちらを無視した手足の動きに振り回されて、呼吸が余計に。付け焼き刃のダンスに手加減なしとか。顔と動きを保たなくてはと、ほかのコトなど考えられない。
「ふふふっいい顔をするじゃないか。しばらく街で暮らしていたのも、家に男を連れ込んでいたのもオレは知っているんだからな。オレならば純潔など気にせずにもらってやってもいいのだぞ」
変えず隠しもせずに暮らしていた顔を今、晒している。分水嶺は自分で超えた。公開した秘密などもはや秘密ではなく、お洒落カフェ辺りですれ違った令嬢も本日の客人の中にいて、記憶を辿っているだろう。男、連れ込んで・・・とつい思い浮かべた顔に一瞬頭痛が治まるが、背に当たる掌が微妙に摩るように動いてすぐに不快感に塗り潰される。
ダンスも三回目となると体力不足の私にはツラく、女性への気遣いもマナーも持たない男との踊りはほとんど拷問で、勝ち誇る笑みが吐き気の手前の胃のむかつきを呼ぶ。
「この距離だと心の乱れがよく分かる。焦らなくてもいいが、あまり長くは待ってやれないぞ?オレの相手を望むオンナは幾らでもいるからな」
では早々にその女の元へ行ってくださいますよう、程度の低さに合わせないようにできるだけ品位を込めて微笑む。拒絶を込めたつもりが相手には伝わらず、ニンマリと弧を描く薄い唇は庭の隅に転がる古い蛇の抜け殻だ。
今後聞く度に不快になるであろう一曲がようやっと終わった。
「また連絡する」
エーミール・フォルスターの去り際の言葉に若い令息、令嬢たちがザワつく。冷えた視線のいくらかは私に、二人の公爵令息のどちらを選ぼうか悩む、貴族らしい見目を持たない不埒な娘に向けられていたが、良識ある大人たちは若者の態度にむしろ冷笑を溢した。権力も能力も雲泥の二人、悩む必要などないのだから。
誰がどう動くか。
それを考えるには私には情報が足りず、ただ笑顔で淑女の礼を取り、父のエスコートで控え室に戻る。人びとの視線を背に受ける私の脳裏に、場に参加していない母の言葉が繰り返される。
『賭けに出る気概はあるかしら?勝てばアナタの望む者が手に入る。賭けなければ手に入らない取って置きよ?』
心を得たその人を手放す選択などあり得ない。そして、勝算なく賭に出る母など、それ以上にあり得ない。
勿論と、可能な限り体全体に力を込めて返事をした私は、しかし賭け事には一切向かない。賭けろといわれつつ詳細を知らされないのは顔と態度に出てしまう庶民ライクで分かりやすい性格ゆえ。
構わない。
彼が、彼らが、私たちを大切に思ってくれる多くの人たちが、私というチップを上手く使って、道を作り出す。
私の心臓はもう、信じる者を違えない。
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