<45> 搦め捕られたのは誰だ
「賢母などと世を乱す娘を生かしておくなっ」
誰に聞かせるための叫びであったか。
帰り支度を終えて次姉の婚約披露パーティの会場から出たところで覆面の男たちに囲まれた。武装した五人ほどが私の姿を見止めるとすぐに抜刀し、斬りかかる。護衛と警備が応戦し、魔法と剣戟が飛び交う。私と侍女は別の護衛に誘導されて馬車へと急ぐ。
セグレアの紋章が付いた馬車は目立つからと無印の馬車を仕立てていた。こちらへ、と馬車の扉を開けた護衛はしかし、潜んでいた男に吹き飛ばされた。じゅうと黒い煙が後にたなびき、焦げた臭いに倒れた騎士にゆらり出た男に、悲鳴を上げる息を吸いこんだ刹那、背後から別の男に殴られ、気を失う。
がたん。がたがたがたがた・・・
比較的規則正しい振動に時折混じる軽い衝撃。馬車の中。移動中か。
殴られて昏倒した、んだよな。猿ぐつわ苦しい。目隠し、手足も縛られて完璧な拉致スタイルで転がされている。
腕に熱と弾力を感じる。侍女として付いてくれたレヴィさん——リグイット公爵家の密偵——がすぐ側に転がされて微かに動いている感触に少しだけ安心する。
「坊ちゃん、この辺りの屋敷じゃぁすぐに見つかっちまいますよ。下町エリアは最近騎士団と警吏が多いですし。本宅はマズイですよね?」
「馬鹿かっオンナ攫って実家に連れて行くヤツがどこにいる。使い古しを転がしてある北東の屋敷はどうだ?」
御者と話す男の声は、間違いなく先ほどのダンスの相手だった。不愉快な粘つきを伴う声に、食まされた猿ぐつわが無ければ奥歯を噛み締めるところだった。
「近所で火事があったとかで役人が多いんですよ」
「夜だぞ?」
「付け火かもしれないから、見廻りだとかで。騒がれればすぐバレます」
まだ石畳の振動、街の中心部から出ていない。意識を失ってからそれほど経っていないはずだ。きっと非常線が張られているし、少なくとも検問があるから聖都外には出られないが、聖都を囲う外壁の内側でも治安の悪い地域や廃墟の集まる地域もあり、隠れ家など幾らでも用意できる。
「・・・お前、オヤジ連れてどこか行ってるだろう?そこ行け」
「いや、行ってません」
「行けっ」
「勘弁してくださいっっ」
「直に代替わりしてオレが当主になるんだ。クビ切るどころか、今すぐ殺すぞ?」
「坊ちゃんッ」
「行けッ」
イライラし始めた男は貧乏ゆすりと舌打ちを繰り返し、思い出したかのように私の鼻先に眠り薬を嗅がせる。意識が途切れた。
「・・・侍女はやる。好きにしろ」
肩に担がれている。二つ折りで頭が下の姿勢だけでもツライのに、猿ぐつわのせいで呼吸もままならない。意識が戻ったのを気付かれたくなかったけれど、おえおえゲホゲホいうのを止められなかった。
「あぁ起きたか。もうしばらく大人しくしてろ。適当に良い部屋を見つけて可愛がってやる」
饐えた臭いとかび臭さ、歩きながらモノを蹴る音、時々崩す体勢と近づく熱と蝋の匂い。
廃屋?燭台を持って歩いている。照明すら動かない古い屋敷か。
左右にふらふらと動いて、ガチャガチャとドアノブを回す。ぎいぃと開く時もあれば、ノブが外れることもあり、いずれにしても気に入らなかったようで、中には入らずに舌打ちをして扉を蹴った。
ロディさんよりも小柄で鍛えてもいないフォルスター公爵令息は、扉を蹴る度によろけて、担がれてる私は揺れに揺れる。
腹を押さえつけられて苦しい上に臭いや埃も酷い、さらには揺れで酔ってきて空嘔吐に拍車がかかる。涙と鼻水がぼたぼた垂れる。
「汚ねぇな。伯爵家程度だと品性もなにもあったもんじゃねぇな」
また次の扉を探して、また次の扉。
だが、この男もおかしくなってきている。
段々と呼吸が荒くなる。足元も頼りない。扉を開ける音も乱雑になり、何度も何度も蹴りつける。
ちくしょう、ふざけるな、覚えとけ。
すかしやがって、ぶちのめしてやる。
かと思うと引き攣った笑いを漏らしたり、担いでいる私の臀部を撫でて大笑いしたり。
恐怖が頭の芯を締め付ける。ぎりぎり締まる痛みに、抗う。
そうこうするうち、どこかにたどり着いたらしい。
「何だ?扉が新しい。ははははっこりゃあイイ」
音も立てずに開いた扉からどっかどっかと部屋に入る。床の反響も衝撃も少ない。ラグかカーペットが敷かれてる?今も、いや最近になって使用されるようになった部屋。
どさりっ。
投げ下ろされた衝撃で僅かに跳ねる。ソファか。
あれは、と呟いて離れていく。
やっと逆さ向きから解放された頭を軽く起こす。ここは埃っぽくなくて、むしろ良い匂いがする。鼻からしっかり息を吸って、全身に力を蓄えないと。
しかし、男があちこちガッチャがっちゃ漁り廻る音や癇癪を起こした稚児の甲高い声に似た狂喜が鼓膜を絶え間なく揺すり鳴らし脅す。また心拍数が上がり、浅く荒い呼吸に余計に焦りが募る。
これじゃぁダメだ。落ち着け落ち着け。
ばっと。目隠しが外される。一際大きい動悸が耳まで響く。そぉっと目を開けるとすぐ目の前に相手の血走った薄青の目があり、悲鳴の代わりに呻きだけが漏れる。
反応が気に入ったのか、ごちんと額と額をぶつけ、より見開いた目を睫と睫が触れ合う距離まで近づける。ざらりとした粉末にまみれた舌べらが、擦りつけるように口元を往復する。
気持ち悪・・・嫌・・・やめてっ。
慌て閉じた瞳から垂れた自分の涙すら粘度を持ち、嗚咽か悪心かあるいは両方が腹の底からぼこりぼこり沸き立つ。
背けようとした頭を手で押さえ、男は先ほどより一層甲高く獣の鳴き声を上げる。一度顔を遠ざけ、喰ませていた布を乱暴に解き、投げ捨てた。
「泣き叫ばせた方が盛り上がるってさぁ、三人目で気づいたんだよ。ふふふふふ、好みじゃねぇが玉座が手に入るなら安いもんだ。さあっ泣いて助けを呼んでみろっひぃいっはっははははっっ」
私は心臓の限り、その名を叫ぶ。
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