<42> 子離れの方が難しいって話
聖都でも一二を争うきらびやかなホールには大勢の貴族、大商人などが集まっていた。警備も厳重で入場者には身体チェックが義務づけられている。聖王国の盾にして剣、騎士団統括伯セグレア家主催のため、騎士団も多数警備に参加している。
次姉の婚約披露パーティだが、主役は賢母と同じルーヴァンリーの名を持つ娘、私であることは明白だった。謝った私に対して次姉は、そのために結婚を遅らせていたと事もなげに言った。
貴族にとって婚姻自体が政略であり、当然それに付随する行事も利用して然るべきであるが、ここまで割り切れる次姉はやはり母の後継に相応しかった。
「アナタは最後に入場よ。身体が弱くて社交デビューしていなかった娘をお披露目するのだから、お父様がパートナーなのは仕方ないと諦めてね」
「もちろん大喜びだろう?ルージュ」
名に合わせて新しく作った赤いドレスを纏う。実質的な社交デビューの日に特別な誰かの色を着るわけにはいかない。けれど蝶の飾りが私の胸を、羽ばたきを待つ揃いのイヤリングが私の耳を飾り、天を仰がなくとも深い空色の眼差しが私を護る。
恐れて引きこもっていても何も得られない。我が家の家訓はノーリスクノーライフ。欲しけりゃ奪え、だ。
「勇気をもらいましたから。怖くありません」
「・・・アウトオブ眼中というヤツだ。なんてこった」
「お父様、何事も諦めが肝心ですわ。みなで子離れする時期です」
お先に、と次姉は笑って、夫となる方と入場していった。
サリア姉さんが選んだのは、聖都から遠く離れた国境近くの領地を持つ男爵の長男だった。十数件あった縁談の中、様々なバランスを考えて父が絞った三人の婚約者候補から、柔和な表情を絶やさない穏やかそうなその方を姉さんが選んだ。
『仕事がやりやすそうだったから。理解っていうの?どちらかというと裏稼業になるから家族にも隠すべきなんだけど、夫にまで隠すとなるとツライでしょう?』
母の仕事を継ぐことになっている次姉は、わりと呑気な調子で言った。
どちらかもなにも、情報収集と暗殺を生業とする、女性だけで構成された組織の首魁は間違いなく裏稼業だ。
ちなみに出版社の社長ガラ・ムールスは母の懐刀だった。薄々気付いてはいたけれど、やはり護衛を兼ねてのことだ。カフェ・ガルボのエコー姐さんも所属は違うが同じく護衛。
毒アメ以前にも、掘に落とされそうになったり、馬車に轢かれそうになったりと、いろいろあったが、夜中なども
一際美しくドレスアップした次姉の入場に沸く会場の声が届き、緊張が少し緩む。主催者側の入場口に残るは父と私だけ。
「さて、覚悟はできたかね?ここからは」
「『ポイントオブノーリターン』望むところです」
父のよく鍛えられた太い腕を持つ。現場に立つことは少なくなったとはいえ、鍛錬を欠かすことはない。私を慈しみ守る腕の何と頼もしいことか。
しかしこの腕があの腕であったならば、一層楽しかったことだろう。考えるだけで溢れる笑みに、こちらを伺った父もくくくと笑った。
係に頷きかければ、扉は開く。
「さぁ主役の登場だ」
「セグレア伯爵、伯爵家第三女ルーヴァンリー=ルージュ様、ご入場です」
ほぉおおお。あれが。
なるほど確かにあの色合いは。
ルージュの名の通り赤いドレスか、それにしても。
あのような短い髪で。庶民の娘を連れてきたのではなくて?
ただの小娘ではないか。
眩いばかりの豪奢なシャンデリアがぶら下がる高い天井に吸い込まれることもなく、人びとのざわめきは大広間を揺する。
テーブルについている者はだれもおらず、みな少しでも近くからその娘を見ようと、半円を描いて中央近くに集まっている。
落ち着いた色合いのドレスや燕尾服に身を包んだ壮年から青年まで、年齢も身分もさまざまな男と女の声と視線と思惑がただひとり、私に向けて押し寄せてくる。
笑顔のままゆっくりと見渡す。
誰もが賢母を思い浮かべながら、その単語を口にしない。彼らは恐れている。私の存在を、私という存在が自分たちにどう作用するのかを。
『笑わせるじゃない。ただの色合いが異なるだけの小娘を畏れなくてはならない小さな小さな了見よ。畏れる者を恐れてやる必要なんてないのよ』
しゃらりんと楽器の合図で堂々たる淑女の礼を取る。
大きな波は収まり、ひそひそと小さな波に変わる。その中で父の挨拶が響く。
今宵のお披露目は、晩餐ではなく舞踏会だ。
曲は三曲、舞踏後婚約披露の二人は衣装替えに退席し、父と客人は歓談、という流れになっている。
でもって、社交デビューの病弱な娘も一緒に踊るわけで、客人にとってのメインはこちらだ。
踊るのはこの二組のみ、客人は別に踊りを見に来たわけではない。その娘が誰と踊り、周囲がどう踊るのかを見に来た。あるいは踊る相手に名乗りを上げる身の程知らずになるために。
社交デビューの最初の相手は婚約者か家族だ。私はまず父と踊る。次姉と婚約者は当然、相手を替えずに踊り続ける。多忙の父と兄が散々特訓してくれたというのに、私のステップは残念至極。父の足はそろそろレンコンだ。
「次の相手は、もう少し手、いや足加減してやれよ」
アレは尊敬しているが敬意を払いたくないとの言葉を残して次のパートナーと代わる。大勢の客人の中、最前列でダンスを眺めていたやんごとない青年が一歩前に出て、会場がまたざわめきに包まれる。
「赤いご令嬢、私と一曲お願いできるかな」
私の心臓はむずがゆくなった。
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