<41> あの人はたぶん今悶々としている

「ははははは、まだ疑われていたとは、少しショックだよ」

 父は、少しも衝撃を受けていない顔で朗らかにいう。

「まぁ、では私がよそのオトコと通じたと思っていたのね?」

 母も、娘にそう思われて哀しいしとても心外という顔を器用に作っていう。


「いえ、必ずしもそういうわけでは。

初めはよそからもらわれて来たと考えていたのです。ただ、ウチには男子二人女子二人と私の上に四人の子がおりますし、ある程度の年齢になっても本人に素性を明かせないような養子をもらうのは騎士団統括という職務性質上あり得ません。

するとお父様がよそで作った子を連れ帰ったか、お母様がお父様以外の方と子を為したかのどちらかという理屈になります。なる、と考えてしまいました」

 頭を戻して説明した私に、父は肯いた。

「ふむ、筋は通る。しかし。もう一つの可能性は?」

「そちらは真っ先に排除し、ごく最近まで考えもしませんでした」


 もう一つの可能性、明るい茶色の髪と濃い紺色の瞳を持つセグレア伯爵家の娘、が意味すること。

 かつて当家から王に嫁いで賢王を産んだルーヴァンリー=ノアール、瑠璃紺の瞳と狐色の髪を持った王妃と同じ資質、賢母の資質を有するということ。


「なぜだ?稀有な才覚で歴史に名を刻んだ人物と同様の資質を、光栄だとは感じなかったのかね?」

「当時六歳ですから、雑然と考えた理屈だとご理解いただきたいのですが、まず畏れ多いということが一点、それから、周囲に祝福される資質ではないと考えたのだと思います。

貴族子女が幼い頃から参加するパーティなどに私は一度も連れて行って頂いたことはなく、客人が招かれた日は屋敷の最奥にある自室から外に出られませんでした。つまり存在を秘匿する必要があるということで、理由が賢母の資質であるのならば、禍い以外のなにものでもありません。そのようなものを背負うくらいならば、まだ、不義の子かもしれないという現実的な不安を薄膜に包んで生きた方が幾分かはマシだったのです。

街に出ることになったのも、成長した娘を隠し続けるわけにもいかず、或いは遠ざけたかったのだと考えていました」

 気を悪くするかと言葉を区切った私に、父も母も目を細めて頷いた。真実を求めもせずに逃げ出した娘に、ふたりの眼差しは温かい。


「ですが。

何も知らない方たちに賢母の色合いを指摘され、何度も命を狙われた今となっては、これを否定する方が不自然だという結論に至り、かつ、父母双方の手の者より守護されていたことを加えれば、お父様とお母様の愛情を疑っていた自分を恥じいるばかりです」

「なるほど。かつて自分が排除した、せざるを得なかった説を採るに至った心境の変化、心の成長を見せてくれるとは。街に遣って正解だった」


 かぁさん、あぁあなた、と、そこで夫婦でひしと抱き合い、芝居がかった調子で互いの背や頭を撫で合う。喜びを分かりやすいスキンシップで表すくせに王宮なんかでは睨み合うと聞いて、本当は仲が悪いのかと勘繰ったのだ。


 抱き合う両親をじっとりと横目で見て、長兄カルディンが説明を受け継いだ。

「まず、六歳でその結論に至った聡明さが賢母の資質だ。賢母ルーヴァンリー=ノアールは魔力や腕力で賢王を育てたわけじゃない。類い希なるはその聡明さ。第三妃が国王初となる男児を産んで無事に長じさせた、しかも地味な見目で寵愛を受けているとは言い難い第三妃が、だ。後ろ盾も当時は一介の伯爵家、十分ではなかった」

「街で自分の身も守れない程度の私など、足下にも及びませんが」

「それはまぁ、子を持つ母の鋭さを今すぐ身に付けろと言われても困るでしょう?」

 すぐさま長姉マリーズが庇う。いつもこうやって甘やかすんだ。


「ところで、我が伯爵家に生まれた色合いの違う娘だが、何もノアールが初めてというわけではない。何十年かに一人、つまり祖父・子・孫という三代に一人くらいは生まれているんだ。ノアール以前は注目を浴びることもなく、地味なことから下級貴族に嫁いだりしていたそうだ。そしてノアールが生まれたのはだいたい百三十年前」

「まさか・・・」

「分かるかい?」

「少なくとも二人は、ノアールと私の間にいた・・・」

「三人、だね。黒と赤の間に、ジョーヌ、ローズ、ヴェルト、つまり黄、桃、緑の名を持つルーヴァンリーがいたんだ」

 いた。過去形だ。

 年齢を考えれば、緑は生きていてもおかしくないというのに。


「賢母と讃えられ、我がセグレア伯爵家を騎士団統括にまで押し上げることに寄与したノアールの再来は、周辺貴族にとっては当然のこと、残念な話、王家にとっても歓迎できるものではない。賢母の資質を持つ者を妻にすればそれだけで王になれるなどという戯言を信じる者もいるくらいでね。

だからまずその者が生まれたら必ず報告し、表舞台に上げずに下知があるまで隠しておくこと、そう命じられてきた」

 隠しておく。いつまで?外部にバレないよう始末するまで。


「二人は暗殺、もう一人は屋敷から出られない日々に絶望して自ら命を絶った」

 王であろうと何の咎もない赤子を殺せとは命じられない。だがその資質は生かしておくには影響が大き過ぎる。余所に奪われるくらいならば命を奪えと考える貴族家があるのも当然で、王は一方では秘匿しておけと命じながら、他方では存在を敵対貴族家に知らし、始末されるのを待つ。



 正面から抱き合うのを止めて、横から母の腰を抱くことにした父が、説明を引き取った。

「ルージュは賢く、繊細だ。すべて話してしまえば心を病むのではと悩んでいる間に、我々の子でないと勘違いして心を閉ざしてしまった。二年間ひとことも話すこともなく、ただ生きているだけの娘が意思を取り戻したとき、我々は真実を告げることでまた、心を閉ざしてしまうのではと怖れた。

君が真実を求めなかったのではなく、我々が求めさせなかったのだよ。

さて、一番初めの質問、ルージュに毒アメを渡した少女だが、無事だよ」

「アナタよりしっかりした親子でね。『道で知らない人に貰ったモノなんて口にしてはいけませんっ』て。適当な説明をして回収したけれど、アナタが口に入れたのと同じだったわ」

「良かった・・・」

「というわけで、だ。ルージュ、君の行先を最優先に嫁ぎ先を決めた。まずは次女サリアの婚約披露パーティに参加してもらう」

 父は柔らかに笑ったが、私には覚悟が足りていなかった。

 していたつもりの覚悟など、まったく足りないものだったのだ。

 勝手に。もう会うことのない濃い青の瞳がちらつく。

 私の心臓は、我知らず涙を流した。

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