<38> 冷静と情熱の間は空集合
「別にあの男の肩を持つワケではないけれど」
青い顔をして帰った私のドレスを脱がして部屋着に替えさせてから、ダイニングで温かいお茶を飲もうと誘ってくれた社長は、どちらかといえば味方など一切したくないと確かに分かる顔で話してくれた。
ロディさんことジルベール・アダンはあの端正な顔立ちと高貴な身の上でさぞや学生の頃からモテたんだろうと考えていたが、意外にも学園には通わず、基礎学問と魔法の基礎技術は家庭教師に教わり、十二歳で騎士団見習いという名だけは立派な下っ端の雑用係に奉公に出されたそうだ。
十五で一般騎士に上がり、十八で要人警護の護衛騎士に任じられているから、侯爵家の出身とはいえ相当の実力者だ。
護衛騎士になれば主人とともに夜会に出ることも増え、騎士としての職務がないときに誘いを受けるようになった。見目が良いから彼を連れているだけで女性の目に留まる。先輩方に上手く使われて、本人も初めは節度を保った楽しみ方をしていたそうだが。
「一時期荒れていた、というのは周囲の言だから、心境は本人にしか分からないけれど」
夜会で出会った後腐れなく付き合える女性と逢瀬を楽しむようになった。綺麗に一晩の関係で済む女性だけを選んでいるから、ヤケというにはキチンとしているのだが。
もちろん職務や実家の都合上、おかしな夜会に出るわけにもいかないし、数ヶ月おきで回数にしても片手の指に少し足す程度の実に可愛らしい話だが、イケメンならではの受難で尾ヒレの方が大きくなった。
「『思い出を作ってあげるよ』と、オンナを毎週口説きたおして押し倒すナンパ男の烙印を押された」
「碌でもない男じゃん、どこが貴公子だよ」
「特定の相手がいない時期の自由恋愛、一晩のアバンチュールまで他人が口出しするコトじゃないでしょう?合意の上なのだから」
荒々しく呟いた私を宥める呆れ声で社長はいう。
「えー。私はちょっと・・・」
「まぁね、こういうのは考え方だから。私も好きではないけれど。でもルリルーちゃん、一年と七ヶ月前から夜会には一切出ていなかったんですって」
「具体的ですね?」
一年七ヶ月前といえばちょうど『エル・グランデ夫人の書簡』第一巻が出版された頃だけど、それは私にとっての記念日で、ロディさんには関係ないだろうし。
「『希望を見つけた』そうよ。それで、女遊びを止めた色男の人気は逆に上がって、最近のあだ名が貴公子。以前のは・・・スラングだから止めとくわ」
どちらかといえばそのスラングを口にして貶したいといった顔をして、ティーカップにお替わりを注いでくれた。
「でも・・・」
淹れてくれたお茶から湯気が昇る。ふぅふぅ吹くと曇る眼鏡がないのは少し寂しい。
右耳に触れる。視力矯正のイヤーカフ、耳を挟むだけの銀色の輪には続く鎖や飾りはなく、数時間そこにあっただけの蝶がないことがやはり少し寂しい。
でも、あれだな。
面が良い、背も高くて騎士として鍛え上げた肉体を持つとはいえ、一晩の関係とか、そこまでいかなくても、抱き寄せられたいとか、甘い言葉を囁かれたいとか、腕を組んで歩くだけでもいいとか、通りの向こうから手を振られて喜ぶとか。
ハレンチというか軽いというか脳味噌ピンク色というか。
・・・・・・。
まっっっぴんくだな。こりゃぁ。ショッキングにピンクだわ。
ちょっと待て。
しかもアレだぞ、夜会で出会う女性たちは少なくとも素性を知った上でお付き合いしているワケで、名前すら嘘だと分かっていて甘い吐息に喜んだり抱き締められたりお姫様抱っこされたりしていたヤツがいるな。
めっさやべぇわぁ。引くわぁ。
それは私です。
「しゃ、社長ぉおお」
「何かしら?ルリルーちゃん」
「・・・えと」
「赤いほっぺが可愛らしいわよ?」
「しゃちょうぉぉおお、社長は知ってたんですよね?!」
「あらヤダ、心外ねぇ」
「エコー姐さんも。当然だし」
それに。たぶん、いやまず間違いなく。
だけどその続きはまだ口にしてはいけなかった。口角を上げたガラ社長の視線は尖っていて、頬は僅かに緊張していた。
まだ街にいたいのならば。
灰色の世界に戻るのが嫌ならば疑問を持ってはいけない。けれど何の疑問も抱かずに安住していろというのは結局その世界を灰色に染めるだけの話で、私の心臓はまた堂々巡りに囚われていった。
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